【今週はこれを読め! ミステリー編】芦沢央の手の内を覗けるような作品集『あなたが正しくいられたとき』
文=杉江松恋
作家の手の内をあれこれ想像するのは楽しい。
芦沢央『あなたが正しくいられたとき』(文藝春秋)はノンシリーズの作品集なのだが、にもかかわらず、いやだからこそ、作者の中にあるものを覗けるような感覚があって、楽しく読んだ。
表題作は、河原でのバーベキュー・パーティの場面から始まる。高校の同窓会として開かれたもので、早くも子連れの者もいる。主人公の窪田は消防士として働いていて、大学生のときにはライフセーバーの経験もある。高校時代につきあっていた黒川に言われたこともある。「窪田くんは、正しい人だよね」「物語に出てくるヒーローみたい」と。その黒川とはあることがきっかけで別れて、高校を卒業してからは顔も合わせていなかった。もう結婚していて、じきにこどもも生まれるらしい、と聞かされたのは4年前である。
黒川さんって、未亡人なんだって。
そう聞かされることから話は始まる。今は独身なんだから声を掛けてしまえば、とからかい半分に元級友から言われ、窪田は心中穏やかではない。別れ際に黒川から突きつけられた言葉が、まだ落ち着き場所なく胸で揺れているからだ。そんな状態で、ある事件が起きる。
黒川という女性の言動に、視点人物にはわからない部分があり、それが現在進行形で起きる事件と結びついたことである推論が生まれる。その推論を巡る物語であり、ミステリーとしては動機の謎が中心になる。
芦沢の短篇には、人間の心理が不思議な動きをすることを扱ったものが多くある。第173回直木賞の候補になった『嘘と隣人』(文藝春秋)は一冊まるごとがそういう話で、定年退職した警察官が、自身の周辺で起きた小さな事件や出来事について調べるうちに、関係者の心が奇妙な形に歪んでいたことを知る、というのが各話の展開である。趣向が同じなのに、用いられている技巧が違うために読み味が多様化しているというのが作品集としての美点で、私は芦沢の短篇集としては最高水準のものと思っていたのだが、受賞に至らなかったのは残念だった。
それはさておき、「あなたが正しくいられたとき」は『嘘と隣人』収録作と同等の良作で、物語の落としどころが明らかになったときには感心させられた。本書には2017年から2026年の間に芦沢が単発で、もしくはアンソロジー参加のために書いた作品が収められている。
発表順では二番目に新しい「立体パズル」は、視点人物が作家に設定されていて、何を見ても自作の着想を得るための手がかりに変換されてしまう、書き手の業についての小説でもある。結末には視点人物が作家であるがゆえの皮肉な味があるのだが、それはミステリーとしての真相解明とは関係しない、メタ構造の要素である。同作と「あなたが正しくいられたとき」とは技巧が共通していて、もっとも芦沢央らしい短篇になっている。
数年前の芦沢は将棋ミステリーに傾倒し、『神の悪手』(新潮社)という短篇集を発表した。2025年にはさらに非ミステリーの『おまえレベルの話はしてない』(河出書房新社)も上梓しており、このテーマに関しては一通りやり抜いた感がある。本書収録作の「投了図」は、将棋界をまた別の角度から描いた作品で、2021年に発表されたこともあってか、新型コロナウイルス流行下の世情を背景にした物語になっている。古本屋を営む美代子は、コロナウイルスを他地域から持ち込む者に対する誹謗の貼り紙が行われたことに胸を痛めているが、筆跡から夫が書いたのではないかと疑うようになる。その状況に将棋のタイトル戦が絡むわけである。
物語の軸は美代子が、夫が貼り紙をした犯人だとしたら「私は、そんな人とこれからも変わらずに暮らしていけるだろうか」と思い悩むことにある。犯人捜しよりは、それをした人の心の動きがどうであったかを知りたいという気持ちに比重が置かれているのである。やはりこれも動機の小説だ。将棋という得意ジャンルに、なじみの技巧を持ち込んだか。
こんな風に、過去作から最近作までを読んでいると気づくことがある。そうした意味では芦沢央という作家をよく知るための一冊ということもできるだろう。芦沢のデビュー作は2012年に第3回野性時代フロンティア文学賞(現。・小説野性時代新人賞)を受賞した『罪の余白』(角川文庫)である。今年で15年目に入った作家生活の、現在に近いほうの半分で書かれたものを収めた短篇集ということになろうか。
この短い間にも、作家としての技能が著しく上がっていることがわかる。たとえば2017年に発表された「薄着の女」と2022年の「立体パズル」とでは、情景の描写だけでも明らかに密度が違う。単行本化にあたり「薄着の女」は「小説新潮」の初出時から加筆修正されている可能性がある。原文に当たって違いを示すことができないので印象論で申し訳ないのだが、そのときよりも文章は磨かれていると思う。そして「立体パズル」はそれよりもさらに上なのだ。作家が目にしたものを小説にできないかと考える、という内容だからなのかもしれないが、短期間に成長した証だ、と私は考えた。
ここまで言及していない「代償」もまた作家の小説で、プロの書き手であれば誰もが一度は悪夢に見たことがあるような事態が描かれる。こういう風に自己言及的な内容を含む作品も、芦沢は好むのである。『汚れた手をそこで拭かない』(新潮文庫)という、その趣向で書かれた短篇集もある。
あとがきで作者は、内容の統一感のなさについて自虐気味に書いている。表層的にはそうかもしれないが、各篇について注意深く読んでみると、他の作家にはない特徴が浮かび上がってくるのである。とても芦沢央らしい短篇集である。この作家未読の方は入門書としても読めるので、ぜひおためしを。とりあえず表題作を読んでみて、お気に召したら買いである。
(杉江松恋)






