【今週はこれを読め! SF編】これほど異常でイイのだろうか?

文=牧眞司

  • 異常論文 (ハヤカワ文庫 JA ヒ)
  • 『異常論文 (ハヤカワ文庫 JA ヒ)』
    樋口 恭介
    早川書房
    1,364円(税込)
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 収録されている全二十二篇、これは論文なのか、フィクションなのか? よくわからない。

 編者は巻頭言で言う。



 過剰な読解は過剰に世界を分岐させる。過剰性としての異常性。そこで生成されるあらゆる生。異常論文とはすなわち、過剰な読みによって相対化されたもう一つの現実、もう一つの架空、もう一つの言語の枠組み、もう一つの生なのであり、つまるところ、すべての書かれる異常論文とは、思弁的に実在論的で、相対主義的で、同時に絶対主義的でもある、無数の愛の試みなのだ。



 うわあ、ますますわからないではないか。

 気を取り直し、順番に作品を読みはじめる。最初に収録されているのが円城塔「決定論的自由意志利用改変攻撃について」。現代数学論文の言葉で異種族間抗争の顛末を綴っているらしいが、そう要約してよいのか自信がない。ひとつひとつの数式が何を示しているかすら見当がつかず、いよいよ途方に暮れる。

 次の収録作、青島もうじき「空間把握能力の欠如による次元拡張レウム語の再解釈およびその完全な言語的対称性」は、もう少し取りつくシマがある。これは視覚言語を使う種族についての記録だ。ただし、視覚言語を文字言語で記述するというアクロバットであり、読んでいて頭がこんぐらがってくる。

 つづく、陸秋槎「インディアン・ロープ・トリックとヴァジュラナーガ」は、現代では廃れたロープ魔術の真相を、民俗学的な水準で解きあかしていく。参照している研究が、実在する文献とそうでないものとが混じっており、なんだか煙に巻かれた心持ちだ。

 四番目の松崎有理「掃除と掃除用具の人類史」は、日常的で些細なテーマを大マジメで壮大な論文に仕立てた、この作者らしい稚気溢れる一篇。

 ここまで読んできてホッと一息。というか、すでに肩で息をしているわけだが、もしかしてこの本はこんなふうに立てつづけに読むのは良くないのではないか。毎日一篇ずつ、用法用量を守って摂取しないと、タイヘンなことになるのではないか。

 しかし、書評の締切があるのでそんな悠長なことは言ってられず、えいやとばかり薄目で黙読、ときどき裏声で音読、ぬるめのお湯で沐浴しながら読み通し、わかったことがひとつある。

 異常論文の妙味は凝ったフォーマット、非常識なロジック、詰まったディテールであるが、しかし、まず読者の注意が向かうのは扱われている題材だという、なんとも散文的な事実だ。自分の興味がある対象でないと、作者が丹精した仕掛けもじっくり味わえない。もしかすると読者一般ではなく、私だけのことかもしれないが。

 その意味で、とくに楽しく読んだのは以下の作品だ。

 世界のすべての嘘が収録されたアーカイヴに対し、研究者たちが論理ゲーム的に挑戦する柞刈湯葉「裏アカシック・レコード」。ダグラス・ホフスタッター『ゲーデル、エッシャー、バッハ』が好きなひとなら抱腹絶倒するはずだ。

 ゲーデル的な論理という点では、大滝瓶太「ザムザの羽」も見逃せない。なんとカフカやナボコフが題材になっているのだ。これは昂奮する。

 酉島伝法「四海文書注解抄」は断片的テキスト(意味不明なものもある)を並置し、それらをゆるやかに相互参照させる。四海文書の横に「注4」とつくのが正式タイトルだが、残念ながらWEB上ではうまく表記できない。形式的にはバロウズ、バーセルミ、バースあたりを髣髴とさせるが、物語的に立ちあがってくるものがあること(ただし一貫せず何かがズレている)、そのテキスト全体を事後的に精査している何者かの気配があること(そいつが挿入するメモが異常語彙で書かれている)で、よりスリリングに読ませる。

 テキストを題材にした作品がほかいくつかあるなか、酉島作品とは対照的なアプローチで面白いのが、倉数茂「樋口一葉の多声的エクリチュール――その方法と起源」だ。樋口一葉の文体は近世とも近代とも違う特異なもので、作品のなかに誰のものともしれない声が乱れとび、重なりあう。それを実際のテキストに即し、また先行研究を踏まえながら検証していく。この手続きは異常論文どころか、正統なアカデミズムのそれだ(しかも実に興味深い)。しかし、テキストの内側と外側を横断して――この場合のテキストは一葉の作品だけではなく、倉数茂が書きつつある一葉論でもあるのだが――オカルティックな事件が勃発する。文芸怪談として一級品。

 伴名練「解説――最後のレナディアン語通訳」は、レナディアン語という人工言語で書かれた小説のアンソロジーに付した解説というかたちで、収録作それぞれのあらましと作者紹介をおこなう。通読すると、作者間の葛藤と恐ろしい事件が浮き彫りになる仕組みだ。これまでの伴名作品のなかでいえば、埋もれた明治SFの一群をめぐる偽文学史「ゼロ年代の臨界点」に近い味わい。

 さて、この本のなかでいちばんの問題作は、小川哲「SF作家の倒し方」である。「池澤春菜率いるSF作家界に加わり、世界を素晴らしいものにしていく手伝いをするか、それとも、大森望率いる裏SF作家界に加わり、闇の力で日本SFを支配するか」と言った調子で、なんとも恐ろしいことに――というより呆れたことに――ここには本当のことしか書かれていないのだ。名前が出てくるSF作家は、私(小川哲)のほか、柴田勝家、樋口恭介、藤井太洋、上田岳弘、高山羽根子、赤野工作、久永実木彦、宮内悠介、草野原々、櫻木みわ、飛浩隆(ラスボス)、神林長平(最強の男)。

 編集部はなぜ、この作品を袋とじにしなかったのか? これでは立ち読みされて、SF作家がみんな倒されてしまうではないか。

(牧眞司)

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