【今週はこれを読め! ミステリー編】一人称私立探偵小説と謎解き小説の完全融合〜リチャード・デミング『絞首台のある庭 私立探偵マニー・ムーン』

文=杉江松恋

  • 絞首台のある庭:私立探偵マニー・ムーン (新潮文庫 テ 27-2)
  • 『絞首台のある庭:私立探偵マニー・ムーン (新潮文庫 テ 27-2)』
    リチャード・デミング,田口 俊樹
    新潮社
    990円(税込)
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 もしかすると、理想形の一つを目の当たりにしているのかもしれない。

 リチャード・デミング『絞首台のある庭 私立探偵マニー・ムーン』(田口俊樹訳/新潮文庫)を読みながら、そんなことを考えたのであった。

 ミステリーというジャンルにおける理想形の一つ。そんなことを言うと、そもそもこのジャンルに単一の物差しを当てはめるのはどうか、という議論を呼んでしまいそうなので、あくまでも私が思う理想形ということにしていただきたい。

 何に関するものか。一人称私立探偵小説と、謎解き小説が完全融合した作品である。

 本作が発表されたのは1952年、今から74年も前のことだ。主人公は戦争で右脚を失い、義足で生活しているマンヴィル(マニー)・ムーンという私立探偵である。顔面にも傷を負ったが、それがなければ非常にハンサム、だったらしい。戦争前にファウスタ・モレニという女性と恋仲になった。出征している間にファウスタはとあるカジノの経営権を引き継ぎ、賭博場稼業は一切辞めて、そこを〈エル・パティオ〉という高級レストランとして営業することで巨万の財を築いた。素寒貧のマニーはそのことに引け目を感じ、ファウスタとの間に距離をとって善き友人という関係に留めている。そういうマニーに対し、彼女はまだ秋波を送り続けており、彼が女性と親しくすると激しく嫉妬する。

 人物設定はこんな感じである。この作品が発表された翌年にチャンドラーは畢生の名作『長い別れ』(創元推理文庫)を発表しているが、私立探偵小説の主流は1947年に『裁くのは俺だ』(ハヤカワ・ミステリ文庫)で鮮烈なデビューを飾ったミッキー・スピレインに移っていた。ロス・マクドナルドは1949年に『動く標的』(創元推理文庫)で長篇デビューを飾っているが、まだルーキーの域を出ていない。いわゆる通俗ハードボイルドが大きく興隆していた時期だったのである。1933年の『ビロードの爪』(創元推理文庫)で始まったアール・スタンリー・ガードナーの弁護士ペリー・メイスン・シリーズも不動の地位を築いていた。作品が行動型探偵小説などと呼ばれることもある書き手だ。デミングの手慣れた人物配置も、そうした世情を考慮に入れたものだと思う。

 ファウスタに紹介された若い女性がマニーの事務所を訪ねてくる。グレース・ローソンという大学生である。彼女は、兄のドン・ローソンと共に父親が遺した巨額の財産を相続する予定だ。グレースによれば、しばらく前から身辺で命を狙われているとしか思えない出来事が多発しているのだという。

 そういうことなら警察に届けたほうがいい、とマニーは諭すのだが、グレースは家名を汚すのが厭だと言い、正体を隠してローソン家にやってきて、自分を守ってもらいたいと頼む。なんとマニーに、自分と同じ大学生だと名乗ってくれと言うのである。現在からするとかなり無茶な話に聞こえるが、当時のアメリカではありえないことではなかった。国が、戦争帰りの若者を社会復帰させるべく、奨学金制度などを手厚くしていたからだ。マニーは大学でシェイクスピアを研究している、ということにさせられてしまう。

