【今週はこれを読め! エンタメ編】小池真理子『ウロボロスの環』

文=高頭佐和子

  • ウロボロスの環
  • 『ウロボロスの環』
    小池 真理子
    集英社
    2,750円(税込)
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 年齢を重ねるごとに、小池真理子氏の小説が心に響くようになったのはどうしてなのだろう。ごく平凡で起伏の少ない人生を歩んでいる私ではあるが、気がつけばそれなりに経験が積み重なっている。心温まる出来事も、胸が痛くなる出来事もさまざま見聞きしてきた。生きてきた半世紀の間に街の風景も価値観も変化して、懐かしく思うものも忘れてしまいたいものも増えて、初めて小池真理子作品を読んだ二十代の頃には、思いもよらなかった感情も知ることになった。だからこそ、登場人物たちの濃密な心理描写に、二度と戻れない時代の細やかな情景描写に、何かに引き寄せられるように悲劇への扉を開いてしまう主人公に、強く惹かれるのだろうか。

 物語の始まりは1989年である。主人公・彩和と、骨董商である高階俊輔の結婚を祝う内輪の夕食会が、芝公園近くにある高級フレンチレストランで行われている。31歳の彩和には、若くして亡くなった前夫との間に羽菜子という8歳の娘がいる。生活のために夜の仕事も経験したが、娘のために聞こえの良い仕事に就きたいと思い、青山の骨董通りにある小さな広告会社の求人に応募して採用された。勤務先となったビルのオーナーで、親から引き継いだ古美術店を経営していたのが18歳年上の俊輔だった。強い恋愛感情があったわけではないが、熱心な誘いと羽菜子のことも大切にしてくれる誠実さは好ましかった。何より、娘に不自由ない暮らしをさせることだけを願ってきたシングルマザーにとって、この上なく幸運な話でもあった。食事会には俊輔に近しい人々が集まった。親の代から付き合いがあるという人々も親しい仕事仲間も結婚を喜んでくれて、彩和に意地の悪い視線を向ける人はいない。俊輔は、前妻である輸入雑貨店主の杏奈と親しい友人のような関係になっている。新しい世界にまだ馴染んでいない彩和にとって、明るく華やかな杏奈は頼りになる存在だ。羽菜子は俊輔の秘書兼運転手である寡黙な青年・野々宮に懐いており、二人で話をしている姿は微笑ましい。

 幸福なはずなのに、どうしてか不穏な空気が漂う。不運や不幸を想像しすぎるという彩和の性質が原因なのだろうか? 善良そうに見える人たちの中に、幸福に水を差すような隠し事や恐ろしい悪意を持っている者がいるのだろうか? 俊輔が何かに失敗し、青山のビルや住まいである港区の洋館を手放さなければならない状況に追い込まれるとか? それとも、理想的な暮らしを手放すような愚かな行為を彩和自身がしてしまうのか? 勝手な想像が脳内を駆け巡り、ページをめくる手が止まらない。 

 そんな予想とは別の形で、幸福な生活にひびが入る。彩和からしてみればごく些細な出来事をきっかけに、俊輔は妻と野々宮の仲を疑うようになるのだ。安定した暮らしを与えてくれる夫を裏切ることなど、考えてもいなかった。疑われることなど何もないことを説明しても納得せず、俊輔は刺々しい言動を繰り返し、彩和を少しずつ追い込んでいく。

 家庭内に不協和音が流れているにもかかわらず、親しい人たちの前では幸福そうに振る舞う俊輔に、調子を合わせなければならない。皮肉にも、相談できる唯一の相手である野々宮との距離は縮まっていく。元々アルコールを飲みすぎるところのある俊輔だったが、その量は周囲の人に心配されるほど増えていく。心を病んでいく夫との暮らしに逃げ道を失ってしまう彩和の緊張感に、読者である私も息が詰まるような気持ちになる。数年が経ち、幸福だった時には思いもよらなかった恐ろしい出来事が起きてしまう。

 運命ってなんだろうと、読み終わった後考えている。誰かの行動が一つでも変わっていれば、タイミングが少しでもずれていれば、全く違う人生が登場人物たちには待っていたのかもしれない。だが、何かに引き寄せられるように人々は出会い、惹かれ合い、別れていく。それは、回り続ける時間の中で、止められないことなのではないか。プロローグで、俊輔が彩和に蛇の腕輪を送る。蛇ではなく「ウロボロス」で「ものごとが終わることなく永遠に巡り続けることの象徴」だと俊輔はいう。読み終わると、このエピソードを思い出さずにいられなくなる。

 人は長く生きるほどに、誰にも言えない罪や表に出すことのできない後悔を心の中にしまっていくのではないだろうか。自分にしか背負えない重荷を心の中に置いて生きることを、運命と呼ぶのかもしれないと思ったりしている。

(高頭佐和子)

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