【今週はこれを読め! ミステリー編】現代ミステリーの最前線『ザ・ベストミステリーズ2026』
文=杉江松恋
ミステリー短篇が好きなのだけど、ノンシリーズの短篇集はあまり多くない。
古くは江戸川乱歩編『世界推理短編傑作集』(創元推理文庫)などのアンソロジーに親しんできた身としては、もっともっと単発の作品を読みたいのである。
同好の士にお薦めしたいのが日本推理作家協会編の『ザ・ベストミステリーズ2026』(講談社)だ。少し前の刊行だが、あまり書評は見かけなかったのでご容赦願いたい。
日本推理作家協会は毎年5月に推理作家協会賞の選考を行う。短編部門はその一つで、前年に出たものから受賞作を選ぶのである。2026年の第79回は松樹凛「ぼくらが夕闇を埋めた場所」が受賞作となった。松樹をご存じの読者はまだ少ないと思うのだが、この機会にぜひ覚えていただきたい。
----穴を掘ってほしいの、と星野さんはぼくに言った。
そういう一文でこの小説は始まる。十年ほど前に潰れた釣り堀の跡地で〈水なし沼〉と呼ばれている場所に〈ぼく〉こと中学生の東は呼び出された。星野さんは大竹中学校2年2組でぼくのクラスメイトだった。そう、だった。その日は終業式があり、2年次の全過程が終了した。翌日から始まる春休みを〈ぼく〉がその町で過ごすことはない。父親の仕事の都合で、東京に引っ越すからである。その最後の日に、星野さんが言い出したのはとても奇妙なお願いだった。
〈水なし沼〉に到着した〈ぼく〉をそれが出迎えた。地面に横たえられた、人一人分くらいの大きな包みである。中身を覆うブルーシートの上から縞模様のロープが掛けられている。
星野さんは最後の思い出作りにと、〈ぼく〉にゲームを持ちかけた。地面を掘ってその青い包みがちょうど埋まるくらいの穴を掘ってもらいたい。その作業が終わるまでの間に、星野さんが呼び出した理由を当てられれば〈ぼく〉の勝ち、ただし答えられるのは三回までだ。シャベルを振るいながら、〈ぼく〉は思考を始める。
星野さんとの学校生活に時折触れながら、〈ぼく〉の立てる推論が展開されていく。場所が一箇所に限定された短編小説の構造だが、回想によって描かれる風景は驚くほど鮮やかで、人物の顔も浮かび上がってくる。登場人物は最小限に絞られていて、実際にその場に顔を出すのは〈ぼく〉と星野さんのみである。それなのに物語には見事な起伏がある。推理を三回にしたのが効果を挙げていて、第一の推理と第二のそれ、最終解答と〈ぼく〉が推論を口にするたびに話の様相が大きく変化するからだ。
青春小説としての苦みもきちんとあり、最後には長い余韻が残る。この後味を醸し出すために作者が使っている技巧は切れ味の鋭いもので、わずか見開き一つの文章で小説に十分すぎるほどの記銘力を与えている。
松樹はもともとミステリー畑の出身ではなく、2020年「せかいで一番さいごのネズミ」で「飛ぶ教室」第51回作品募集に佳作入選、2021年「『ペンを取ってくれませんか?』」で第8回日経「星新一」賞優秀賞、同年「夜の果て、凪の世界」で第12回創元SF短編賞受賞と、別ジャンルでまず評価された作家だった。「夜の果て、凪の世界」は「射手座の香る夏」と改題の上、同題短篇集に収録されている(東京創元社)。その第一短篇集を読むとわかるのだが、どの作品もSF的趣向にミステリー的な要素が加えられていて、どちらのジャンルでも活躍できる人という印象があった。2025年から純粋なミステリー短篇も書くようになり、注目されていた矢先での受賞だったのである。
