第5回 4カ月 「売れない」という勘

  • 【文庫】 B型自分の説明書 (文芸社文庫 じ 1-1)
  • 『【文庫】 B型自分の説明書 (文芸社文庫 じ 1-1)』
    Jamais Jamais
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 こんにちは、宇沢です。相変わらず、売り場で毎日ちまちまと効率悪く動き回ってます。

 前回までの文章を読み直してみて、ちょっと気づいたことがあるねん。思いがけず上手くいった拡販事例とか、「大騒ぎするほどじゃないけどちょっとしたライフハックでしょ」みたいなトピックばっかりで、早い話、自慢話しかしてないじゃん。

 違うんだ。そんなことのためにこの連載を始めた訳ではないんだ。

 多分うちの店に限らないだろうけど、今、書店業界はどこも人手不足だ。人件費削減だけでなく、労働力需給がひっ迫していて、募集しても応募が来ないという店も多い。故に、かつてのように、新人アルバイトや新入社員に、手取り足取り丁寧に仕事を教えてる余裕が無い。店にとっても会社にとってもマイナスだろうけど、一番可哀そうなのは、仕事を学ぶ機会を失くした新人たちだろう。
 最低限の接客用語やレジ操作を覚えさせられただけで売り場に放り込まれ、「何のために、その仕事をやるのか」「その仕事は、誰のどんな仕事につながるのか」「逆に、それをやらないと何がマズいのか」「1週間後、1か月後、1年後、どんな売り場にするために、今どんなことをすべきなのか」といったことを考える余裕もないまま、ってか、仕事とはそういうことを考えながら進めるもんだという発想すら持たないまま、指示された作業を指示された通りに全うして1日が終わり、1か月が経ち、1年が過ぎてゆく。

 いやいや、仕事ってそんなつまんないもんじゃないから。上司に目をつけられない範囲で、〝言われた通り〟ではないやり方を試してみる。会社に問題児扱いされない程度に、スタンダードからはみ出してみる。己のアイデアや創意工夫を怒られない範囲でこっそり実践して、「思ったより上手くいったじゃん」とか「初めてにしちゃあ上出来でしょ」といったプチサクセスを積み上げる。自己満足で構わない。それを、明日また頑張るためのガソリンにする。
 そういうことをポツリポツリと積み重ねていく。すると何年か後に、ふと「あれ? 俺、案外成長してるかも」などと実感できる瞬間が訪れたりする。

 そのためのちょっとした足掛かりにでもして貰えたら、といった気持ちで書き継いできたんだが、考えてみれば、〝私がやって上手くいったこと〟を別の誰かがそのまま真似したって、同じように成功する確率は低い気がする。仕事ってのがそんなに単純であれば、誰も悩みも苦労もしないだろう。成功事例とは、その時、その場所の、環境だの人間関係だの経済状況だの社会情勢だの何だのかんだのといった無数の要因が重なって成功したのであって、個人のスキルや努力だけで上手くいくと思ったら大間違いだ。そこを無視してやり方だけコピっても成功する確率は低いと思う。
 けれど、失敗談はそうではない。誰かが失敗したやり方をそのまま真似すれば、たいていの場合、似たような失敗に辿り着くのではないか。「勝ちに不思議の勝ちあり。負けに不思議の負け無し」とは故野村克也監督の名言だが、同じことはビジネスの場にも当てはまるような気がするのだ。

 相変わらず前置きが長いが、そんな訳で今回は、私が過去にしくじった話をしようと思う。

〝失敗談〟と言われて真っ先に浮かぶのは、2007年の『B型自分の説明書』(Jamais Jamais/文芸社)。
「B型の人って、こうだよね(笑)」というあるあるを、ユル~いイラストとともに、家電の取扱説明書みたいな文章で紹介した本である。今は、文庫になってるのかな。

 これが新刊として入荷するが早いか、一人の後輩が私のところに持ってきて「宇沢さん、コレ、ワゴンにどーんと積んで拡販しましょう!」。
 パラパラとめくる私......。
宇沢「これ、面白いか?」
後輩「え、面白いじゃないですか!」
宇沢「だって、B型の人以外、興味ないだろ」
後輩「わたし、A型ですけど面白いですよ」
宇沢「えー面白いかぁ?」
部下「売れませんかね?」
宇沢「売れないよー。やめとこうぜ」

 といった会話の末に、結局、雑学のコーナーで1面積めば充分ということに落ち着いたんだが、その後、かの本が爆発的に売れたのはご存じの通り。きっかけは、ヴィレッジヴァンガードさんあたりだったのかなぁ、正確なことは知らないんだけど、当然、私らも慌てて追加の発注して店の一等地にデンッと積んで尻馬に付きましたよ。幸い、長期間品切れさせることもなく、売上の棄損は大したことなかったように記憶してるけど、そういう問題じゃないんだよな、このケースは。

