【今週はこれを読め! ミステリー編】心を鷲掴みにする短編集〜ウィンズロウ『ファイナル・スコア』
文=杉江松恋
ウィンズロウ、辞めるの辞めたってよ。
犯罪小説の王、ことドン・ウィンズロウが『業火の市』『陽炎の市』『終の市』の三部作を持って創作活動を終了する、と宣言したのは何年前だったか。その後あれよあれよという間に三冊が刊行され、ウィンズロウとお別れする日が来てしまった。光栄なことに『終の市』の解説は私が書かせていただいた。
ところが、である。
しばらく経って翻訳家の田口俊樹さんにお会いしたとき、聞き捨てならないことをおっしゃられたのである。実はウィンズロウ、また小説を書いていて、翻訳されるんだ、と。
なんですと、とびっくりした。いつ刊行されるのか、本当に出るのか、と疑りもした。
本当に出た。
『ファイナル・スコア』(ハーパーBOOKS)である。引退宣言前に出していたような大長篇ではなく、短篇集だ。目次を見ると六作が入っていることがわかった。
引退作の解説を書いたものとして複雑な心境、になどまったくならずに喜び勇んでページを開いた。だって、ドン・ウィンズロウなのだもの。ドン・ウィンズロウの新作が読めるのに、そんな余計なことなど考えていられるか。
巻頭の作品が表題作であった。「ジョン・ハイランドはたぶん獄中で死ぬことになる」という一文で始まる。
ベテランの職業犯罪者であるハイランドは武装強盗で有罪判決を受け、二十年程度の刑を打たれる見込みだ。現在は保釈中の身の上だが、間もなく判決が出る。齢はもう六十近く、今度塀の向こうに落ちたら生きて出られる見込みは薄い。それは運命で仕方がないが、気にかかるのは愛妻ジュエルのことだ。今まで何もしてやれなかったが、せめて老後は自分の家で悠々と暮らせるようにしておいてやりたい。そこでハイランドは、盟友ジャマールと共に一計を練る。麻薬カルテルが資金洗浄用に経営しているカジノを襲撃するのである。
その〈キャッスル〉はサンディエゴ東方の奥地にある丘陵地帯の上に建っている。カジノにつながる道は対抗二車線の一本しかなく、いとも簡単に閉鎖することが可能である。したがって押し入ることはできても逃げることは不可能、と考えられてきた。文字通りの城塞なのだ。しかしハイランドは「どんな場合にも隙はある」と考える。
以下、二人が仲間を集め、計画を練って難攻不落のカジノを攻略する模様が描かれていく。読者の興味はただ一つ、この勝負は最後にどうなるのか、すなわちファイナル・スコアはどうなるか、ということだ。一本道で引っぱっていく物語と見せておいて、癖のあるキャラクターを使ってちょっとした脇筋を作ってみせたりもするから油断はならない。でも最後にはこの関心に落ち着くよう、読者は導かれていく。この話運びがドン・ウィンズロウなのだ。みっちりと内容が詰まった話なのになんと80ページもない。
まったく様子は違うが、「北棟(ノース・ウィング)」も犯罪小説らしい犯罪小説だ。
こういう一文で始まる。
----クリッシー・プリチェットがサラ・ゲインズの命を奪う夜もさしていつもの夜と変わらない。
なんてことだ、最初の一行がどれもこれもたまらなく魅力的である。これがウィンズロウ。文章一つで読者の心を支配し、物語の途中であれば、それまでの展開がどうあろうと空気を一変させてしまえる天才だ。
主人公のダグ・プリチェットはサウス・キングストン警察で評判のいい警察官だ。彼には人生から早々に落伍してしまった従弟がいる。それがクリッシーで、彼はべろべろに酔っぱらってシヴォレー・ノヴァを運転し、20歳の女性が運転するトヨタと正面衝突して命を奪ってしまったのだ。その犠牲者がサラで、たまたま地元名家の一人娘だった。クリッシーに情状酌量の余地はなく、考えられる限り最高の量刑で判決が下される。
ダグにはわかっている。服役期間が何年であれ、クリッシーはそれを最後まで全うできないだろうと。彼のようにひ弱で、しかもクリッシーなんてお嬢さんの名前がついた若いやつが鬼のような服役囚たちにどんな扱いを受けるかは想像に難くない。唯一助かる道があるとすれば、マフィアの正式メンバーやそれに近い関係者だけが入る北棟で刑期を務めることだ。しかし、どんな伝手を使えば特別なチケットを入手できるのか。
真面目な警察官が、身内を守りたいという思いと、法の上での不正との間で葛藤する物語である。こうした引き裂かれた自己を書かせるとウィンズロウが上手いというのは、名作『犬の力』などをお読みの方ならご存じのはずだ。
収録作中でもっとも変化球の作品が、この「北棟」の後に入っている、ちょうど短篇集としては折り返し地点になる「ほんとの話(トゥルー・ストーリー)」である。こんな出だしである。ちなみに全篇が二人の男性の会話で綴られている。
----ほんとの話、レニーって知ってるか?
----床屋のレニーか、それとも素足(ノーソックス)のレニーか?
----ノーソックスのレニーのほうだ。
ああもう、これも最初から心を鷲掴みにしてくるなあ。二人が何者で、どこで、なぜレニーの話をしているかは明かされない。どうやらレニーは建築業者で二百二十万ドルで海辺に家を建てる仕事を請け負ったらしい、ということがわかったあたりで、こんな会話が交わされる。
----レニーはカルロたちとの会合に出向くんだ。ボビーが----
----バットのボビー(ボビー・バッツ)か、それとも五匹の魚のボビー(ボビー・ファイブ・フィッシズ)か?
で、話は当然ボビー・バッツのほうに逸れていく。こんな具合で何か分岐が生じるたびに脇道へ脇道へと話が向かってしまうので、この会話は一向に終わりが見えてこない。しかし滅法楽しい会話なので読者はのりのりでページをめくることになるだろう。もう、永久にこの話を読んでいたい、と思っていると突然終わりがくる。そして、これが犯罪小説であったことを知らされるのである。
こんな感じ。収録作がそれぞれ全然違った感じで、切ない青春小説もあれば「ほんとの話」のように楽しい一篇もありで、最後まで興味津々で読み切ってしまう。ウィンズロウには過去に何冊か短篇集があるが、これはもしかすると最高傑作かもしれない。そのくらいすばらしい。
あとの三篇も紹介したいが、文字数が倍になってしまう。あとはご自分でどうぞ。あ、急いで付け加えておくと、五篇目の「ランチブレイク」はサンディエゴの海辺一帯を守る、ブーン・ダニエルズもののスピンオフになっている。『夜明けのパトロール』『紳士の黙約』(角川文庫)が好きだった方、お待たせしました。
というわけで犯罪小説の王がご帰還である。お帰り、お帰り。
(杉江松恋)