「ぼくらが夕闇を埋めた場所」の初出は「小説推理」2025年1月号、同誌11月号にも「カフェオレ色の恋をした」という青春ミステリーの佳品を発表している。私がもう一作お薦めしたいのは「紙魚の手帖」VOL.22に掲載された「真夜中零時のティンカーベル」で、これはショッピングモールのフードコートから出られなくなってしまった十代の二人が主人公だ。SF的着想を明かしていく過程がミステリーそのものであり、知的興奮を覚えた。
たいへんいい短篇なので同作だけでも読んでもらいたいのだが、他の収録作も良作ばかりなのでお買い得である。先般第一短篇集『おむこさんは殺人鬼』(文藝春秋)が出た乱歩賞作家の荒木あかねは「プライドの隙間」という短篇が収録されている。これは〈浦上署強行犯係〉という連作の一つで、警察官が警察署内で頭部を撃たれた死体となって発見されるという事件が描かれる。五十嵐律人は弁護士兼業作家だが、同じく弁護士兼探偵の万藤灯が活躍する連作から「万藤の灯火」が選ばれた。豊胸手術失敗に絡む訴訟を題材にした作品で、物語収束のさせ方に短篇としての味わいがある。こういうタイプの法律家が登場する海外ミステリー短篇を昔はよく読んだものだ、とオールドファンなら懐かしく思うのではないだろうか。
受賞作と上記の2篇、そして尾八原ジュージ「いないのと同じ」、柴田勝家「ギャルと祠破壊少年」を加えた5篇が第79回の短篇部門候補作である。尾八原と柴田の作品は共に十代の少年を主人公とした怪異譚で、後者は『祠破壊ホラー小説アンソロジー』(星海社)というすごい題名の短篇集が初出だ。超常現象を剥き出しで示すのではなく、なんらかの論理的な尺度を添えることによりミステリー的な読み方が可能となるという技巧は澤村伊智のデビュー以降に注目を浴びるようになった。そうした作風の一作で、「ギャルと祠破壊少年」は民俗学ミステリーの色彩も帯びている。
もう一作、題名だけ見れば非常にホラー寄りの作品がある。第3回創元ミステリ短編賞を受賞した鷲羽巧のデビュー作「幽霊写真」だ。主人公の父親が亡くなって七回忌が開かれる。それを機に遺品整理を行ったところ、あるフィルムのプリントに主人公の目は釘付けになる。父親が写ったポートレイトだ。カメラの機能で刻まれた日付がおかしいのである。それは彼が亡くなった翌日のものだからだ。なぜそんな写真が存在するのか、というのが主たる謎になる。心霊写真ではなくて、幽霊写真なのはそのためである。ホラー感のある題名だが、もちろん論理的な落ちが付けられる。
現代ミステリーというジャンルは非常に広範なものになっている。これまで見てきた作品の振れ幅から、それを感じてもらえるのではないだろうか。このように、どこかひとところを指して進むのではなく、行く先を決めない読書が楽しめるのがノンシリーズ短篇集の、特にアンソロジーの素晴らしいところだ。『ベスト・ミステリーズ』は毎年刊行されるので、最前線の状況を知りたい方はぜひお手に取っていただきたい。
ミステリーってなんでもありだな、と思わされるのが一穂ミチ「ぼくらのリリー」だ。主人公が急死した兄が遺したラブドールを引き取らなければならなくなるという出だしがまずおもしろい。まったくミステリーとして展開していくように見えない作品なのだが、終盤で鮮やかに切り替わってそういう話になるのである。もう一作、宮内悠介「デトロイト心中」は短いながらも広がりのあるロード・ノヴェルで、犯罪小説として完璧な終わり方をする。最後の2行が実に鮮烈であった。
「ぼくらが夕陽を埋めた場所」と「ぼくらのリリー」と「デトロイト心中」を一緒に読める機会というのはアンソロジー以外には、まずない。予定調和が嫌いな方に。
(杉江松恋)