 後輩君が提案してきた時点で私が「そこまで言うなら、やってみ」とでも言えていれば、後輩君は〝ブームの火付け役〟の一人に、きっとなれたのだ。それによって大きな自信と充足感を手に入れられたに違いないのだ。「この本、話題になってるね」「この店が先駆けだったらしいよ」なんて話し声が、棚の陰から聞こえてきたかも知れないのだ。出版社の営業さんにも「鋭い嗅覚してますねぇ」なんて感心されて、「いやぁ、それほどでも」なんて照れたりすることも、あったかも知れないのだ。
 それをみんな、私の「売れないよー。やめとこうぜ」の一言が潰してしまった。

 無論、詫びたさ、心から。「後輩君、申し訳ない、俺があの時ゴーサイン出してれば大成功だったのに、大手柄を一つ潰しちゃったよ、ほんとゴメン」と。当時は、先発ピッチャーの勝ちを消してしまったリリーフピッチャーみたいな心境だった。或いは、10区で逆転された箱根駅伝のアンカーとか。いや、マジで。
 この後輩君、自己顕示欲が非常に薄いタイプで、〝火付け役〟云々なんてことには全くこだわっておらず、がっかりもしょんぼりもしていなかった。「私も、まさかこんな大ブームになるとは思ってませんでした(笑)」なんてあっけらかんと話す後輩君の笑顔に、私は大いに救われた。

 だけど、以後は肝に銘じている。自分の「コレは売れる」という勘は、少々甘く見積もってもいいが、「売れない」という勘は信じちゃダメだ、と。
 「売れる」にしろ「売れない」にしろ、その勘が当たった時は、勿論、何の不都合も無い。問題は、外れた時だ。
 もう少し、説明を重ねよう。それぞれの勘が外れた時、どういう困ったことが起きるだろう。

①まずは、「売れる」という勘が、外れた場合。100冊仕入れたけれど30冊しか売れませんでした、みたいなケースだ。この場合、返品が増えてしまってそれはそれで決して良いことではないんだけれど、売上の棄損にはなっていないんだな。思惑通りに売れていればプラスαにはなったろうけど、売れなかったからといって、売上が減った訳ではない。
※売れない本にスペースを割いたことで、他の商品の売れ行きを邪魔した可能性はあるが、誤差の範囲内として話を進める。

②次に、「売れない」という勘が外れた場合。10冊もあれば充分だろ、と思っていたらアッと言う間に売り切れて、慌てて電話した時には既に出版社でも在庫切れで注文できなかった、みたいなケースだ。こういう売上の逃し方は表面的な数字には表れないが、明らかに売上の棄損といっていいだろう。一等地に100冊ドカンと積んでいれば、70~80冊は売れた筈なのだ。

 上記①と②で、店の経営にとってどっちがより痛いだろう? と考えれば、「売れない」という勘を信じちゃダメだ、という私の主張に頷いてくれる人は少なくないのではあるまいか。「売れる」と思ったものが売れなくても損はしないが、「売れない」と思ったものが売れちゃったら、大損するのだ。
 とまぁそんな訳で、〝『B型自分の説明書』売り逃し事件〟以降は、職場仲間の「売れそう」な勘は、取り敢えず「当たるかも知れない」と考えるようにしている。

 さて、上記はマーケティング(と言うほど大袈裟ではないが)の失敗例だったが、次は、マネージメントの失敗を告白しよう(←胸を張るな)。

 最初に断っておくと、私自身は本に触っていたいからこの業界に入っただけで、スタッフを統率したいとも、先頭に立ってチームを引っ張りたいとも、思っていない。マネージャーの素質があるとは思ってないし、やりたいとも出来るとも考えてはいない。が、年齢や経験に伴って、そういう立場や仕事が割り振られることはしばしばあった。無論、会社員だから余程の事情が無い限り、「向いてません」と簡単に断れるもんではない。
 これからお話しするのは、そういう感じで、副店長的な立場で、とある店舗に異動して数か月後の出来事だ。

 まず、異動してすぐに、棚の荒れ方が嫌でも目についた。いや、元はちゃんとしてたものが荒れたってよりは、そもそも最初から売り場を作れていなかったんじゃないか、どう作っていいか分からないまま我流でやってきたんじゃないか、そんな乱れ方だった。