──「シェイクスピアはどんなふうにコンマを使うんです?」とダグ叔父さんがもっともな質問をしてきた。

「それはやはり読点としてです」とおれは端的に答え、グレースがその美しいつくり話をすぐに完結してくれることを切に願った。

 無頼漢と紙一重の私立探偵が名家のディナーに招待されてしまうという頓珍漢さが序盤の面白いところなのだが、この茶番劇はじきにおしまいになる。ローソン家の近くで変死体が発見されるからである。事件性が高まり、ローソンはかりそめの仮面をかなぐり捨てて、グレースのボディガードに専念することになる。

 私立探偵の依頼人が、暗黒街とは縁のない若い女性であるという作品は、長篇では1929年のダシール・ハメット『デイン家の呪い』(ハヤカワ・ミステリ文庫)あたりが最初ではないかと思う。1960年代において最も重要な私立探偵小説の書き手であったジョン・D・マクドナルドも、1964年に発表したトラヴィス・マッギー・シリーズの長篇第2作『桃色の悪夢』(ハヤカワ・ミステリ)でその図式を踏襲している。最近になって新装版が刊行されたドン・ウィンズロウ、1991年のデビュー作『ストリート・キッズ』(創元推理文庫)も同形の作品だ。

 ここに挙げた3作には共通点がある。依頼人の女性がドラッグなど依存症の問題を抱えていて、私立探偵の主人公がそれらの害悪から彼女を引き離す努力もすることである。敷衍して言えば、男の意のままには決して動こうとしない、しかも自分よりも若い女性を前に、力にものをいわせることができない探偵はどのように身を処することができるかが物語の焦点になるのだった。

 本作のグレースは依存症の主ではなく健全そのものなのだが、やはりマニーの思う通りには動いてくれない。そのために探偵は右往左往させられることになるのだ。マニーは彼女を守るため、今は〈エル・パティオ〉で働いている従軍仲間のモウルディ・グリーンを呼び寄せる。このモウルディが素晴らしいキャラクターであり、『絞首台のある庭』が持つ魅力のうち、だいたい2割くらいは彼が担っている。探偵を助ける仲間というと、ロバート・B・パーカーが創造した、スペンサーの相棒ホークみたいな人物を思い浮かべるかもしれないが、それとは全然違う。まったく違うので、これは読んでもらいたいとしか言いようがない。

 旧名家の中に一連の事件を引き起こした犯人はいるに違いない、という展開になるので趣向としては犯人当て小説だ。驚いたことに、これが本当に見事な論理で犯人が指摘されるのである。これは完全にネタばらしになってしまうので詳しいことは一切書けないが、決め手として使われた証拠が、意外極まりないところから持ってこられたものだったので、私は衝撃を受けた。その要素が描かれていた理由はこれだったのか。物語が私立探偵小説の通俗的な類型を踏襲していることも、この犯人当ての趣向に大きく寄与している。つまり形式と謎解きの興味とが完全に方向性として一致しているのだ。

 一人称私立探偵小説は視点が地に足の着いたものでなければならず、高所から見下ろすことが一切できない。そのためしばしば物語は混迷を深め、ミステリーとしてはまずいことに、提示すべき手がかりが他の描写の中に埋もれてしまうことも多い。その弱点を克服して余りあるのが『絞首台のある庭』で、これを理想形と呼びたくなった気持ちを理解していただければ幸いである。

 リチャード・デミングはエラリー・クイーンが複数作家にチームを作らせ、通俗的な作品を量産していたときの書き手の一人である。つまり謎解き小説はお手の物だったわけで、今さら『絞首台の庭』で驚くのは筋違いかもしれない。本書に先だって刊行された中篇集『私立探偵マニー・ムーン』(新潮文庫)は全篇に不可能趣味が横溢しているという楽しい一冊だった。ほとんど知名度のなかった作家にスポットライトが当たったことは大変喜ばしい。この作家、掘り起こせばまだまだ良作があるはずなのだ。

(杉江松恋)

  • 私立探偵マニー・ムーン (新潮文庫 テ 27-1)
  • 『私立探偵マニー・ムーン (新潮文庫 テ 27-1)』
    リチャード・デミング
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