【今週はこれを読め! エンタメ編】フィギュア愛がびんびん伝わる碧野圭『跳べ、栄光のクワド』

文=松井ゆかり

  • 跳べ、栄光のクワド (小学館文庫 あ 48-1)
  • 『跳べ、栄光のクワド (小学館文庫 あ 48-1)』
    碧野 圭
    小学館
    759円(税込)
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 フィギュアの世界選手権、終わってしまいましたね。ゆづ&ネイサンの出場はなかったものの(個人的にはボーヤンの不在も痛い)、しょーま&ゆーまくんの日本人ワンツーフィニッシュは快挙! 女子シングルのさかもっちゃんやりくりゅうペアも素晴らしかったです。あと友野くんも、わかばちゃんも河辺ちゃんも、海外勢も...と、ご興味のない方には意味不明な固有名詞を並べてしまったことからもおわかりかと思いますが、実は私もファンの端くれ。今年はまだまだコロナ禍という不安材料がありましたが、オリンピックの開催は喜ばしいできごとでした。

 そんなスケオタ(ライト~重度)大歓喜間違いなしの小説がこちら。物語の中心にいるのは川瀬光流という圧倒的な才能に恵まれたスケーター。めきめきと頭角を現した後、オリンピックで金メダルを獲得。しかし、ずっと第一線で活躍し続けてきた彼も27歳となり、そろそろ引退がささやかれている。そんな光流が全日本選手権という大きな大会を目前にして、「ショートの試合の前には必ず戻りますから、探さないでください」という書き置きを残して失踪してしまい...。

 ジャッジ(審判)や実況アナウンサーといった周囲の人々が光流についてどう見ているかやどう考えているかを描くことで、唯一無二の選手である彼の存在感を際立たせるのに成功している。素晴らしいのは、章ごとの主役たちのキャラクターや仕事ぶりも丁寧に描かれていること。もう、「第一章 ジャッジ」から激しく心をつかまれた。「採点ってこういう風にされているんだ!」といった部分もよくわかり、職業小説としての読み応えもばっちり。

 光流の母親である文恵が語り手となる第四章は、身につまされるところも多々あった。もちろんうちの息子たちは世界トップクラスの人材などではないが、親離れ子離れの問題はどの親子にとっても避けて通れないものではないだろうか。この章を読んでいると、どのようにして母と子の気持ちにずれが生じていったかがわかる。そのすれ違いは、どちらが悪いとか責められるべき要因があるとかではなかったのだと。

 世界の頂点に立つために多くのものを犠牲にしてきた、川瀬光流の孤独を思う。それでも、光流の思いはたくさんの人に届いていたと思うし、彼が姿を消したのも理由があってのことだった。どんなにファンがいても、信頼できるスタッフがいても、孤独でなければ見ることのできない景色というものもあると思う。本書を読んで、登場するスケーターたちに実在の選手の姿を思い浮かべる読者も多いに違いないが、それでも光流は光流である。とはいえ、実際のアスリートたちも光流同様、悩み苦しみながら戦っていることは容易に想像できる。光流の心情に心を寄せることは、孤高の選手たちを知ることにもつながるはずだ。

 さて、この文章の最初の方で"スケオタ大歓喜"と書いたけれども、訂正...というか補足したい。フィギュアに興味がないという読者の方々にも、ぜひお手にとってみていただきたいと。確かに本書で中心となっているのは希有な才能を持ち多くの人々から憧れられるスケート選手であるが、それと同時に、彼は"息子"や"仕事仲間"でもある。結局のところ、どんなに優秀な人材であっても、社会においていちばん大切にすべきは家族関係も含めた人間関係ではないだろうか。そこで必要となってくるのは、社交性やトーク力以上に、どれだけ誠実でいられるかということだと個人的には思っている。ただそういった姿勢は、時に物事をややこしくすることもあるのがやっかいだ。誠実であろうとして身近なスタッフや母親にさえも黙って姿を消した、川瀬光流が胸に秘めた思いの行方を、すべての読者に見届けてほしい。

 いやもう、著者の碧野圭さんのフィギュア愛がびんびんに伝わってくる作品でした! 私などがファンを名乗るのもおこがましいと反省させられるほど、豊富な知識に裏打ちされた物語を読ませていただき大感激です(泣)どのように取材を進められたのか、そしてどれだけ選手や彼らを支える周囲の人々の気持ちに近づこうとされたか、そのあたりのこともぜひ書いていただけたらうれしいのですが。さらに装画と解説が、槇村さとる先生なんですよ! 往年の名作スケート漫画「愛のアランフェス」を彷彿とさせる美麗イラストと、スケートへの造詣深い文章までもが堪能できる一冊。本文もイラストも解説も、すべてが素晴らしいです。読むしかないですよ、ほんと。

(松井ゆかり)

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