第18回 オウム真理教研究で知られる気鋭の宗教学者に聞く――「実はマインドコントロール理論の方が陰謀論ってホントですか?」④

深く関わる"マインドコントロール"と"アハ体験"

"アハ体験"とは、問題の解決策や間違った箇所を発見した瞬間、「なるほど!」と腑に落ちて感覚を得ることで、英語圏の人が、何かを思いついた時に「aha!」と発することに由来しています。日本では脳科学者・茂木健一郎氏が「脳トレ」の一環として提唱したことで広まりました。

 マインドコントロールとアハ体験。一見すると縁遠いように思えるこの2つにどんな関係があるのかと思いをめぐらせていると、大田さんは自分が食べていたティラミスを指して言いました。

 

「例えば、このティラミスを見ただけでは、これがどういう国の原料を使って、どういう経路で日本に持ち込まれて、どう調理されてこのテーブルに来たかというのはまったくわからないじゃないですか」

「そうですね。そもそもティラミスって一体何でできてるのかもわからないで食べている人もたくさんいますよ」

「ええ、スマホやパソコンの半導体、病院でもらう薬など、それらの全てどうやって生み出されて、自分の手元に届いているのかを理解している人はほとんどいませんよね。これは私たち現代人が"複雑になり過ぎたシステム"に囲まれて生活しているからです」

 

 確かに、江戸時代の日本社会などは、それほど複雑なシステムではありませんでした。自分の食べているものや着ているものがどうやってつくられているのかは詳しく知らなくとも、海で釣ったとか、山から採ってきてこういう工程によって生み出されたとか、ある程度は想像がついたはずです。

 

「一昔前は、"わからない"というストレスは今よりも遥かに少なかったんですね。ところが、現代人は便利な生活をしていても、社会が複雑になり過ぎて、わからないことだらけです。そういう不満やストレスが蓄積された人に対して、社会を裏側から動かしている"秘密"を教えたとしたら、どうなると思いますか?」

「そういうことだったのか!......という感じでアハ体験が起きます」

「陰謀論の魅力とは、まさにそれです。現代の世界情勢は、複雑な経済関係や国家間の利害の上に成立していますので、大半の人々にとって"わけがわからない"ものであり、恒常的にストレスが募っていきます。しかし、そこで"ディープステートがすべてを操っている"という単純明快な説明をされると、急に視界の霧が晴れて、強烈なアハ体験が起こるのではないでしょうか」

「陰謀論を信じている人たちはよく"真実に目覚めた"というようなことを言いますけれど、実はそれはアハ体験だったということなんですね」

 

 そんな風に、私自身もある意味でアハ体験を感じていると、一つの仮説が頭に浮かびました。大田さんが言うように、人々を「幻想」に誘うのがアハ体験だとするなら、"マインドコントロール"という概念にもアハ体験が深く関わっているのではないでしょうか。そんな疑問を投げかけると、大田さんはこのように答えました。

 

「そういう面もあるでしょうね。そこに加えて"マインドコントロール幻想"をさらに後押ししているのは、"依存"と"救済者幻想"の相互作用なのではないか、と思います」

 

 例えば、うつ病など心の病気を抱える人が、精神科を訪れて最初に診断をしてもらう際、精神科医に対して「運命の人」だと思い込み、強く依存していくケースがあります。他方で医師の側でも、「この患者の魂を救ってあげよう」という分を超えた振る舞いに及ぶことがあり、両者の間に強い一体感が生まれるそうです。

 

「ただ、そうした関係はやがて"幻滅"に終わります。現実的にある人が、別の誰かを救済するなどということは簡単にできるわけがなく、救済してくれるという期待が高ければ高いほど、逆に失望が大きくなり、"エセ救済者"への憎悪が膨らみます。心理療法でいうところの陽性転移(信頼・愛情)から陰性転移(不信・敵意)に変わっていくんですね。"あいつは救済者だと自分を騙して、お金や時間を浪費させて裏切った"という、それまでとは真逆の強烈なアンチが生まれることもあります」

洗脳被害者を自称して壊れていく人たち

 この話を聞いている私の頭の中には、これまで取材などで会ってきた何人かの顔が浮かんでいました。

 ある宗教団体の熱心な信者だったが、脱会をした途端にその宗教団体を批判する急先鋒となって「被害者の会」を立ち上げた人。ある政治家に「彼こそ日本を救う救世主だ」と心酔して側近として支えていたが、考えの違いで袂をわかった途端、その政治家の悪口をメディアに持ち込むようになった人......彼らに共通しているのは「騙されていた」という強烈な被害者意識です。

 

「でも、厳しいこと言うと、相手に対して深く依存していき、一方的に期待していたのは、他でもない自分自身ですよね。相手にも問題があったとしても、自分も浅はかだったとか、もっといい解決方法はなかったのかとか、反省する必要があると思うのですが......」

