【今週はこれを読め! エンタメ編】逃げ出せなくなる恐怖短編集〜 小田雅久仁『禍』

文=高頭佐和子

 物語に憑依される。

 そんな恐ろしさと気味の悪さに全身を襲われている。評判になっているみたいだからとか、なんか面白そうだからとか、そういうライトな理由で、この本を手にしようとしているあなた。一応言っておきますね。

 本当に読むんですか? 覚悟は、ありますか?

 七つの短編が収められている。主人公たちは皆、偶然に出会った奇妙な人物のせいで、当たり前のように存在していた日常を失っていく。ある小説家は、多目的トイレの中で本を読んでいる女がページを破って口に押し込み、咀嚼する姿を見てしまう。ある非常勤講師の男は、行方不明になった遠距離恋愛の恋人の隣人から、奇妙な身の上話を聞かされる。ある真面目な会社員は、帰宅途中のバスの中でとなりに太った女性が座ってきたことから、気味の悪い妄想と欲望に心を支配されていく。そしてある人物は......。

 暗闇が怖ければ明かりをつければ良いし、怖い夢だって、目が覚めればそのうち忘れられるものだ。お化け屋敷やホラー映画は、終了すれば恐怖から解放される。怖い小説だってそうだ。読み終われば、いやー怖かったわ、ははは、とかなんとか言いつつ、平和な自分の日常にホッとするはずなのだ。だけど、この本はその種の怖さとはだいぶ違う。登場人物の体感が、読んでいる私自身に伝播してくる。自分の中にある不安定な部分と、登場人物の意識から入り込んできた得体の知れない何かが融合し、じわじわと内側で増殖していくのだ。ふとした拍子に、違う世界に足を踏み入れてしまう主人公たちと、刺激を求めてこの小説を手に取った私の間に、どんな違いがあるのか。そもそも、ここは私がいるべき場所なのか。そんな疑問と不安から、逃げ出せなくなる。保っていたはずの精神の均衡が、徐々に崩れてくるような感覚がある。

 ここまで説明しても、この小説を読みたいという方を私は止めない。それはその人にとって、一つの運命のようにも思うから。むしろ、仲間が増えるような嬉しさもある。小田雅久仁の世界に、ようこそ皆さん。

(高頭佐和子)

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