第5回 不健全な肉体に宿る、健全な魂

 深夜の古本屋の死活問題は何よりもずばり、睡眠である。午後十一時に開店し、午前三時に戸を閉める。店の二階は居住スペースになっている。(二階はシェアハウスになっていて、男女五、六人で暮らしている。シェアハウスとは名ばかりの下宿のような雰囲気)歯を磨いたりなぞしたり、身支度を整え三畳ほどの自室に帰る。それでだいたい午前四時過ぎ。朝五時になることもしばしば。前まで働いていたゲストハウスからの払い下げせんべい布団に潜り込む。貨物列車が通るたび、建物は揺れる。真夜中の酔客の女の声か、ノラ猫の声か、聞いているうちに眠っている。眠りのなかでは仕入れに出たり、本を売っていることもある。これでは「夢金」ならぬ「夢本」だ。

 この暮らしも六年目になるので、もうとっくに慣れているのだけれど自律神経の乱れはすごい。起きる時はいつも半固体の人間の形をした何か。一階のリビングへ降りると、だいたいシェアハウスの誰かがくつろいでいる。受けとってもらった段ボールを寝巻のまま開ける。注文していた新刊書。いっとき自分のものになった錯覚を楽しみながら、これ全部いつ売り切るねんと注文しすぎた向きのある本たちを眺める。趣味の買い物がないかわりに、新刊書を注文して物欲を満たしている。

 ご飯は基本、自炊をしない。買ってきたものを食べるか、外食がほとんど。だらしがないけれど、許しを願いたい。日によってはお客さんの差し入れでいただいた、米、野菜、卵などで一食まかなえることもある。他にも、缶ビールに缶コーヒー、ワンカップ、花、お饅頭など差し入れでいただく。帳場の中はさながら仏壇か事故現場だ。「わしは死んだんか」と苦笑いしてしまう。

 外食もだいたい決まった店に行ってしまう。昼ご飯なら、尾道でも有名なクレープ屋。の横でひっそりと営業を続けている「喫茶軽食 せき」。小さい店内では、常連のおばちゃん達が世間話に花を咲かす。SNSよりも早い情報網だろう。日替わり定食はお母さんの担当、からあげ定食やハンバーグ定食などの定番メニューはお父さんの担当になっている。ちょくちょくと顔を出すうちに「ハイライトの君」という通名で顔を覚えられた。今時分、のんびりと煙草をくゆらすことのできるお店は貴重だ。お母さんの喋り方や心遣いがさりげなく、教わることも多い。

 店ではもっぱら、珈琲かほうじ茶を飲む。酒も時々。ビールを飲む、時々。一時期は毎晩飲みながらの営業になっていたこともあったが、体がもたなくなってきた。それに、飲みながら値付けをしていると気持ちが大仰になるのか、大胆な(適当な)価格をつけてしまう。お客さんが番台に持ってきた本の値段を見て驚愕する。

 開店前、閉店後、お客さんと飲むこともある。店がある久保二丁目は「新開」という、かつては遊郭地区だった。その名残は今も残っており、手ごろな飲み屋が目と鼻の先にある。ある時、鹿児島出身の男の子を焼き鳥屋さんに連れて行ったことがあった。閉店後、さすがにどこの飲み屋も開いていないのだが、同じ鹿児島出身の店主が特別に開けて待っていてくれた。男の子は広島市内で暮らしていて、慣れない町でさみしかったのだろう。「将来、何になるの?公務員♪わたしも公務員♪」という鹿児島ローカルのⅭⅯを嬉しそうに店主と話していた。一杯がいっぱいに。慣れない焼酎を僕も飲み明かした。

 日常的に夜更かしで、酒、煙草を飲み続けていれば、どう考えても長生きはできないだろう。それでも、なるべく長く、死ぬまで店がしたいと思うのは業が深いのだろうか。不健全な肉体に宿る、健全な魂。そうかといえ、健康的で快活な古本屋店主になりたいかと聞かれれば、どこか胡散臭い気もする。

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