【今週はこれを読め! SF編】街の神秘と憂愁〜『幻想と怪奇 幻影の街 ショートショート・カーニヴァル』
文=牧眞司
『幻想と怪奇』がおくる「ショートショート・カーニヴァル」は、この巻で三回目。こんかいのテーマは「幻影の街」。同誌編集室の巻頭言によれば、「町(あるいは、街)についての物語を書いてください」と依頼したそうだが、なにしろ名うての執筆者ぞろい。趣向を凝らした多彩な作品が集まった。まさしく「カーニヴァル」の名に恥じない充実ぶりだ。
「幻影の街」の文字を見て、評者(牧)がまっさきに思い浮かべたのは、萩原朔太郎「猫町」や筒井康隆「エロチック街道」など、夢のなかを彷徨するような感覚の町である。そんな期待もあってまず惹かれたのは、澁澤まこと「花を求めて」だ。語り手の中年女性は蓮を見ようと思いたち、子ども時代に訪れたことのある北鎌倉へと向かう。ところどころで感じる花のような香り。それに導かれるように、忘れていた過去へ、秘密めいた領域へと入っていく。香りもそうだが、音や色の表現が鮮やかだ。
三津田信三「もう一つの杏羅(あんら)町」は、物語中に「猫町」への言及がある。主人公は中学生のころ、散歩に出て、入り組んだ町並みの杏羅町を見つけた。その風情に魅せられて繰り返し訪れるのだが、あるとき、その町の古本屋で自分好みの怪奇小説アンソロジーを見つけ、購入できたことにのぼせあがったあげく、店を出たあと、自分がどこを歩いているかわからなくなる。切々とした不条理のなかに、どこか蠱惑的な気持ちも湧いてくる作品だ。
久永実木彦「常夏台(とこなつだい)」も、異界へと迷いこむ物語。営業の外回りで東武東上線のときわ台で降りたはずが、まったく違う駅だった。町の様子も変だが、人の様子も尋常ではない。そこは永遠の夏休みの世界で、語り手も少年になっている。どうやったらここから脱出できるのか。
こうした幻想的な趣向とはまた違う、よくこんなヘンテコなものを思いついたもんだとビックリさせられる作品もある。
随一は、勝山海百合「鱗町(うろこまち)ロズウェル」。語り手は、金沢の鱗町に引っ越してきた小学五年生(物語開始時)の少年。押し入れで寝ているとき、謎の〈友達〉に導かれ、突然、UFO事件で有名なロズウェルへと連れていかれる。SFではよくあるイマジナリーフレンドと宇宙人(もしくはそれに類する存在)を組みあわせたアイデアかと思いきや、マリアさまのお告げを受けた姉の登場によって、物語は意外な方向へと転がりだす。それも二転三転。そして、小説空間自体が多重構造。シュールな傑作です。脱帽。
センスの良さで唸らされるのは、井上雅彦「寒河江(さがえ)」。タイトルは寒河江----山形県の実在地名、SFファンにとっては半村良『寒河江伝説』でお馴染みだろう----だが、物語は東京の江古田からはじまる。語り手(作者の分身)が若い時代に通った喫茶店の想い出をきっかけに、かつて西武池袋線で通学しながら車窓から見かけた〔寒河江〕という店へと記憶は連鎖する。当時、「いつかは、あの店で珈琲を飲んでみよう」と思っていたが、それは果たせず、歳月は流れてしまった。そして現在......。井上雅彦らしいノスタルジーに満ちた奇想小説。店名の〔寒河江〕に、洒落た意味がある。
そのほかの作品も力作ばかり。以下、収録順に簡単に紹介していく。それにしてもショートショートの書評は難しい。
菊地秀行「あの町 この町」は、写真に写った、さまざまな町が題材。撮影したのは自分のはずだが、まったく記憶にない。
太田忠司「夢を見る町」では、群馬県西北部の帳市の地下に空洞が発見され、町全体が立ち入り禁止になる。避難所から逃げだした猫を探すため、町に戻ると......。
澤村伊智「フラミンゴCLUB」は、語り手が学生時代をすごした兵庫県T市にあった、ホラー映画に強い零細のビデオレンタルショップにまつわる、奇怪な想い出。
黒史郎「終末観光」では、横浜を流れる鶴見川に、おとなしい怪獣があらわれ、鶴見区役所は対応に追われることになる。おりしも世界では、怪獣と無関係に、人類滅亡の危機がせまっていて......。
今井亮太「息子の帰還」は、太平洋戦争が終わって二年後の物語。フィリピンに出征していた息子が、地元の金沢へ帰ってきた。母親はかいがいしく世話をするが、どうも彼の様子がおかしい。
芦花公園「まがいもの参道」は、語り手が友人と連れだって、新潟駅から電車で五分の住宅街を抜けた先にある小さな神社を訪れる。賽銭箱の鈴を鳴らすと、ずっと鳴りやまない。はたしてご利益があるのかないのか......。そもそもこの神社はどういう神社なのか?
