【今週はこれを読め! SF編】不死者の世界を旅する、特殊設定ミステリ〜悠木允『さまよえる永遠』

文=牧眞司

  • さまよえる永遠
  • 『さまよえる永遠』
    悠木 允
    東京創元社
    1,980円(税込)
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『さまよえる永遠』は、第36回鮎川哲也賞の受賞作。この欄で取りあげるのは、架空度が高い特殊設定ミステリだからだ。ゴーストや吸血鬼など死を超えた者たちが存在する世界で、不可解な事件が起こる。主人公のムラカミ・シオンも不死だ。彼女は専業の探偵ではなく、国境をまたいで旅をするなかで事件に遭遇し、なりゆきで謎に挑戦するはめになる。全篇は四つのエピソードで構成されており、各話は事件解決においてはそれぞれ完結しているが、シオンを旅に駆りたてる動機という点で統一的テーマが貫かれている。

 第一章「ゴーストはお菓子箱の中で踊る」は、シオンがゴーストの領域に入ったところから物語がはじまる。領域はカーディナルと呼ばれるゴーストの主が統べており、範囲内で死んだ者はゴーストになる。ただし、自由にゴーストになれるわけではなく、通常ならばカーディナルの承認が必須なのだ。承認を得るため、希望者はサーヴァントとしてゴーストに仕えている。しかし、この物語では予想外のアクシデントが起こる。ゴーストの定員に空きが出て、次のゴーストになる順位だったハロルドというサーヴァントのための儀式(いわば「神聖なる死」だ)が取りおこなわれようというタイミングで、領域内で死んだ者がおり、順位に割り込むかたちでゴーストになったのだ。ハロルドはゴーストになれぬまま、精神は消滅してしまう。

 その割り込みゴーストの青年アンダースは、どうやら殺されたらしい。だとしたら犯人は? 動機は? ハロルドの儀式との関連は? シオンは、予期せずゴーストになって戸惑っているアンダースと知りあい、カーディナル領域のホテルにサーヴァントとして務めながら、事件の核心へと接近していく。ゴーストの社会を構成するさまざまなキャラクター----ゴーストもいればサーヴァントもいる----が登場し、独自の文化や慣習が読者の前に披露される。

 特殊設定ミステリは、特殊設定たる条件(ミステリという知的ゲームのルールだ)を明確にしなければ、読者に対してアンフェアだ。この作品の場合、ルールを構成する事項がいくつもあるのだが、物語のなかにうまく溶けこむかたちなので読んでいてストレスはない。

 そして、第二の事件が起こる。犠牲となったのは、有力ゴーストと、彼の腹心だったサーヴァントだ。シオンにも容疑が降りかかり、まずそれを晴らさねばならない。また、第一の事件との関連はあるのか、ないのか?

 終盤の謎解きは一直線ではない。解いた謎の先にまだ隠されていること、あるいはシオンが気づかずにいたことがあり、それをクリアしながら、事件の全容解明と一番の犯人(ラスボス)との対峙を果たす展開だ。そのラスボスが、ある問いをシオンに投げかける。

 第二章「骸骨兵は砂漠の国で笑う」は、王の目覚めを千年ものあいだ待ちつづけた骸骨兵たちが住むアランカル王国が舞台だ。その昔、敵対した異国の軍勢に侵攻されたとき、王は起死回生の策として秘術を用い、人びとを骸骨に変え、自分は眠りについたのだ。その眠りから覚める時期が、いよいよ到来する。しかし、密室状態だった臥所が開かれると、なんと王は死体になっていた。状況からするかぎり、目覚めたとたんに槍で貫かれのだ。

 第三章「胡蝶は夢の外で羽ばたく」は、不死の研究をおこなっているモルフォウ教団での事件。望んでこの教団に参加したノゾミという女性が、不死者へ変化する兆候の聖痕が出た、その直後に転落死する。シオンは事件とは関係なくモルフォウ教団に来ていたが、ノゾミとは彼女が教団に参加する以前からの知りあいだった。このエピソードでは、事件のなりゆきと並行して、シオンが不死者になった過去の経緯が語られる。

 第四章「不死者は旅路の先で」は、不死者がたどりつく場所である、最果ての地エルピスが舞台。エルピスはふつうに存在する町だが、地理的条件によって発見されにくく、生身の人間は到達する手段がない(シオンは途轍もない方法でこの町に入りこんだ)。エルピスで起きていたのは、不死者を強襲して拘束し、身体を解体して盗む連続事件だった。盗まれる部位はさまざまだ。不死者だから死なぬが、盗まれた部位は元には戻らない。エルピスという町のありようといい(とくに町を時計回りに歩くと、中世→近代→現代と変化していく町並み)、事件の内容といい、まるでシュルレアリスムの絵画、あるいはナンセンス童話のようだ。

 第一章でシオンに投げかけられた問いは、第二章、第三章での経験を踏まえて、第四章でひとつの結論へと到達する。ミステリとして知的興味に訴える部分と、感情的・哲学的な希求への共感を誘う部分、そのバランスが良く取れている作品だ。

(牧眞司)

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