【今週はこれを読め! エンタメ編】介護の現場で働く若者の成長小説〜丸山正樹『ウェルカム・ホーム!』

文=松井ゆかり

 母が亡くなったときのことを思い出しながら読んだ。亡くなる数年前に認知症を発症した母は、直前までデイサービスに通っていた。ケアマネージャーさんをはじめスタッフの方々にはいくら感謝してもしきれない。そんなわけで、世間には介護従事者に対して尊大な態度をとったり失礼な発言をしたりする人がいるということが個人的には信じられない。しかし、そうはいっても自分だって介護の仕事をされている方々の胸の内は全然わかっていなかったのだなと、本書を読んで改めて思い知らされた。

 主人公の大森康介は東京・葛飾区の特別養護老人ホーム「まほろば園」で働く27歳の若者。長野県の高校を卒業後、上京してデザイン関係の専門学校で学んだものの、専攻を生かした職業に就くどころか正社員として雇用されることすらできなかった。派遣社員として数年間働いたが、複数回の派遣切りを経験した後に介護職の資格を取り、「まほろば園」に採用されて2か月。毎日辞めたいと思っている康介だったが、拒食状態に陥っていた入居者がある日に限って夕飯を完食した謎が解けたことをきっかけに、「この仕事、結構悪くないのかもな」と思えるようになったのが第一話。...ということですべてがうまくいけば万々歳だが、世の中はそう甘くない。入居者たちの謎の行動に翻弄されて四苦八苦する日々は続く。

 介護職が立派な職業であることは言うまでもないことだ。にもかかわらず、介護従事者を下に見る者がいることもまた事実といえよう。第三話では、長野から上京してきたメンバーで開かれている高校のクラス会に、康介は久しぶりに出席する。クラスのマドンナだったミホちゃんは遅れて参加するらしい。会が始まって間もなくは、同級生たちの消息や噂話が続いていたが、次第にそれぞれの仕事の愚痴が中心に。非正規雇用の同級生たちも多い中、正社員として働く康介は「エリート」扱い。悪い気はしない康介だったが、現在の派遣の仕事が契約切れになったら「介護の仕事でも」やろうかという同級生のひと言に気持ちが落ち込む。

 一次会で切り上げたもののこのまま帰る気になれず、康介は月に2回ほど通っているファッションヘルス「いたずら子猫ちゃん」に足を運ぶ。ずっと指名している人気ナンバーワン嬢のこのみちゃんに酔った勢いを借りてデートを申し込むもはぐらかされ、「こんな仕事をしてる奴なんて嫌なんだろう」と絡む康介。しかし、そんな康介にこのみちゃんは「私がこういう仕事をしているから、自分と釣り合うって思ってるんだよね」と返すのだった。

 "職業に貴賎はない"という言葉を知ってはいても、それはあくまでも建前ととらえる人も多いに違いない。私自身、他人を先入観で判断するのは恥ずべきことと思っているつもりだが、康介が風俗通いをしているのを知っても彼を見る目にまったく変化なしと言い切る自信はない。本書は、その人の持つ偏見をあぶり出す装置のようなものでもあるのかもと思った。

 さて、先入観や偏見で見られがちなのは、介護される側も同様である。「まほろば園」の入居者は、何かしらの不自由を抱えている人たちばかりだ(しかも、個性が強くスタッフを手こずらせるキャラも多い)。病気の人、体に障害のある人、精神的に障害のある人、コミュニケーション能力に問題のある人、上記の状態が複数当てはまる人...。しかし、自力でできることが限定されていたり判断や認知の能力が低下していたりする人からといって、適当に対応していいということはない。介護施設や障害者施設で発生する問題の多くには、そういった意識が関係しているだろうなと考えさせられた。

 ...と、人間関係の難しさについて書き連ねてしまったが、康介の成長物語として読めば本書の前向きな面を堪能できる。入居者たちに関係するトラブルは日々発生する。けれど、彼らや3つ年上の鈴子先輩をはじめとする同僚たちとの交流を通して、康介が介護職員として一人前になっていく様子を追いかけることができる。終盤で起こる大騒動には驚かされるが、果たしてこの難局を康介がどのようにして切り抜けようとするかというのも大きな読みどころ。

 現実の生活で向き合うべき問題を、ユーモアを交えながら、しかも重くなりすぎずに描くのはほんとうに難しいことだ。シリアスな題材を重厚に描くことが効果的な場合ももちろんあるけれど、まずはそこに問題が存在するのだと知ってほしいときに、おもしろさで読者を引きつけるのは有効だと思う。『ウェルカム・ホーム!』は、そういった形で押しつけがましくなく私たちに伝えてくれるのがありがたい。著者の丸山さんはこれまでどちらかというと硬派な作品を書かれてきた作家だと思うけれども、ユーモラスな感じもいける口でいらっしゃるのは間違いないので(←Twitterでのご発言などから予想する限り)、今後は両輪でやっていっていただけたらと期待しております。

(松井ゆかり)

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