高野史緒「とうきょう」は、母親とともに東京へと引っ越してきた少年(ぼく)の視点で語られる物語。そこはぼくが思い描いていたような「とうきょう」ではなかった。高村光太郎「智恵子抄」の〔智恵子は東京に空が無いといふ〕を思いださせる作品で、最後の最後にひと捻りある。
植草昌実「サイレント・ストリート」は、この著者らしい神田神保町を舞台とした物語。書店街にサイレント映画の世界が現出し、コミカルで情緒溢れるドタバタ劇が展開する。ステキに楽しい一篇。
小田雅久仁「刹那ヶ丘(せつながおか)」は、小説家の夫と、症状が脳に及ぶ病を得た妻の物語。妻はしきりに「刹那ヶ丘」という地名を口にする。夫の作品に出てきたというが、彼にはまったく覚えがない。妻と夫は、実在するかどうかももあやふやな刹那ヶ丘を探すため、電車で出かけることになる。しみじみ沁みる、静穏な幻想小説だ。
朝松健「海のそばで殺された夢」は、もう六十五年も前、幼いころに繰り返し見た夢の町「杜瓦(とが)町」についての物語。夢と記憶が混淆する昭和三十年代半ばの情景を、みごとな筆致で描きだす。やがて、町の記憶をたぐり寄せるうち、現実に起こった戦慄の真相が浮かびあがる。
新井素子「夢練馬」は、私小説とも随筆とも言える語り口が印象的だ。ここ三十年間、夢のなかで繰り返し行ってしまう町がある。現実の練馬と一緒のようで、微妙なところが違う。
深堀骨「三婆サンバ」は、もうタイトルからして脱力だが、内容はもっと凄い。舞台は杜の都・腺大(せんだい)。名物の笹かまぼこの店を切り盛りする三人の老姉妹が、かまぼこ製造のためサンバを歌って踊り狂う。わけがわからない。ホラーなのかギャグなのか、それとも違う何かなのか。なにこのグルーヴ感。
日比野心労「雁木町(がんぎまち)、本町大町桜町(ほんちょうおおまちさくらまち)」は、憧れだった町屋カフェを開店すべく、物件を求めて訪ねた町で迷子になった主人公が、偶然知りあった二人姉妹の言うがまま、旅館に長逗留することになる。ちょっと安部公房を思わせる不条理感が滲む作品。
伴名練「神保町書店探訪記」は、古本屋街にまつわる短い奇譚を五つ並べる。イタロ・カルヴィーノと横田順彌をミックスしたような読み心地。
空木春宵「産女彷徨(プリズム)」では、木々が茂り、家々が立てこむ中洲の道を、主人公が逃げまどっている。赤ん坊の泣き声、塵埃、腐食、蟷螂の卵鞘、「優生保護法指定医」の朽ちた看板、四方八方から浴びせられる視線......。戦慄的でグロテスクな情景のなか、異常な生命感が漲る。濃厚な文章が圧倒的だ。
木犀あこ「怪物」は、十歳下のまだ幼い妹に向けて、姉が送った手紙の形式で書かれた作品。姉妹が暮らす町は、外からやってくる者はいても出ていく者はいない。町の外側に怪物がいるからだと大人は言う。姉はどうしても妹に伝えておきたいことがあった......。
