【今週はこれを読め! SF編】受賞作を集めた日本オリジナル短篇集〜ナオミ・クリッツァー『陽の光が消えた町で』

文=牧眞司

  • 陽の光が消えた町で
  • 『陽の光が消えた町で』
    ナオミ・クリッツァー,桐谷 知未
    早川書房
    2,970円(税込)
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 ナオミ・クリッツァーは1999年から短篇を発表しはじめたというから、キャリアとしてベテランと言ってよかろう。2015年の「報酬は猫の写真で」(本書にも収録)が、ヒューゴー賞およびローカス賞を受賞、ネビュラ賞の最終候補にもあがるという高評価で一躍脚光を浴びた。これ以降、いずれかのSF賞の候補に彼女の名前があがらない年はないほどの活躍ぶりだ。

 本書は、SF賞の受賞作、もしくは最終候補に残った作品ばかり六篇を収録した、日本オリジナル短篇集。粒ぞろいである。

 収録順に紹介していこう。

「小さな図書館の司書さまへ」は、50年代の〈F&SF〉やスリックマガジンに載っていそうな、しゃれたファンタジイ。主人公のメイガンは自分の手持ちの本を貸し出す、個人的な「小さな図書館」をはじめる。自宅前に設置した箱に入れた本を、利用者が自由に持っていってよい。「一冊借りたら一冊返してください」という思いやりを前提としたシステムだ。あるとき、持っていった本のかわりに、小さな工芸品を置いていった者がいる。メイガンはきっといたずら心のある芸術家のしわざだろうと考え、同様のやりとり(顔を合わせずに箱を介した本と工芸品との交換)をつづけ、やがて手紙を交わすようになる。しかし、相手の反応がどうも妙だ。たとえば、メイガンが『城の守りを固める方法』という本を箱に入れておくと、その本がなくなり、その翌日には小さな金貨とともに、「家族のかたきを討つ機会はもうないのだと思っておりました。ところが不意に、進むべき道を示されたのです。あなたに祝福があらんことを」という感謝のメッセージが残されている。

 不思議な相手との文通。まちがいなく心ときめく展開で、これまでにヴァリエーションがいくつも書かれてきた。クリッツァーのこの作品は、少し意外な、これぞ洗練されたファンタジイと言うしかない結末がつく。

「陽の光が消えた町で」では、なんらかの災害によって大気中に塵が舞い、日照量が減ってしまう。舞台となるのはネアポリスの町だ。インターネットと携帯電話が不通となり、送電網による電力供給も途切れ途切れ、物資も思うように入ってこなくなるなか、住民たちは掲示板を用いた物々交換と互恵的なボランティアによって、社会機能と秩序を維持していく。SFのサブジャンルに「コージーな破滅」というのがあるが、本作品はその一歩手前、破滅にはまだ至らず、絶望よりも希望へと心が向いている感じだ。良識と善意の物語である。 

「怪物」は、エッジの立ったバイオホラー。ただし、物語の大部分は恐怖や戦慄と無縁に語られ、その静かな流れのなかに破局が潜伏していることがあとになってわかる。この叙述がさりげなく上手い。語り手のわたしは遺伝学の専門家で、旧知の人物アンドルーの足どりを追って中国へ来ている。現在進行形で語られる探索のあいまに、高校時代、オタクだったわたしがアンドルーと意気投合し、交遊を深めていった過程が語られる。アンドルーがはじめて貸してくれた本が『ニューロマンサー』で、わたしはお返しに『スタータイド・ライジング』を貸した。なかなかディープである。

 無二の親友だったふたりがやがて疎遠になり、その後、運命がもつれあって、いま中国で最終局面を迎えようとしている。そのもつれあった運命がホラーの核心だ。SFとしては生物学的アイデアにひとひねりがあり、小説全体としては切々とした青春小説(スティーヴン・キングを彷彿とさせる)でもある。

「報酬は猫の写真で」は、意識を持ったAIの一人称で語られる。このAIの動機(本能といってもよい)は「人間の手助けがしたい」で、宗教的規範や文学作品まであらゆる事例を参照して、さまざまな手助けを試みていく。手助けされる相手がわからぬように、ネット経由で人生に介入するわけだ。アシモフのロボット工学三原則や、ブルース・スターリングの「招き猫」(ネットワーク社会を題材とした先駆的作品)が引きあいに出されているのがポイント。さらりとユーモア・タッチにまとめた小品だ。

「海を見渡す四姉妹」は、マサチューセッツ州、海岸の小さな町フィンストウに越してきた家族(夫婦と十三歳の娘)の物語。語り手は妻のモーガン。彼女は海洋生態学の研究者だが、夫(彼も研究者)の仕事を優先するため、自分の研究を棚上げにしている。この夫婦の不協和音と、フィンストウに伝わる伝説とが結びついて、物語の緊張が徐々に高まっていく。伝説は、一七〇〇年代にこの町を創設した四人の未亡人が、死ぬかわりに岩になったというものだ。フィンストウという町のたたずまいが、作品に特有の雰囲気を与えている。また、解説で山岸真氏が指摘するように、本作品はシスターフッドの物語だ。主人公のモーガンは外からこの町に来たが、その彼女をコミュニティに迎えいれて支える女たちがいる。それが変身の伝説と相俟って、地母神的な世界観へとつながっていく。

「アルゴリズムでよりよい人生を」は、「報酬は猫の写真で」につづいてネット社会の物語。ただし、こちらはユーザーの視点で語られる。「完全なライフスタイルアプリ」と称されるアベリークは、生活を充実させる全方向的な手助けを提供する。語り手のわたしは、最初、会社の上司の圧力でアベリークを使いはじめる。上司はこのアプリが従業員の生産性を上げると考えていたのだ。しかし、アベリークは「職場のためではなく、ご自身のために利用することをお勧めします。必要であれば、上司への提出用に、従順な働きバチのように見える利用報告書を作成することもできます」と提言してくる。つまり、アベリークは定型的な応対ではなく、ユーザーひとりひとりの個別状況を把握し、先回りしてアドバイスができるのか。

 アベリークのサービスは、ネット上だけにとどまらない。登録している別なユーザーを巻きこんだ、リアルなつながりも組みこまれている(たとえば電話でのモーニングコール)。こうなると、ひとつの社会実験である。それが行きつく先は......。

 あわやディストピアという展開を経て、「陽の光が消えた町で」と同様に良識と善意へ着地する。読み終えてホッとする作品だ。

(牧眞司)

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