 具体的には、平台には、売れてるんだか売れ残ってんだか分からない商品が、1冊とか2冊で積んである。この連載の第1回でも触れたように、1冊か2冊しか売れない(売らない)んだったら、平積みなんていう贅沢なスペースの使い方する必要はないんである。背表紙の字面ではなく表紙全体でアピール出来る上に、4~5冊売れても在庫切れになりませんよ、というのが平積みの強みなのに、1~2冊しか積まないんじゃ勿体ない。もっと厚く積むべきだし、それほどには売れないというなら、別の商品と入れ替えるべきだろう。
 棚も欠本だらけで随分傾いてるし、その割にストッカーの中は商品がぎっしり詰まってるし(配架するか、要らないなら返品しろよ)、そろそろ秋だというのに《ナンタラ文庫 春一番フェア》みたいな帯がついたまんまだし、そうかと思うとそのすぐ脇には《食欲の秋フェア》みたいなのが並んでるし、だから季節感もへったくれも無い感じだし、POPも見当たらないし、たまに在ったと思ったら版元が随分前に配ったやつで色褪せちゃってるし、こんな調子で続けると「だし、だし、だし」と妖怪〈だしだしおじさん〉が出現しそうなくらい、投げやりな売り場だった。

 正直、「こりゃあとんでもないとこに来ちゃったな」と思ったよ。
 だから最初の3か月ぐらいは副店長の職務そっちのけ、イチ文庫担当として棚のメンテナンスに没頭してた。
 文庫の売上はすぐに上がった。元が散々だったから、基本的なことを押さえるだけである程度は回復するだろうってのは最初から分かっていて、これで漸くスタートライン。但し、散々なのは文庫だけじゃなくて、店のあっちもこっちもだったから、「コレ、みんな直すの大変だぞ」と、行く道の遠さに呆然とする思いだった。

 そういう時期に、駅を挟んだ向こう側に新しい商業ビルがオープンする。もう20年近く前だから正確に覚えてないんだけど、商業ビルに書店も入るんだったかなぁ、書店は入らないけどビルそのものに客足が流れる、みたいな懸念だったのかなぁ、とにかく、わが店も向こうのオープンに合わせてイベントをやろうと、何人かのスタッフが提案してきた。確か、ガラガラポンをレンタルして福引大会やろうとか、そんな話だったような。

 私は思いましたよ。ちょっと待て! と。今の自分たちの売り場をもっとちゃんと見てみろ! と。

 平台は薄っぺただし、ところどころ穴(商品が売れちゃって台が見えちゃってる状態)になってるし、棚は傾いてるし、手書きのPOPもろくに無いし、半年前のフェアの残骸みたいなのが季節感もへったくれも無く並びっぱなしだし、そこら辺の基本的なことをちょっと修正しただけで文庫は売上が上向いたんだし、逆に言うと、基本的なことすら出来てないから今この店は厳しいんだし、イベントだ福引だなんてのはそういう基本が出来てからの話だろ。キャッキャ盛り上がる前に、自分たちの仕事の結果をもっとちゃんと見てみろよ。

 ええ、言いましたとも。ハッキリと。自分の主張が正しいという自信はあったし、今でも間違ってはいなかったと思ってる。
 但し、私が分かっていなかったのは、「正しければ何をどう言ってもいい、という訳ではない」という点だ。

 提案してきたスタッフたちは即座に、プリプリ怒って事務所を出て行く。後に残ったのは店長と私で、店長は上記のやり取りを口を挟まずに見ていたんだけど、皆が去ったあと、怒るでもなく呆れるでもなく、淡々と話し始めた。
店長「宇沢さんはさ、今の話で何を言いたかったのかな?」
宇沢「いや何をって、そのまんまですよ。売り場があんなにしっちゃかめっちゃかなのに、それ後回しにしてイベントじゃないでしょう」
店長「じゃあ訊き方を変えよう。宇沢さんは、みんなにどうして欲しくて、ああいう話をしたの?」
宇沢「いやだから、棚でも平台でもワゴンでも、基本的なメンテナンスをもっとしっかりやらないとマズいでしょ」
店長「基本的なことをもっとしっかりやって欲しかったってことだね?」
宇沢「そうですよ」
店長「あの言い方で、そういう気になってくれるかなぁ?」
宇沢「......」
店長「勘違いしないでね。宇沢さんの話の中身が間違ってるって言ってるんじゃないですよ」
宇沢「はい」
店長「宇沢さんは、みんなに、基本的なことにもっと注力して欲しかった。それが、さっきの話の目的だった訳だけど、その目的に合ったやり方だったかな? 何かの行動を起こす時は、その行動の目的、ゴールがある訳じゃないですか。目的を達成するために行動するのであって、行動することが目的ではないですよね。でも、さっきの宇沢さんは、『基本をちゃんとやってもらう』っていう目的が、頭の中にあったかな?」
宇沢「......」
店長「言ってることが正しくても、それが相手に伝わらなければ、何も言ってないのと効果の面では変わりません。目的を達成するために行動する、さっきの場合だと、『基本をちゃんとやろうと思ってもらうために』話す。目的があって、手段がある。目的があって、話す。伝わらなかったら、どんなに正しい話でも、何も言わなかったのと一緒じゃないですか?」

