第17回 オウム真理教研究で知られる気鋭の宗教学者に聞く――「実はマインドコントロール理論の方が陰謀論ってホントですか?」③
"洗脳"の言葉を広めたのは「原理研究会」に関する新聞報道
洗脳やマインドコントロールというのはなんの科学的根拠も持たない「幻想」である――。そう断言する宗教学者・大田俊寛さんにお話を聞いているうちに、私にはある疑問が浮かびました。このような概念自体が幻想であるとしたら、それはいつ頃から日本で広まっていって、何をきっかけに大衆の間で「一般常識」としての市民権を得たのかということです。
まず、"洗脳"という言葉が社会に広まったのは何がきっかけだったのでしょうか。そう問いかけると、大田さんはこのように言いました。
「洗脳という言葉自体は、1950年代、中国共産党が発見したとされる思考操作法を名指す際に生まれました。とはいえ、日本においてその言葉が広まったのは、1960年代以降、新興宗教や"カルト"の活動を非難するためであったと考えられます。1967年の朝日新聞の夕刊に『親泣かせの原理運動』という統一教会批判の記事が掲載されているのですが、そこではすでに"洗脳"という言葉が使われています」
「原理運動」とは、旧統一教会の教祖・文鮮明氏が唱えた教義「統一原理」に基づくムーブメントのことで1960年代に日本で徐々に広まり、1970年代には多くの大学に「原理研究会」(以下、原研)というサークルがつくられました。この原研を介して教団に入信し、合同結婚式に参加したという信者もかなりいます。なぜそんな怪しいサークルに引っかかるのだと思う人もいるでしょうが、当時の原研の「学生人気」はかなりのものだったようです。
以前、医師で作家の養老孟司さんにインタビューして、東大医学部で助手をしていた時代のお話を伺っていた際、学生たちの間であまりに人気だったので原研に興味を持って、一度覗きに行ったことがあると伺いました。70年代の学生の間ではかなり流行していたのです。
大田さんの解説を聞いて感じたことを、私は素直に打ち明けました。
「日本において "洗脳"という概念が旧統一教会批判から始まったというのは"でしょうね"と感じる反面、なんというか......すごく胡散臭い感じがしてしまいますね」
この連載をスタートした際、私は「マインドコントロールの専門家」として名高い西田公昭・立正大学教授のもとを訪れ、そのルーツが中国共産党の拷問を用いた思想改造「洗脳」にあり、それを取材したアメリカのジャーナリスト、エドワード・ハンターが1951年に『Brain-Washing in Red China(邦題 洗脳:中共の心理戦争を解剖する)』という本を出版して、世界に広めたということを知りました。
つまり、"洗脳"というのは「共産主義 VS. 反共産主義」という東西冷戦のイデオロギー戦の中で、敵対勢力への批判、人間性を貶めることを目的に誕生した概念なのです。
この連載でも指摘してきましたが、旧統一教会は新興宗教の中では珍しく「反共産主義」の姿勢を鮮明に打ち出しています。教祖の文鮮明氏が現在の北朝鮮に含まれる地域の出身ということもあり、「共産主義は国を分断させるほど恐ろしいものだ」という考えが強く、それが政治団体「国際勝共連合」の設立と共に、日本の自民党、特に保守政治家と呼ばれる人たちとの「蜜月」につながっていったのです。
このようにわかりやすい「反共産主義宗教団体」が、冷戦華やかなりし1960年代に"洗脳"と叩かれ始めたと聞けば、こちらも敵対勢力への批判、人間性を貶めることを目的としたイデオロギー戦だったのではないか、と思ってしまうのも当然でしょう。
"マインドコントロール"という言葉の広まりはオカルト的な陰謀論やニューエイジ的文脈から
そんな考えを伝えると、大田さんは「確かにそうですね」と頷いてこのように続けました。
「洗脳というのはもともと、客観的・科学的な概念ではなく、かなり強い偏向性を帯びた概念です。マインドコントロールも同様であり、混乱が一層ひどくなっていると言っても良いかもしれません。この言葉が生まれるのは洗脳よりも少し遅く、MKウルトラにおける精神操作実験や、社会心理学に由来する自己啓発セミナー隆盛のなかで使われ始めたようです。とはいえ、広く人口に膾炙するに至ったのは1980年代以降で、「CIAが密かに民衆をマインドコントロールしている」というオカルト的な陰謀論や、「理想の自己を実現するためのマインドコントロール法」といったニューエイジ的文脈で盛んに使用されるようになりました」
「オカルトやニューエイジ......社会的な問題や凶悪事件が直接的なきっかけじゃないんですね」
「はい、、80年代というのは、世界的に見てもオカルト全盛の時代だったのです。窪田さんも私と同じ51歳ですから、当時の雰囲気はなんとなくわかりますよね?」
「確かに......子どもの時はノストラダムスとか超能力とかUFOとか当たり前にテレビでやってましたね」
