【今週はこれを読め! エンタメ編】気持ちがぐらぐらする連作短編集〜大石大『死神を祀る』

文=松井ゆかり

 読んでいて気持ちがぐらぐらしてしまうような小説だった。この神社に参拝することは自殺と同じで、とんでもない→でも、認知症や病気で苦しむくらいなら安らかに死んでしまった方がいいかも...→いや、やっぱり生きていてこそだ→いやいや、でももし選べるなら...と、何度も堂々めぐりに。

 『死神を祀る』で物語の中心となっているのは、東北の架空都市・はるみ市にある名前も知られていない神社。死神を祀っているらしいその神社は、「祈りを捧げた人に極上の死を与えてくれる」「毎日欠かさずお参りに行くと、三十日目に祈りが死神に届き、その日の深夜〇時ちょうどに、この世のものとは思えないほどの恍惚を感じながら命を閉じることができる」と評判のスポット。もともとは地元で密かな噂になっている程度だったが、ある参拝者が書き遺した文章がネット上で話題になったことで、はるみを訪れる人々が急増することに。

 本書は連作短編集。真剣に死を望む者、生と死の間で迷う者、知らぬ間に巻き込まれている者...と、登場人物たちの事情もさまざまだ。例えば第一話の「私の神様」、晴海高校2年の未莉・舞子・友紀奈は同じ中学の出身。未莉と友紀奈は当時から同じ演劇部員で親しくしていたが、舞子は今年度同じクラスになって初めてよく話すようになった。舞子は女子バスケ部で期待のエースだったけれども、祖母を介護するために中2の終わりに部活を辞めていた。未莉は自分から立候補して文化祭での劇の主役を射止めたものの、中学のときに舞台で大失敗したトラウマがあり、うまく演じられるだろうかと常に不安に苛まれている。未莉は「毎朝レンタカーで神社を訪れ、いつも和菓子を供えて参拝しているらしい」老夫婦の噂を聞きつけ、自分も神頼みをしようと思い立ち...。

 10代の頃の友情は得難いものだ。しかしながら、若さゆえに相手への思いやりや配慮といったものが行き届かないことも往々にして起こり得る。舞子には未莉の悩みがぜいたくなものに見えていたのだろう。未莉の悩みはあくまでも本人だけのもので、勇気を出せば解消する種類のものであるが、自分の場合は祖母がいる限りこの状況から逃れられないのだと。未莉も自分のことで手一杯ということもあり、高校生という若さで介護要員とされる友だちの辛さに思いが至らない部分があるような印象。第一話から発生したモヤモヤした感情は、全編を通じて心に残り続けた。

 しかし、このように読者を悶々とさせる要素はむしろ、本書にリアルさを与えてもいる。第六話の「死者でよみがえる街」の中心人物は、はるみでケーキ店「パティスリー スウィーテンド」を営む猛。彼は、神社への参拝者の増加によって売り上げが過去最高となっている状況に複雑な思いを抱いていた。「死のうとする者たちのおかげで店が繁盛している」という罪悪感や「参拝者と思われる人の接客をしながら、この人はもうじき死ぬのだ、と考える」つらさが、猛の心を重くさせている。儲けが見込めそうな今こそ稼ぎ時と息巻く者、店に日参している客は死に向かおうとしていると知りながらなぜ止めないのかと猛を責める者、そして認知症が進んだ実母。彼らに、猛の内心の葛藤は理解されない。果たして猛がどのように自分の気持ちに折り合いをつけたかは、ぜひお読みになって確かめていただきたい。

 もう死ぬしかないと思い詰める人、あるいはふとした拍子に死んでしまおうと思ってしまう人、自殺者が増えたとしても自分の利益を優先させるような人はいくらでもいる。立場が変わればものの見方も変わる、そういう意味で絶対的な正義というものは存在しないということを、美化することなく描ききった著者の観察眼や筆力にはこれからも期待したいと思う。

 いろいろと考えさせられる作品で、心が乱れる場面も多々あったけれど、読めてよかった。現時点での結論としては、やっぱり人は可能な限り生き続けるのがよいと考えている(とはいえ、いまのところ前向きな気持ちを保てているというだけであって、将来的に"30日参拝すれば楽に死ねるなら万々歳"と方向転換する可能性はないとはいえない)。そう考えると、自分をこの世につなぎ止めてくれるアイテムが多くあるとよい。まだまだ読みたいものがあるから死ねないと思えるような本にたくさん出会いたいと願ったり。

(松井ゆかり)

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