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2月2日(水)「オニャンコポン」と「ターミネーター」その3

  • 自由への逃亡 (ハヤカワ文庫 NV 182)
  • 『自由への逃亡 (ハヤカワ文庫 NV 182)』
    アルベアト・バスケイス・フィゲロウア,岡村 孝一
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  • 『ターミネーター2018 [DVD]』
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 ところで、フィゲロウア『アシャンティ』と映画「アシャンティ」の評価を書き忘れていた。実はどちらもいま一つなのだ。原作も映画も、ちょっとなあという出来であった。では、なぜ四十年もたっているというのに、そんな作品をいまでも覚えているのか。

 それはフィゲロウアが『自由への逃亡』の作者だからである。1978年に翻訳されたこの小説は、『新刊めっくたガイド』(1995年/本の雑誌社、2000年/角川文庫)の冒頭で「今季のベスト1」と書いている小説だ。

『自由への逃亡』はある独裁国家の収容所から脱走した男を、看守の飼い犬が追いかけてくる──というだけの小説で、ストーリーは驚くほどシンプルだ。しかしそのために、剥き出しの肉体と逃げる男の息づかいが行間から立ち上がってくる。

 そういう傑作を書いた作家だから、フィゲロウアはいまでも忘れられない作家になっている。ちなみに、フィゲロウアは『アシャンティ』と『自由への逃亡』の2作しか翻訳されていない。


 ハヤカワ文庫から1978年に翻訳された『自由への逃亡』が本棚を探しても出てこないのでネットで購入したら、犬のイラストカバーだった。私の記憶では映画スチールをカバーに使っていたと思うのだが(映画が公開されるというので翻訳されたのである)、そのカバーが変わっている。おやっと思って奥付を見ると、1987年の二刷だった。えっ、増刷してたのか? 全然売れてない本だと思っていたのに、初版から9年後に増刷していたとは実に意外だった。「今季のベスト1」と私は評価したけれど、一般的には評価されてない小説だったので、二刷とは嬉しい。

 前記したように、この『自由への逃亡』、映画が公開されるというので翻訳されたのだが、なかなか公開されず、そのうちに「アシャンティ」が先に公開されてしまった。さらに、その「アシャンティ」が不入り打ち切りという事態になったので、これはもう『自由への逃亡』の映画公開は無理かなと諦めていたら、なぜか突然封切り(それもすぐに打ち切られてしまったが)。こちらは原作の差がそのまま映画にも出ていて、「アシャンティ」よりも面白かった。もっとも、映画よりも小説のほうが遙によかったことは書いておく。

 この話はまだ終わらない。『自由への逃亡』の映画公開は何年だったのか、ネットを見ていたら(1982年に「ドッグ・チェイス」の題名で公開)、なんと2004年にスペインでリメイク作品が映画化されていたのである。それが「ターミネーター2018」。

 これ、あの「ターミネーター」とは関係がありません。たくさんあるんですね。「ターミネーター・ソルジャー」とか、「ターミネーター・ライジング」とか、題名に「ターミネーター」と付くやつが。本家本元の続編かも、と錯覚するようなまぎらわしい題名の映画がたくさんあり、そのほとんどが悪評の嵐。その中でも「ターミネーター2018」はワーストと思われるほど悪評を集めている。

 それではどのくらいひどい映画なのか確認してみようとネットで購入。

 どんなにつまらない映画なのか、と覚悟して観た──ということもあるのかしもしれないが、みなさんがおっしゃるほど、ひどくはない。収容所を脱走した男を看守の犬が追いかけてくる──というメインストーリーは同じ。異なるのは、その犬がサイボーグ犬であるということだ。2018年を舞台にした映画だが、作られたのが2004年なので、つまりは近未来なのである。

 このサイボーグ犬がちゃちで、怖くないこと。途中で出てくる母娘が必要ないこと(特に、唐突に濡れ場が挿入されるのは無意味)。さらに──と不満を書き出すとキリがない。やっぱり弁護できないか。

2月1日(火)「オニャンコポン」と「ターミネーター」その2

 1月の京成杯を勝ったオニャンコポンの馬名の意味は、アカン語で「偉大な者」という意味であり、そのアカン語とはガーナ東部のアシンャティ州で話されていた言語であった──という話の続きである。

 前回は、「アシャンティ」という映画が1979年に公開されたものの、すぐに打ち切られてしまったので覚えている人は少ないだろうが、原作がスペインのフィゲロウアだったので、私には忘れがたい、というところまで書いた。

 その原作は、黒人の妻を誘拐された英国男が、その奪還のために奮闘する様子を描いた冒険小説で、この映画が公開されるというので1979年に翻訳されたのである。版元は、ヘラルド・エンタープライズ。この会社は当時、「ヘラルド映画文庫」という文庫版の翻訳叢書(当社調べで44冊までは確認ずみ)をだしていて、その中にはあの『遙なる緑の地』(傑作!)の作者ラリイ・マクマートリイの『愛と追憶の日々』(これも傑作)もある。ちなみに、『アシャンティ』はこの「ヘラルド映画文庫」の1冊ではなく、四六のソフトカバーで刊行されている。

 ところで今回初めて気がついたのだが、ヤア・ジャシ『奇跡の大地』(峯村利哉訳/集英社2018年)という小説が翻訳されていた。奴隷貿易が盛んだった十八世紀のアフリカを舞台にした小説で、アシャンティも出てくるという。四十年以上前に出た翻訳小説は覚えているくせに、数年前に翻訳された小説の存在を知らないとは恥ずかしい。それはともかく、それではこの『奇跡の大地』でアシャンティがどのように描かれているかを確かめてみよう。

 というのは、フィゲロウアの『アシャンティ』は、誘拐されるヒロイン、ナディアがアシャンティ族の末裔との設定なのだが、舞台はアシャンティではないのだ。アフリカの他の地域が舞台になっている。

 ヤア・ジャシ『奇跡の大地』によると、現在のガーナのあたりにはアカン人が住んでいて、アシャンティ族とファンティ族が大きな力を持っていた。南部に住んでいたのがファンティ族、内陸部を支配していたのがアシャンティ族。銃の導入で他族より優位に立ったアシャンティ族は王国を建国し、奴隷の輸出で繁栄を謳歌する一方、取引相手であるファンティ族やイギリスとの戦いが耐えなかった。特にイギリスとは四度にわたる戦闘をくりひろげ、20世紀初頭にはついにイギリスの植民地に併合される。しかしイギリス相手に勇猛果敢に戦ったことは事実なので、フィゲロウア『アシャンティ』でナディアが「アシャンティ族は決して偽りの誓いを立てません」と宣言するのも、その誇りのためにほかならない。

 ヤア・ジャシ『奇跡の大地』は、異父姉妹がファンティ族とアシャンティ族にわかれて育ち、それぞれ七代、数百年の壮大な物語が綴られていくが、19世紀末、鉱山に売り飛ばされたアシャンティ族のHの過酷な日々が強い印象を残している。

 ちなみに、『奇跡の大地』の訳者あとがきによると、アシャンティ族のアカン語系トウィ語から日本語になった言葉として、野菜のオクラが挙げられるという。

 まだ「ターミネーター」は出てこない。続きは次回だ。

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