「機動戦士ガンダム」の劇場版(1981年公開)を観て熱狂した小学生の私は、物語の中に描かれた「ニュータイプ」と呼ばれる、特殊な能力を持つ人間がいずれ出現する、と本気で信じていました。それからほどなくして観たアニメ映画「幻魔大戦」(1983年公開)にも影響を受けました。これは世界中から超能力者が集まって、宇宙からきた「幻魔」と戦うというSFアニメ映画です。
テレビでは定期的に超能力者・ユリ・ゲラーや霊能力者・宜保愛子の特番が流れていて、翌日の学校ではあれがインチキかどうかで友だちと盛り上がったものです。ブラウン管の中で視聴者に念を送るユリ・ゲラーと一緒になって、一生懸命スプーン曲げに挑戦したこともありました。
1990年代の思春期に入ってからも、ミステリーサークルや人面魚・人面犬というオカルトネタは相変わらず人気で、テレビでも1999年7月に空から恐怖の大王が降ってくるという「ノストラダムスの大予言」がよく取り上げられていた。本当に世界が滅亡するのかどうか知りたくて、オカルト雑誌「月刊ムー」(学研)を読み漁ったこともありました。
そんな子ども時代の思い出話を披露したところ、大田さんも苦笑いしながら「告白」をしてくれました。
「そうですよね。私も高校時代にオカルト思想に魅せられたことがありました。その影響もあって、さまざまな宗教に対する遍歴を重ね、オウム真理教の一歩手前くらいまでいったこともあるんですよ」
「えっ!そうなんですか?」
「ええ、このあたりの私の"黒歴史"については『1990年代論』(大澤聡編 河出ブックス)に寄稿した『ニューエイジ思想の幻惑と幻滅――私の精神遍歴』という文章のなかで語っていますので、もし興味があったら読んでみてください」

オカルトコンテンツを見て育ち、魅力的に感じたニューエイジ思想の若者たち
「ニューエイジ思想」とは1960〜70年代のアメリカを発祥とする、既存の現代文明、既存の宗教や価値観を否定して、神秘主義やオカルト、自己啓発などの要素を雑多に組み込んだ新宗教運動、カルチャーのことです。オウム真理教を長年研究して、信者らと対話もしてきた大田さんによればこの「ニューエイジ思想」なくして、オウム真理教を語ることはできないそうです。
「窪田さんも私も、80年代のオカルトコンテンツを見て育ったので、オカルト的な話にそこまで抵抗はないですよね」
「ええ、むしろそういう話は好きな方ですね」
「オウム真理教に入信した人々も、大半がそうでした。彼らは私たちよりも少し上の世代ですが、オカルトに深く没入していたことで、オウム真理教の"思想"が魅力的に映ってしまったのです」
確かにオウム真理教は「オカルトのデパート」と言っていいほど、教義の中に"時代の空気"を取り入れていました。例えば、修行をすれば人間離れした「超能力」が身につくとして、教祖・麻原彰晃が蓮華座のまま空を飛ぶ、いわゆる「空中浮揚」の写真も大きな話題になりました。また麻原は、『ノストラダムス秘密の大予言』(オウム出版)という本も出版していて、私のように「本当に地球は滅亡するのかな」と心配する者にも"答え"を提示していました。
「そのようなオカルト的な思想がオウム真理教の根幹にあったことは、疑いようがありません。それに魅力を覚えたニューエイジ思想の若者たちが次々と虜になっていった。つまり、オウム真理教になんの興味もなかった人たちが、マインドコントロールを受けて入信させられた、というような単純な話ではないんですよ」
これは私的に非常にハラオチする話でした。
旧統一教会信者や神真都Qメンバーに話を聞いてきて強く感じるのは、彼らが心の底からその「思想」に魅せられているということです。脅されたり、騙されたりしているわけではなく、自らの意志でその「思想」を選んで、そこにいるのです。その「思想」は外野から見れば噴飯ものの「邪教」や「妄想」なのかもしれませんが、彼らにとっては人生を賭ける価値のあるものなのです。
「これはオウム真理教などに限らず、人類の歴史の中でずっと繰り返されてきたことではないでしょうか。"カルト"をめぐる議論において意外と見落とされがちなのは、そうした集団が"幻想の共有"から生まれるということです」
「強烈な思想に魅せられた人々、強烈な幻想にとらわれてしまうということですか?」
「ええ、一例を挙げれば、ナチスドイツが典型的なケースです。当時のドイツ人はヒトラーにマインドコントロールされたわけではなく、アーリア人が人類の進化の頂点にあるという、強烈な人種思想に魅せられていた。その結果、アーリア人が世界を支配すべきと思いこみ、最終的には、ユダヤ人大量虐殺のような悲劇を起こしてしまったわけです」
「なるほど、確かにわかりやすいです。でも......マインドコントロールというものの存在を支持する人たちは、集団にそういう幻想を抱かるテクニックこそが、マインドコントロールなのだとか主張しそうですね」
私がそのように指摘すると、大田さんは困惑した表情を浮かべながらこう言いました。
「率直に申し上げれば、それもまた別種の"幻想"の一つなのでしょうね。マインドコントロール論を含め、疑似科学や陰謀論は、その説明を受ける人に対して"瞬間的な納得"、いわゆる"アハ体験"を与えますから、どうしても受容されやすくなってしまうのです」 (④に続く)