「ええ、本来はこのような問題を解決するためには、まずは自分が行ったことを正確に分析したうえで、妥当な解決策を図っていかなければなりません。とはいえそれには、非常に複雑な問題と向き合わなくてはいけませんし、何より自分自身を見つめ直すという辛い課題を突きつけられることになります」

「なるほど......そんな時に誰かが"それってマインドコントロールされていたからですよ"と指摘したり、メディアやネットでマインドコントロールについての情報を仕入れたら、そっちに飛びついて"私もこれだ!"となりますよね」

 

 日本社会に"洗脳"や"マインドコントロール"という概念が浸透して、「ウチの親、健康食品会社にマインドコントロールされてるんだよね」という感じで、まるで伝染するかのようにカジュアルに使用されている理由が見えてきました。

 しかし一方で、「それでいいのか」という心配もあります。先ほど大田さんが指摘したように、本来は問題解決のためには正しい現状分析が必要ですが、"マインドコントロール"という概念によって他責思考に陥り、現実逃避をしているようにも見えます。私が指摘をすると、大田さんは暗い表情になりました。

 

「ええ、それは私も懸念していることです。これまでお話をしてきたように洗脳やマインドコントロールというのは、実際には科学でもなんでもなく、イデオロギーやオカルトという"強い毒性"を持つ言葉なんですね。悪質ホストの被害者などを救済して自分を責めないために一時的に"あなたは洗脳されていたので悪くない"という形で使われることもあるのでしょうが、やはり中長期的に見ると"強い毒性"にやられて深刻な問題が出てくると思います」

 

 これは非常によくわかります。私もこれまで30年近く記者をしてきたので、いろんな「洗脳の被害者」「マインドコントロールの犠牲者」を見てきました。彼らは自分を騙した相手・団体への激しい怒りや憎悪を口にするのでメディアの注目を集めて一躍、「時の人」になります。

 しかし、ほどなくして"ブーム"が過ぎて、社会の関心が薄れていくと、そのような「被害者」が心を病んでしまうというケースがよくあるのです。メディアに露出したことで、いろいろなことを言われたことがダメージとして蓄積したからもありますが、私としてはやはり「自己矛盾」に苛まれるからではないかと思っています。

 かつて特定の人物や団体の思想に魅了されていたというのは、本人が一番よくわかっていることです。消し去りたい過去だとしても、その時は自分の頭で考えて、自分で選択したという動かし難い事実があります。ところがそこに "洗脳"や"マインドコントロール"という概念を持ち出して、自分を「被害者」だと思うことは、そのような事実を曲げて自分の本心を騙そうとしていることになるのです。

 しかも、「私は洗脳の被害者です」「マインドコントロールされました」というストーリーを受け入れることは、当時の自分の思想、受けた感動、培った人間関係なども「つくられたもの」と認めることであり、自分の人生の一部を否定することにつながります。こんな辛いことを強いられたら、心が病んでも仕方ありません。

 私の考えを伝えると、大田さんも頷いてくれました。

なぜ日本ではカルト対策が進まないのか

「洗脳やマインドコントロールという極端な概念を持ち出すと、事態の単純化と極端化が進んでしまいます。オウム真理教の問題についても、オカルト思想から生まれた幻想という本質に目を向けず、マインドコントロールという同レベルの幻想に依拠して説明してしまったことで、日本の"カルト対策"はまったくおかしな方向へ導かれていきました」

 

 確かに今、ネットやSNSではいろいろな陰謀論があふれていますが、政府は「デマを信じてはいけません」とアナウンスすることしかできず、メディアや専門家も「彼らはマインドコントロールされている」と敵意を煽るようなことしか言いません。

 彼らにどんな「思想」があって、どのような「幻想」を抱いているのかという本質的なところに目を向けないので、旧統一教会や神真都Qのケースのように、公的な力を用いて「排除」するしかなくなってしまっている、という現実があります。

 大田さんと対話を続けてきて、ようやく私が"洗脳"や"マインドコントロール"という概念に対して覚えていた違和感の正体がわかりました。

 

 これまで旧統一教会信者など、「洗脳された」と言われるような人たちとたくさん話をしてきましたが、ひとりとして同じ思想の人はいませんでした。確かに教義を信じているという共通点はありますが、その熱量はバラバラですし、信仰との向き合い方も違います。その人が歩んできた人生、家族や人間関係など周辺環境も異なりますので当然と言えば当然です。

 しかし、"洗脳"や"マインドコントロール"という概念は、そういう個別の複雑な事情をすべて無視して、一緒くたに「恐怖で支配している」などと説明します。そういう物事の単純化、極端化というのが、私にはすごく「暴力的」「高圧的」に感じられるのです。

 

 そこで次回は今から45年前、「お前らは洗脳されている!」という暴力的な決めつけにさらされながらも、屈することなく、今も自分たちの生き方を貫き続けた女性たちにお話を聞いてみたいと思います。