【今週はこれを読め! SF編】地獄絵の世界、終わりなき航海〜韓松『悪夢航路』

文=牧眞司

  • 悪夢航路
  • 『悪夢航路』
    韓 松,山田 和子
    早川書房
    4,400円(税込)
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 超弩級の不条理ディストピアSF《医院》三部作の、本書は二冊目にあたる。第一部『無限病院』とはテーマや雰囲気において連続性はあるが、ストーリーそのものは独立しているので、本書から読みはじめても問題はない。

 なにしろ物語の冒頭において、主人公の楊偉(ヤン・ウェイ)----『無限病院』も彼が主人公だった----は、過去をすっかり失い、まったく見知らぬ状況におかれているのだ。永井豪の傑作SF漫画「真夜中の戦士」になぞらえていえば、

 そこは船上だった!

 楊偉がいるのは巨大な病院船なのだ。自動機械による検査後、病室に連れ戻されるが、それは彼の覚えている病室ではない。そのうえ、会ったこともない患者たちが口々に、奇妙なことを無闇な勢いで畳みかけてくる。

 この"船上"が、ある意味、戦場であることが読み進むうちにわかってくる。それは病気との戦いという以上に、患者同士の争いであり、病院という抑圧システムへの抗いであり、この世界全体が終わりのない戦争のさなかにあるという事実である。

 楊偉はあまりに巨大な病院船をさまよい、悪夢的な光景、異常なひとびと、歪んだ論理、ノイズだらけの情報に接していく。目の前に広がる印象は、ヒエロニムス・ボスが描いた地獄絵「快楽の園」さながらだ。

 これが絵画ならば、まず全体像を見わたし、そのうえで部分に目を向けていけばいい。しかし小説は順を追って読むものなので、全体像がわからないまま、異様な細部をひとつひとつ経巡らねばならない。それによって、この作品の悪夢性が弥増す。夢にうなされているとき、辻褄のつかないまま----ただし夢のなかではそれを当然のように感じている----場面から場面へと遷移していくが、韓松はそれを文章で再現している。

 とにかくグロテスクなエピソードの連続だ。

 たとえば、船内でおこなわれている謎めいた長寿プロジェクトの一環として、肺藻類の収穫がある。肺藻類というのは、海面を漂っている紫色の花に似た形態の有機生命体で、ベーシックな知性を持っている。その収穫には危険をともなうのだが、作業員の命は一顧だにされず、楊偉も強制的にその仕事に投入されてしまう。やがてわかるのだが(といってもその情報の確度は保証の限りではない)、肺藻類はもともと臓器移植のために試験管内でつくられ、人工知能を植えつけられたものだ。そのプロトタイプが海に遺棄され、野生化したという。

 あるいは、楊偉は船内で知りあった仲間とともに"天空の階段"を登り、空気が薄くなる領域で、巨大な陶製の球体を目にする。それは病院船の火葬場なのだ。そんな場所に火葬場があるのも異様なのだが、それ以上に異様なのが火葬の運営だ。もともとディーゼルオイルを用いていたが、エネルギー不足のため、燃料に人間の脂を使うようになった。火葬場の火を絶やさぬために死体が必要なのだが、その死体を医師たちが他に転売していることで、火葬場は危機に瀕しているという。なんという転倒した事態だろう。

 この病院船はまったくの異世界のような感触があるが、ふいに『戦争と平和』『ブラック・ジャック』『12モンキーズ』『宇宙戦艦ヤマト』『紅の豚』といった作品、さらにはドナルド・トランプへの言及があり、私たちの現実と地続きであることが示される。ただ、その地続きがどのようなものかは判然としない。はたして病院船はどこを、なんのために航海しているのか?

 重要な鍵となりそうなのは、物語中盤で示されるナラティヴ移植セラピーだ。その根本は、病を精神的な作用として再定義するところにある。患者の脳内に継続的な記憶をつくりだすことで、すべての疾病は治療でき、不死すら達成できるという。それを敷衍すると、宇宙が意識をつくりだすのではなく、意識が宇宙をつくりだすことになる。ひじょうに胡散臭いが、その胡散臭さそのままをテクノロジーに落としこんでしまうのが、病院船の恐ろしいところだ。

 このあたりからフィリップ・K・ディックを思わせる摸造記憶、歴史改変、独自の宇宙論が物語に混ざりこむようになり、事態は混乱したままスケールアップしていく。

(牧眞司)

  • 無限病院
  • 『無限病院』
    韓 松,山田 和子
    早川書房
    3,410円(税込)
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