『復活の日』と早瀬未沙に涙するドミニカ系オタクの痛すぎるラブストーリー

文=大森望

  • オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)
  • 『オスカー・ワオの短く凄まじい人生 (新潮クレスト・ブックス)』
    ジュノ ディアス,Diaz,Junot,幸治, 都甲,尚美, 久保
    新潮社
    2,640円(税込)
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 2008年のピュリツァー賞と全米批評家協会賞の二冠に輝いたジュノ・ディアスの長編『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』(The Brief Wondrous Life of Oscar Wao, 2007)が新潮クレストブックスから邦訳され、早くもTwitter上で読者から熱い支持の声を集めている(トゥギャッターのまとめ http://togetter.com/li/107159 参照)。

 独裁政権下のドミニカ共和国を描く長編としては、マリオ・バルガス=リョサ『チボの狂宴』、エドヴィージ・ダンティカ『骨狩りのとき』(ともに作品社)が昨年相次いで邦訳されたが、同じ歴史ものでも、本書のアプローチはそれとはまったく違う。

 現代パートの主人公は、ドミニカ系アメリカ人のオスカー・デ・レオン。ドミニカの男は、女にめっぽう手が早いことで名を馳せ、「童貞で死んだドミニカ人の男はいまだかつてひとりもいない」と言われるほどだが、オスカーは例外中の例外で、まるきり女にモテない。彼がどういう人間なのか、作中から引用してみよう(ただし、煩雑になるため、膨大な訳注は省略しました)。

 オスカーは小さな頃からオタクだった----トム・スイフトのシリーズを読み、マンガを愛し『ウルトラマン』を見るような子供だった(中略)オスカーはSFをむさぼり読んでいた。ラヴクラフト、ウェルズ、バローズ、ハワード、アリグザンダー、ハーバート、アシモフ、ボーヴァ、ハインライン。(中略)エルフ語で書けたし、チャコブサでしゃべれたし、スランとドルセイとレンズマンの違いをほんの細かいところまで言うことができた。スタン・リーよりマーヴェル・ユニヴァースに詳しく、ロールプレイング・ゲーム狂いだった。(p.32)


 他のみんなが初恋や初デートやファースト・キスの畏れと喜びを経験していたころ、オスカーは教室の後ろのほうに坐り、ダンジョンマスター・スクリーンの向こう側から、自分の青春が流れ去っていくのを眺めていた。(p.36)

 そして自分でも何が起きているのか気付かぬうちに彼がはまりこんでしまったのは、自分が高校で専攻してきたものの大学版と言うべきものだった。モテない病だ。(中略)姉はオスカーに忠告を与え、彼は静かにうなずき、そのあとE系統のバス停のベンチに坐ってすべてのかわいいダグラスの女の子たちを眺め、人生どこで間違ったのだろうと思うのだった。本やSFのせいにしたかったが、彼にはできなかった----それらがあまりに好き過ぎたのだ。(p.67)

 ......とまあ、思わず心から共感してしまうような典型的ダメオタク。生身の女性に興味がないどころか、ありすぎるほどなのに、体重140キロに達する肥満体とコミュニケーション能力の乏しさが災いして、まったく女性と付き合えない。

 オスカーは日本の映画や漫画やアニメも大好きで、一番好きなのは『AKIRA』だが、史上二番目に気に入っているアニメは『ロボテック』(『超時空要塞マクロス』『超時空騎団サザンクロス』『機甲創世記モスピーダ』の3本を翻案・再編集したアメリカ版)。
〈リック・ハンター(一条輝)が最後にリサ(早瀬未沙)と結ばれたとき、彼はテレビの前で泣き崩れた〉(p.64)という。

 もうひとつ、オスカーが偏愛するのは、草刈正雄が主演した映画版『復活の日』。いわく、
〈特に『復活の日』は最後まで涙なしには見られなかった。日本人のヒーローがワシントンDCから歩いてアンデス山脈の尾根を縦断し、南極点の基地まで辿りつくのだ。自分の理想の女性に会うために。〉(p.46)

 オスカーの一生を決定づけたのは、9歳のときに読んだ『指輪物語』だった。

 ......それは彼が初めて見つけたときから、最愛の書物であり最高の安らぎだった。オスカーと『指輪物語』の出会いは九歳のときで、途方に暮れ孤独だった彼に、仲の良かった図書館員が言ったのだった。ほら、これを読んでみたら。そしてこの一言が彼の人生を変えた。三部作をほぼ最後まで読み通し、「そして遠いハラドから......半分トロルのような黒い人間たちがいました」という文章まで来てオスカーは中断しなければならなくなった、彼の頭と心があまりにも痛んだのだ。(p.368)


 トルヒーヨ時代のドミニカを描くために、どうしてこんなオタクの主人公と、かくも大量の作品名が必要だったのかは、読み進むうちにわかってくる。トルヒーヨが冥王サウロンに、当時のドミニカがモルドールに喩えられることかもわかるように、とても現実とは思えないほど悲惨な----ファンタジーやRPGやスペースオペラとでも思わなければリアルに感じられないような----現実を描くために、大量のオタク的記号が投入される。
"カリブ海の呪い"をはじめ、幻想的な要素も多少は含まれるものの、むしろこれは、ラテンアメリカ文学の魔術的リアリズムとは反対の方向に働く、オタク的リアリズムと呼ぶべきだろう。

 ほとんどの読者にはマニアックすぎて理解不能なネタも多数出てくるが、この邦訳版には、TRPG系ライターでSF評論家の岡和田晃が担当した懇切丁寧な訳注がものすごく大量に入っているのでご心配なく。逆に、腕に覚えのオタク系読者なら、蘊蓄クイズ的に訳注だけ拾い読みする楽しみもありそうだ。

 なお、3月21日(月・祝)14:00より、新宿高島屋5F 紀伊國屋書店連絡口特設会場にて、『オスカー・ワオの短く凄まじい人生』刊行記念トーク(都甲幸治×岸本佐知子)開催予定。http://www.shinchosha.co.jp/event/#20110321_01

(大森望)

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