【今週はこれを読め! SF編】成層圏に硫黄のベールを張る弾丸〜ニール・スティーヴンスン『ターミネーション・ショック』

文=牧眞司

  • ターミネーション・ショック
  • 『ターミネーション・ショック』
    ニール・スティーヴンスン,坂村 健,山田 純
    パーソナルメディア
    3,080円(税込)
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 ニール・スティーヴンスンは、メタヴァースの概念を先取りした『スノウ・クラッシュ』(1992年)や、壮大なポストアポカリプスSF『七人のイヴ』((2015年)などの傑作を送りだし、SF読者のみならず広い層から注目されている作家だ。本書『ターミネーション・ショック』は、2021年に発表された長篇。二段組みで約六百七十ページというヘヴィ級で、この作家らしく、いくつものエピソードを絡ませ、膨大な情報量をつめこんでいる。

 テーマは気候変動だ。2010年代より、SFのサブジャンル(もしくは隣接領域)として、気候変動小説(Climate Fiction、略してCli-Fiと表記される)が注目を集めるようになった。この分野を代表する作品は、すでに邦訳のあるキム・スタンリー・ロビンスン『未来省』である。

 地球温暖化をはじめとする気候変動への対策は、すべての人類にとって喫緊の課題だが、調査・分析・技術開発などの取り組みだけではなく、社会的・人間的な利害や判断がかかわってくるので、万人が納得しうる道筋が立てにくい。ロビンスン『未来省』では、国連の補助機関である未来省を中心に、周到にコンセンサスを形成しながら、科学技術・産業・経済・政治・外交・社会的規範などにまたがるパラダイムシフトがおこなわれる。

 それに対し、『ターミネーション・ショック』は、ひとりの人物が独断専行で大胆な気候変動対策を実行してしまう。その人物とは、膨大な資産を保有するT.R.シュミット博士。事業家としても成功しており、科学技術の知識もあり、基本的には善意で行動している。彼が計画したのは、成層圏に定期的に硫黄を散布し、そのベールによって太陽光の一部をさえぎるソーラー・ジオエンジニアリング。つまり、火山の噴火と同様の効果を人為的に発生させ、地球温暖化を食いとめようというのだ。

 もちろん、そんな前代未聞の計画を正面切って提案しても、合衆国内での許可はもとより、世界からの理解を得られるわけがない。そこでT.R.は、ソーラー・ジオエンジニアリングを観光的なロケット・ショーに偽装するいっぽう、四人の「著名な来賓」を招聘し、彼らの合意を得るかたちで計画を既成事実化しようと考える。その四人とは、海面上昇によって水没の危機に瀕している地域の代表者、つまりネーデルランドのフレーデリカ・マティルダ・ルイーザ・サスキア女王、シンガポールのシルベスター・リン博士、ヴェネツィアのミキエル(肩書きはとくにない)、ロンドンのロバート・ワッツ市長卿だ。

 自国を水没から救うという大きな目標は合致しても、簡単に一枚岩になるわけではない。腹の探りあいがあり、互いの品定めもおこなわれる。ロケット発射デモンストレーションを見学したのち、それぞれがアメリカを離れてからも、彼らのあいだの情報交換がつづく。

 いっぽう、中国は事前からT.R.の計画を察知していたらしく、気候変動に関する国際政治の領域で、さまざまな策動を仕掛けてくる。もしかすると、中国にとって好機かもしれない。つまり、石炭を燃やしつづけることへの国際的な批判が、ソーラー・ジオエンジニアリングによって緩和される可能性だ。

 それに対し、インドはソーラー・ジオエンジニアリングに強い拒否感を示す。この計画によって天候パターンが乱れ、彼らの国の農業に深刻なダメージをもたらすと考えているのだ。

 環境保護主義者は、また別の立場でソーラー・ジオエンジニアリングを認めない。そのような弥縫策では、大気中の二酸化炭素の増加はかわらず、海洋酸性化という根本的な問題は解決しないではないか。

 それ以外にも、利害の対立、思想的な軋轢、政治的策謀が幾重にも渦巻く。しかし、いったん動きだしてしまったT.R.の計画は、簡単にとめることはできない。いまソーラー・ジオエンジニアリングを停止すると、気候に破壊的な反動が生じるからだ。それが作品題名「ターミネーション・ショック」の意味である。

 こうした背景のもと、いくつものプロットが並行し、やがてクライマックスへと収束するかたちで進行する。主人公格のキャラクターは、「著名な来賓」のひとりであるサスキア女王(思慮深く行動的な四十五歳)と、彼女がテキサスに到着したときに命を救ってくれたハンターのルーファス(教養豊かでタフなコマンチ族)である。ビターな大人のラヴロマンスの要素もあるが、メインは権謀術数が交錯するサスペンスだ。

(牧眞司)

  • 未来省(The Ministry for the Future)
  • 『未来省(The Ministry for the Future)』
    キム・スタンリー・ロビンスン,坂村 健,瀬尾 具実子
    パーソナルメディア
    3,300円(税込)
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