 多分10分かそこらのやり取りで、長々と説教を食らったとかそういうんでは全然ないんだけど、これは響いたね。確かに私の言い方じゃ、「よし、頑張ろう」とは思わんだろうし、ましてや「自分たちの出来てないところを顧みよう」なんて殊勝な気持ちには絶対にならんだろう。
 あれから20年、今もたまに同じ失敗をやらかすこともあるんだけど、頻度で言えば随分減ったんじゃないかと、自分では思っている。覚えておきたい上司の言葉と言われたら、迷いなくこれだ。

 因みに、件のスタッフたちはその後暫く、ろくに口もきいてくれなかったけど、いつの間にかなぁなぁになって、その頃には店全体の売り場がリニューアルしたみたいにきれいになってて、結構楽しい雰囲気で仕事をやらせて貰った。
 あれは、私のいないところで店長が、みんなにも何か言ったんだろうか? 「言い方は悪かったけど、宇沢さんの話の中身は間違ってないよ」とか。いや、知らんけど、三十年弱の書店員経験でも、思い出深い職場の一つであるのは確かだ。

 最後にもう一つ、蛇足を。これは失敗談とはちょっと違うんだけど、勉強になったなぁと強く印象に残っているから、この機会に書いておこう。

 私は日本人の平均よりかなり身長が高い方で、学生時代のアルバイトも含め、今までの職場で私より背の高い人には会ったことが無い。街中でも、めったに見ない。「向こうから歩いて来る奴、デケぇなぁ」とか思ってすれ違うと私の方がデカくって「ウソ、俺ってアレよりデカいの!?」などということが、結構しばしばある。
 故に、誰かと向き合うとどうしても見下ろす形になる。
「お前さん、デカいんだから、よほど注意しないと、不遜な印象持たれるから気をつけろよ」
といったアドバイスは、特に若い頃は何人もの上司から頂戴した。
 どうも、接客業向きの体形じゃないのかな、でも縮む訳にもいかないし、しょうがないよな。そう思って今までこの仕事を続けてきた訳だが。

 10年ぐらい前かな。学生のアルバイトでMさんという人がいた。この人が、どう言ったらいいんだろう、生まれ持った顔立ちがそもそも笑顔、といった感じで、とにかく普通にしていても微笑んでるように見える顔の作りだった。だからその人がレジに立っていると、それだけで感じのいいカウンターみたいな雰囲気になった。
 そのMさんから、或る時、閉店後のレジ締め作業しながらの雑談で、以下のような話を聞いた。

宇沢 「Mさんてさ、フツーにしてても笑顔に見えるから、めっちゃ接客向きだよね。俺なんか、フツーにしてると偉そうだってなっちゃうからね(笑)」
Mさん「でも、母にはよく注意されるんです。『あんたはフツーにしてても笑ってるように見えるんだから気をつけなさい』って」
宇沢 「なんで? 笑顔の方がいいじゃんね」
Mさん「でも、相手が真面目な話してる時とか、あと中学生の頃、先生に怒られてる時に『なんで笑ってるんだ』みたいに言われたこともあって」
宇沢 「おぉ! そんなことがあるのか。それは、本人にしか分からない苦労だなぁ」
Mさん「そうなんです、笑顔は笑顔で苦労するんですよ(笑)」

 これは、目からうろこだったんだよね。
 例えばカスハラ被害を考えた場合、私は小柄な女性よりも遥かにその遭遇率は低いだろう。棚の上の方の商品を出し入れする時だって、踏み台など持って来なくても難なく出来る。
 体がデカくて不遜に見えるからと言って損ばかりではないし、素敵な笑顔を持っていても得することばかりではない。かと言って、私は縮む訳にはいかないし、Mさんだってまさか顔は取り換えられない。
 だから大事なのは、自分の外見の欠点だけをクローズアップして気に病むことではなく、「傍から見ると、自分はどう映っているか」を分かっておくこと、それを意識の片隅に置いて行動すること、なんじゃなかろうか。

 ついでに言うと、大抵のことは「得ばかり」でも「損ばかり」でもなく、得することと損することと両方あるのが当たり前なのかも知れない。江戸川柳にこんなのがある。

いゝかげん 損徳(得)もなし 五十年

「人間五十年と言われる年齢まで生きてきたけど、振り返ってみると損したことと得したことと半分半分、プラスマイナスゼロだったなぁ」ぐらいの意味だろう。非常に健康的な考え方だと思うが、如何でしょう?

 といったところで、今月はお開き。また来月、お会いするのを楽しみにしています。