【今週はこれを読め! SF編】香川と大阪のサイバーパンク、あるいは多義的ディストピア

文=牧眞司

  • ガーンズバック変換
  • 『ガーンズバック変換』
    陸 秋槎,大久保 洋子,稲村 文吾,阿井 幸作
    早川書房
    2,310円(税込)
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 陸秋槎は中国ミステリの俊英。すでに本格ミステリ長篇『元年春之祭』などいくつもの作品が邦訳され、高い評価を得ている。ゲームやアニメなど日本のポップカルチャーに精通する一方、古典から現代作品までさまざまな文学にも親しみ、自家薬籠中のものとしたモチーフを自作に巧みに織りこむことに定評がある。現在は石川県金沢市に在住。執筆は中国語だが、発表媒体は中華圏と日本の両方にまたがっている。

 本書は初めてのSF短篇集で、書き下ろしを含む八篇を収録。著者自身の「あとがき」に加え、〈SFマガジン〉編集長である溝口力丸さんの「解説」が付されている、じつに行き届いたパッケージだ。

 表題作「ガーンズバック変換」は、香川県ネット・ゲーム依存症対策条例の先にあるディストピアを描く。香川に住む未成年は、強固なフィルタ機能を内蔵した眼鏡の装着を義務づけられ、ネットやテレビから遮断されている。その眼鏡の機種名がガーンズバックなのだ。最新はV型。主人公の高校生、美優は、幼なじみの梨々香(条例に反対する両親とともに香川から大阪へ移住した)を頼り、大阪で摸造眼鏡(レプリカ)をつくろうとする。ガーンズバックそっくりだが、フィルタがついていない素通しのレンズ。もちろん、香川では違法であり、発覚すれば厳しい処分が待っている。

 大阪の街を歩きまわり、県外のさまざまな文化・習俗に接するなか、美優は香川県に充満する抑圧を痛感する。県内では見えないこと、知りえないことがたくさんあるのだ。反面、梨々香とのやりとりを通じて、ネットが自由に使える世界にも不条理があることに気づく。

 物語の冒頭、香川から大阪へ向かう列車のなかで美優が読んでいるのがアーシュラ・K・ル・グィン『所有せざる人々』だ。ウラスとアナレスというふたつの惑星の政治や文化を対照し、ユートピアの可能性が検討される。「ガーンズバック変換」はそれを香川と大阪という対へ移し、私たちを取り巻くディストピアをあぶりだす。

 社会面での警鐘もさることながら、美優が大阪で体験する発見や出逢い、それを取り巻く情景が鮮やかだ。彼女はこんなふうに思う。〔電子機器に触れることが全然ない私にとって、香川県以外の世界全てはサイバーパンクと呼べる。でも、県外の人間にとって、私の鼻にかかるガーンズバックV型こそ、サイバーパンクの定義に近いかもしれない〕

「ガーンズバック変換」では過去のSFあるいはアニメやゲームへの言及が効果をあげているが、こうした自在な引用のテクニックは他の収録作でも同様だ。そして、ほとんどの作品が、創作行為や語ること自体を主題にしている。

「サンクチュアリ」は、人気ファンタジイ・シリーズの続篇を委ねられるゴーストライターが主人公だ。「いかなるときも他人を思いやるべし」という最善主義(ユーディモニズム)が先鋭化し、ある薬品の実用化によって、作品制作にねじれた影響を及ぼす。

「開かれた世界(オープンワールド)から有限宇宙へ」は、カリスマ・クリエーターが主導する新しいスマホゲームの開発をめぐる物語。語り手は他のチームから引き抜かれて、このゲーム世界を合理化する宇宙モデルの設定を任されるが、わがままなカリスマの要求を満たすことができない。

「色のない緑」は、天才的な計算言語学者モニカ・ブリテンの死をめぐるミステリ。彼女の親友であり、学生時代にともに人工言語を自動生成するプロジェクトに挑戦したシュディス・リスが探偵役となり、モニカが抱えていた問題を掘りおこしていく。言語と認識にかかわる展開は、テッド・チャンを思わせる。

(牧眞司)

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