第7回 古本商人
「おすすめの本ないですか?」
初めて来たお客さんの出しぬけの質問である。店主おすすめのラーメンではない。本のおすすめである。僕の店では少なくない数でおすすめを聞かれる。そのたびに戸惑う。自分自身が好きな本や気になった本を深く考えもせずに買っては、読んでいない本の山の標高を日々更新しているタチなので、さてどうしたものかと悩む。本の選択に間違いはない。仮にタイトルに惹かれ、いざ読んでみると面白くなかったとしても、それは失敗ではない。自分の好みにあわなかっただけか、今がそのタイミングでなかった。それを知ることができるのなら、無駄な読書なんて存在しないとさえ思う。ラーメンは食べきらなくては伸びてしまうが本は読まなくても、ひとまず伸びない。気になったのなら片っ端から買ってみること。すると古本屋の店主はひとまず嬉しい・・・。
さて、初めて会ったお客さんに何をおすすめすればいいのか。前段のラーメンのくだりの話をしながらも、一応はお客さんの好みを聞いてみる。普段、どんな本を読むのか。どれだけ本を読むのか。まったく読まないというお客さんも多い。そして、苦手な作家やジャンルも聞く。地雷だけは踏みたくない。今日の気分はどんな本ですか、と次には聞いている。これでは問診みたいだ。それを元に、お客さんと本棚をめぐる。あまり媚びすぎず、かつちょうどいい値段のもの。気づけば数冊選んでいる。お客さんもおすすめから一冊と、自分で選んだものを一冊。なんだ、欲しい本あるんじゃないかと笑ってしまう。
友人の紹介で来たお客さんは四国遍路の途中に尾道に立ち寄った。ゆっくりと言葉を選び喋る、繊細な感情が眼鏡の奥から感じられる、少年のような人だった。彼が、何かおすすめをと話したので、春陽堂の種田山頭火日記をおすすめした。旅の途中ということで、安直な選書だったかもしれないが、彼なら絶対好きだろうと思った。ちらっと読んで、これ買いますと。よくよく見れば、彼の刈り上げた頭や顔は山頭火に瓜二つだ。
自分に媚びるな 足らざるに足りてあれ 現実を活かせ
いつもうまい酒を飲むべし、うまい酒は多くとも三合を超ゆるものにあらず、自他共に喜ぶなり
種田山頭火『行乞記』より「自戒三条」
こんなこともあった。うだるような夏の日だったか、一組のカップルが来店した。なんというか今時風の二人。本の触り方も、ふーんという感であまり本腰いれて探している訳ではなさそうだ。なんやかんやと喋っていて、こちらもだんだん機嫌が悪くなってくる。すると棚にあった中原中也を指して「たしか、虎になる話書いた人だよね」と言っている。耐えられなくなり「それは中島敦です。中原中也は詩人です」と口に出ていた、あからさまに不機嫌だった。そのあとも喧嘩腰でまくしたてるように喋ってしまう。こうなってしまうと一種の芸のようになる。二人も最初は煙たそうにしていたが、だんだん口元が緩む。男の子のほうが、番台上にあった漫画セットコーナーを見ながら「『おやすみプンプン』、読んだことないんよな」と漏らした。すると僕はすかさず「『おやすみプンプン』なんてくだらないですよ。僕は大学最後の夏休みをこれで台無しにしました」といかに、この漫画がくだらないかを感情たっぷりに説明する。すると、彼の手はみるみる財布に伸びていき、しまいには「買います!」とぽーんと売れていった。彼女のほうは笑っていた。(今では大切な常連さんです。あの時はすみませんでした)
これでは、おすすめというより押し売り、啖呵売に近い。が、絶妙なタイミングで声をかけて、手にした本のいいところ、悪いところを喋るとなぜか喜ばれる。古本屋は喋らない商売だと思っていたら、存外そうでもなかった。少なくとも僕の店は、一日中喋って、聞いて、怒って、笑い、本を売る。