第4回 超古典SF『海底二万里』はムベンベ並みのモンスターだった

  • 海底二万里(上) (新潮文庫)
  • 『海底二万里(上) (新潮文庫)』
    ジュール ヴェルヌ,Verne,Jules,潔, 村松
    新潮社
    693円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto
  • 海底二万里(下) (新潮文庫)
  • 『海底二万里(下) (新潮文庫)』
    ジュール ヴェルヌ,Verne,Jules,潔, 村松
    新潮社
    781円(税込)
  • 商品を購入する
    Amazon
    HonyaClub
    HMV&BOOKS
    honto

 SF幼年期宇宙の旅はどんどん時代を遡る。前回は1912年に発表されたコナン・ドイル著『失われた世界』だった。それでも十分に古いのに、今回挑んだジューヌ・ヴェルヌの『海底二万里(マイル)』はなんと1870年発表である。ザ・ロスト・ワールドより42年も昔、日本で言えば明治3年だ。

 私が本書を読んだのは小学生のとき。当然、子供向けだっただろう。記憶としては「ノーチラス号という潜水艇で海底を旅する話」という超絶に薄ぼんやりしたもの。きっと今読むのはきつい、古ぼけたファンタジーじゃないかと思っていたが、読み直したら、とんでもない間違いだと判明した。

『海底二万里』はモケーレ・ムベンベ並みのモンスターだった。まず驚いたのは人気。現在も大人向け・子供向け合わせて10以上の訳本が出版されており、絶版になっていない。どの版元も定期的に新版を出しているようだ。迷ったが、私は装丁が素晴らしい新潮文庫版を選んだ。ノーチラス号を描いた、影山徹さんのイラストが最高に格好いい。ちなみに、拙著『語学の天才まで1億光年』のカバーイラストも影山さんに描いていただいている。空想的な異世界をこれだけ魅力的に描ける人はいないだろう。

 しかし、なんといっても怪物なのは物語そのものだ。ファンタジーではなく徹底的に科学。具体的なデータ、科学者や機械メーカー(企業)の名前が列挙され、当時の最新科学知識を集めていることがわかる。もちろん、150年前の知識だから、科学に詳しい人なら間違っているところを数多く指摘できるのかもしれないが、私レベルでは「ほとんど現代の水準と変わらないんじゃない?」と思ってしまう。

 例えば、ノーチラス号が予期せぬアクシデントに遭遇し、空気の入れ換えができなくなったとき、主人公であるアロナクス教授は潜水艦の容量、人間一人が消費する空気の量、船の乗組員の数からたちまち「酸素がなくなるまであと××時間」と暗算で割り出す。気圧と水圧の計算、経度と緯度の割り出し、海の面積や海流などについても事細かに書かれ、小中学校の理科や社会科(地理)の教科書として使えるほどだ。

 ノーチラス号の推進力が電力なのにもたまげた。内燃機関ではないのだ。まさか地球温暖化に配慮したのではないだろうが、この潜水艦は海中の物質を化学的に分解することで電気を生みだす技術をもっており、陸地にあがって燃料を補給する必要はないし、廃棄物も出さない。海中を照らすライトや船内の照明はもちろん、暖房もその電気を利用。つまりオール電化である。残念ながら、150年後の今でもこれは叶えられない潜水艦の理想型だろう。

 本書は質だけでなく量も怪物的。新潮文庫版ではなんと上下巻で1000ページ超えだ。しかも、そのうち「訳註」が100ページを超す。学術書でもないのに、この厚さとこの註の量。

 註は実在した科学者や軍人、科学装置や理論、そしてなによりも海の生物についてである。本書はどうやら当時の読者を海底世界一周に連れて行くという目的で書かれたらしく、太平洋の日本(中国)近海から始まり、インド洋、紅海、地中海、大西洋、南氷洋......と世界中の海を巡る。潜水艦のガラス窓からは海底の生き物が水族館のように明瞭に見え、博物学者であるアロナクス教授と助手のコンセイユが片っ端から「デンキウナギ目のアプテロノートゥス属に属するブラックゴースト。これは吻が丸く真っ白で、体は美しい黒、非常に長細い革紐みたいなものを付けていた」といったように、魚、クジラ、クラゲ、甲殻類、海藻などの名称を挙げて科学的描写を行う。訳者は「あとがき」で、当時は写真も普及しておらず一般庶民は高価な図鑑も買えないから、読者はこの記述から想像をたくましくしていたのだろうと述べている。でも、いくら写真が普及してなかったからとはいえ、19世紀半ばの西欧読者の知的好奇心は現代の我々より上ではないか。私なんぞは途中から海洋生物描写はスルーしていた。

 科学と空想を巧みにミックスさせた物語は──当時そんな名称はなかったものの──まさにサイエンスフィクションと呼ぶにふさわしい。しかし本書が真に怪物なのは、ジャンルの黎明期に最もすばらしいアイデアが出てしまうという私の仮説を裏付けるような物語設定とキャラクターだ。

 私の幼い読書の記憶ではノーチラス号が何のために航海していたのか定かでない。それも無理はなくて、かなり特殊な状況なのだ。世界の海に出没し、ときには一般の船舶をも襲う謎の怪物がいると聞き、正体を突き止めるべくアメリカの軍艦に搭乗したアロナクス教授と助手だったが、怪物に船を破壊され、海に投げ出される。すると、彼らとネッド・ランドなる銛打ちの名手である荒くれ船員の3人だけがその「怪物」に助けられる。怪物は生き物ではなく、スーパー潜水艦だったという設定なのだ。

 ノーチラス号のオーナーにして建造者はネモ船長。フランス語をはじめ、ヨーロッパの主要な言語をいくつか流暢に話し、読み書きもできるが、国籍は不明で、他の船員ともアロナクス教授が聞いたことのない言語でやりとりしている。天才的な科学者・技術者にして軍事にも長けている様子だが、どこでそれを学んだのかもわからないし、どこでノーチラス号を建造したのか、莫大にかかるはずの資金源はどこなのかも不明。学識は底知れず、オルガンの名手であり、常に沈着冷静なれど、危機のときには勇猛果敢に戦う。

 なにより、この船長が人間や陸上世界を毛嫌いしているのが面白い。ゆえに、二度と陸上世界とコンタクトをもつつもりもなく、ノーチラス号を秘密のままにしておく固い決意をもっている。要するに、ネモ船長はアナーキストのようなのだ。

 ネモ船長がアナーキーなスーパーヒーローで、ノーチラス号が無敵の潜水艦。このユニークな設定が物語全体に特殊な「ねじれ」を与えてしまった。あろうことか、冒険小説としては今イチ面白みに欠け、むしろ心理小説としてスリリングなのだ。(以下、次回)