北原尚彦「神国首都奇聞」は、十九世紀末の松江にやってきた英国人旅行者を、「へるん先生」が出迎える。英国人旅行者はこの地で怪異に遭遇するのだが、その怪異の内容と、英国人旅行者の正体がポイント。この作者が得意とするパスティーシュだが、「それとこれをこうやってつなぐのか!」というサプライズが鮮やか。
中川マルカ「ささげもの」では、語り手が砂漠のなかの町にたどりつく。広場では、駱駝の背に無数のストローを差し、一心に吸いあげているひとびとを目撃する。不思議な異国情緒を湛えた綺譚。
池澤春菜「たった一度の、透明な」は、旅するわたしの物語。どことも知れぬ異国の町を歩きながら、わたしはあの人の影を連れている。影を連れながら、いつかどこかであの人と会えることを願っている。懐かしい歌を聴いているような、少し浮遊感のある淡い幻想譚。
西崎憲「灰の都」の語り手と同行者のフラナリーは、一冊の本を求めて世界を旅をし、独逸の灰の都へとたどりつく。その本には、良い人格と悪い人格がせめぎあうフラナリーから、悪いほうを消滅させる方法が記されているはずなのだ。ロマンチックで謎めいた、ドッペルゲンガー小説。めくるめく結末に息を呑む。
村山早紀「夕暮れの町」は、大好きなおばあちゃんの物語。語り手は幼いころ、おばあちゃんの家に預けられていたことがあった。楽しいことばかりだった時間。その後、親元に戻って、中学生になり、高校生になり、あらためておばあちゃんの町を訪れると、町の様子は少しずつ変わっている。おばあちゃんもかつての溌剌さを失っていく。ファンタスティックな結末へと至る物語だが、全般にやさしい空気が漂う。
以上が、特集「幻影の街」に寄せられた二十六篇。
また、この巻では、第三回『幻想と怪奇』ショートショート・コンテストの結果発表があり、入選作品が三篇収録されている。
最優秀作は、伊藤なむあひ「箱人間」。父親の暴力からの避難所として廃屋を見つけた少年は、そこにこもって次々と都市伝説を創案する。それらはひそかに放流され、町へと浸透していくのだ。しかし、ある日、自分がつくったものではない都市伝説----潰すと幸せになれる箱人間の噂----を聞き、少年の世界は反転していく。突き放した筆致のホラー作品。
優秀作が二篇。
Yohクモハ「とと」は、昔ながらの商店街にある酒屋の幼い少女(名前はアイちゃん)の一人称で綴られるマジックリアリズム。一匹の不格好な金魚を接点にして、ごみごみとした日常と、時空が歪む幻想とがつながる。アイちゃんの素朴で生意気、ちょっとマセた語りが効いた、とびきりの異色作。
小川ヒロミ「ドールハウス」では、語り手の若い女性ユーリが、ベランダでコビト(こちらも女性)のダムラを見つけ、一緒に暮らしはじめる。やがてダムラは人間の言葉を覚え、ふたりはいろいろなことを語りあう仲になった。コビトの存在は秘密のはずだった。しかし、ある日、ユーリの会社の同僚が、自分もコビトを養っているのだとユーリに打ちあけて......。素直な流れで物語が進む、あとあじの良いファンタジイ。
これで掲載作全部を紹介したことになる。かなりレベルの高い一冊で、ほぼ一気読みしてしまった。これからゆっくり一篇ずつ再読しよう。
(牧眞司)