11月19日(木)群司次郎正のハルピン

 群司次郎正は『侍ニッポン』の作者として知られている。1931年(昭和6年)、映画原作として書き下ろされたこの小説は、桜田門外の変を舞台に、井伊直弼の子として生まれた新納鶴千代を主人公にしたもので、その年、大河内伝次郎主演で封切られるとその主題歌を含めて大ヒット。

 このあと、1935年に阪東妻三郎、1955年に東千代之介、1957年に田村高廣、1965年に三船敏郎が主演と、映画化は合計5回。最後の映画化が55年前のことなので、もはや忘れられているが、個人的に気になっていたのは、新納鶴千代が昭和初期の虚無的ヒーローの一人であるからだ。

 突然読みたくなって、書棚を探してみた。少し前のことである。講談社の大衆文学館版を持っているはずだ。1995年から全100巻で刊行されたこの文庫版全集は全巻所持しているはずなのだが、書棚を探すといくつか欠本があって、肝心要の『侍ニッポン』がない。

 仕方ねえなあと、昭和48年6月に中央公論社から出た『侍ニッポン/幕末ニッポン』を買ってきた。この版を購入したのは、『侍ニッポン』には続篇があると何かで読んだので、この「幕末ニッポン」がそうではないかと思ったからだ。もっと調べてから買えばよかった。「幕末ニッポン」は戦後書かれた連作で(郡司次郎正は昭和48年1月没。つまり中央公論社のこの版は没後すぐに出たものだ)、厳密な意味では続篇ではなかった。じゃあ、続篇はどこにあるのだと探して購入したのが、昭和32年、洋々社から出た『新編 侍ニッポン』である。

 私がうかつなのは、そこでようやく気がついたことだ。この『侍ニッポン』、読んでいるのではないか。昭和初期の虚無的ヒーローなら、『冒険小説論』(早川書房/双葉文庫)を書くときに読んでいるのではないか、と突然気がついた。で、急いで『冒険小説論』を開いてみると、ありました。やっぱり読んでいたんだ。しかし、それを読んで愕然。

「当時は映画化され、歌にもなって一世を風靡したらしいが、今読むと退屈な小説にすぎない。内実を伴わずにテーマが先走った小説は風化しやすい典型だろう」

 と私は『冒険小説論』で書いている。退屈なのかよ。しかし、そのときは退屈でも、読んだのは30年前であるから、いま読めば違った感想を抱くかもしれない。そういうことは十分にありうる。でもなあ、読もうという意欲は決定的にそがれてしまった。

 群司次郎正が競馬を題材に小説を書いている、という話は聞いたのは、そうやって意気消沈していたころで、よおし、じゃあそっちを読もうと購入したのが、『ハルピン女』(1932年に雄文閣から出たものを、1998年に大空社が復刊)。この大空社版は、リバイバル〔外地〕文学全集の一巻で、井東憲『上海夜話』や、村松梢風『男装の麗人』など、他にも読みたいものが少なくない。

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 それはともかく、この『ハルピン女』は、「ハルピン通信集」と「ハルピン小説集」の二部からなっていて、「通信や小説の姿を借りたハルピンの歓楽街案内であり、また白系ロシア人たちの生活習慣の詳細な紹介」(解説・末永昭二)である。ようするに、1931年に「小説のネタを探しに」ハルピンに行った群司次郎正の報告なのだが、特徴は、諸物価を克明に書いていることと、満州事変勃発が街の空気をどう変えたのか、その詳細が描かれていることだろう。白系ロシア人の一般家庭でなにを食べているのか、その一日の献立表まで挿入されているから風俗資料として興味深い。

 この中に、「競馬場で拾った女」という一篇がある。ハルピン競馬場は新市街の馬家溝にあった。戦前に発行された「ハルピン遊覧案内」を見ると、新市街の端に「競馬場」の文字が見える。

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 興味深いのは、ハルピン市内の諸物価を克明に書く群司次郎正だけあって、ここでもさまざまな値段を克明に書いていることだ。たとえば、競馬場の入場料は33銭(当時の日本円に換算して表記しているのも群司次郎正の特徴だ)。一等席は立ち見だが、二等席の美しさは大変なもので、競馬場が一種の社交場と化している、と群司次郎正は書いている。

 おやっと思ったのは、最初のレースがトロットレースであったことだ。これは2輪車に乗った騎手(ドライバーと言う)を馬が引っ張るもので、ハーネス競馬ともいう。オーストラリア競馬のドキュメントをグリーンチャンネルで見たことがあるが、オーストラリアにはハーネス競馬専用の競馬場が幾つもあって盛んに行われていた。日本でも1968年まで行われていたようだが(地方競馬では1971年まで実施)、私が競馬を始めたのはハイセイコーとタケホープが死闘を演じた1973年の菊花賞からなので、見たことはない。いまでもヨーロッパでは盛んだというのだが、私は海外競馬にも詳しくないのでいまだに未見。そのトロットレースが著者たちの前で繰りひろげられるのである。

 それと当時のハルピン競馬に女性騎手のレースがあったことも、この作品で知った。そこにこうある。

「試合の前に僕達は騎手のたまりへ声援に出かけた。溜というのも名ばかりで、女騎手達は馬の持ち主や、三、四の知人達に囲まれて黒パンを齧って牛乳を飲んでいた。とても綺麗なのも居ったがタマーラの友達のニーナというのはかぼちゃみたいな顔をしたがっちりした女だった」

 レース直前に黒パンを食べるのかよ、と思う箇所だ。ハルピン競馬は毎週日曜に行われていたようだが、「ロンドンのピカデリーとパリのモンマルトルをこき混ぜて二で割っても、こんな複雑な多様性の街は成立しない」というハルピンの猥雑な雰囲気がよく描かれている。いや、それだけの話なんですが。