【今週はこれを読め! SF編】ル・グィン的設定、ティプトリー的テーマ〜ジェフ・ライマン『オムニセクシュアル ジェフ・ライマン傑作選』

文=牧眞司

  • オムニセクシュアル (オムニフィクション)
  • 『オムニセクシュアル (オムニフィクション)』
    ジェフ・ライマン,鯨井久志,中村融,古沢嘉通
    国書刊行会
    3,300円(税込)
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 新しい海外SF叢書《オムニフィクション》がスタートした。コンセプトは「どこまでも開かれた生身の想像力のために」。女性作家・クィア作家を中心とした、意欲的なラインナップが発表されている。本書はその第一回配本。知る人ぞ知るジェフ・ライマンの、日本オリジナル作品集だ。編訳者である鯨井久志氏は、「解説」で「ライマンが繰り返し描いてきたのは、クィア、女性、移民、老人、障害者、貧困層といった、既存の社会の中心からこぼれ落ちた人びとの生であった」と指摘している。九篇を収録。

 表題作の「オムニセクシュアル」が表現しているのは、汎生殖宇宙とでも表現するしかない、性愛と官能が限りなく連鎖していくありさまだ。「精液が千のまぶたの下から噴きだしてきて、目を焦がした。それはウツボの口から、多くの肛門から、たくさんの性器から流れだし、月光の色をした飛び跳ねる合唱となった」というような叙述が平然と繰りだされるが、部分部分を取りあげてみればSF的シチュエーションとして了解可能なところもある。まあ、無理に理屈づけて解釈するより、アヴァンギャルドな幻想小説として読むべきだろう。

「ポル・ポトの美しい娘」は、大虐殺をおこなった独裁者としてあまりに有名なポル・ポトの娘セット(あくまでこの小説内の架空の存在だ)を主人公として、ポル・ポト政権以降のカンボジア現代史をたどる。内容は史実通りではなく寓話風、ただし細部の描写はリアルだ。虐殺された者たちは、携帯電話や複写機などのテクノロジーに取り憑き、おびただしいメッセージを現世に送ってくるが、セットはそれに目を向けようとせず、携帯電話販売店の店員である青年との恋愛に一所懸命だ。死者たちのいつまでも癒えぬ想いと、セットのままならぬ日常が醸しだす不思議なユーモアが、絶妙な対照をなす。もちろん、セットはいつまでも無邪気ではいられず、過去からつながっている現在と向きあうことになる。静かに沁みるような結末が印象的だ。

 取り返しのつかない歴史の傷という点で共通するのが、1984年に発表、英国SF協会賞と世界幻想文学大賞を受賞し、一躍、ライマンの名を高らしめた「征たれざる国――ある一代記」だ。隣国からの侵略・占領・反政府活動によって、混乱ばかりがつづく架空の国(鯨井氏の「解説」によれば、カンボジアないしベトナムを思わせる幻想的な国)を舞台としたマジックリアリズムである。機械部品生産のために子宮を貸す女、かつて人間だったと伝えられるが現在は低空を飛んで地上を攻撃する〈サメ〉、コカコーラのキャンペーンを往来で人びとに訴えかける奇矯な広告体......といったガジェットやSF的イメージが随所にちりばめられているが、作品全体に充満するのは、地を這い、土を舐める人間たちの血、熱、匂いである。

「影たちは笑う」も架空の国が舞台だが、こちらは女性だけで単性生殖をする島国〈コリーナ・ブラーヴァ〉が題材で、アイデアとしては生物学的SF、小説の雰囲気としてはユートピア小説だ。この国は、古くは西洋の異国趣味ロマンス小説で取りあげられ、現在はディズニー社が所有する観光客向け〈特区〉が設けられているというあたり、独特の皮肉が効いている。語り手は、医療的指導のために〈コリーナ・ブラーヴァ〉を訪れた女性科学者のわたし。わたしは現地の女性イーヴィに惹かれていくが、この国の種族には人間的な恋という概念も、生物的な衝動もない(性的な快楽はあるようだ)。そもそも所有ということ自体がないのだ。性をめぐる設定はアーシュラ・K・ル・グィン『闇の左手』を裏返しにしたと言えなくもないが、わたしのイーヴィに対する憧憬・執着に着目すれば、ジェイムズ・ティプトリー・ジュニア「そして目覚めると、わたしはこの肌寒い丘にいた」を彷彿とさせる(ただし、あれほど破壊的ではない)テーマが浮かびあがる。

(牧眞司)

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