【今週はこれを読め! エンタメ編】ただならない魅力の仕事小説〜石田夏穂『緑十字のエース』

文=高頭佐和子

  • 緑十字のエース
  • 『緑十字のエース』
    石田夏穂
    双葉社
    1,760円(税込)
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 工事現場を舞台にした小説である。クセの強い「安全屋」が登場するというと、働く人の命や健康を軽視するエラい人が成敗されて気分スッキリとかの仕事小説を想像する方もいるのではないだろうか。そういう期待通りには進まない小説だ。というより、進んでいる方向が見えない。じわじわくる違和感の理由が、最後の最後で明らかになる。ただならない魅力の仕事小説である。

 主人公の浜地は、3ヶ月前まで国内随一のデベロッパーである三岸地所の積算部長だった。会社が手がける案件を数字に落とし込む仕事は決して派手ではないが、重要な仕事をしているという誇りを持ち、会社を愛してきた。ところが、ある重大事故の「引責」により左遷されることが決まった。納得できない浜地は会社を辞めたが、二人の息子を大学にやるためにも無職というわけにはいかない。転職エージェントに頼り、なんとか中堅ゼネコン・台島建設に契約社員として入社することにしたのだが、積算業務と聞いていたのに、現場で働くことを命じられてしまう。

 工事現場の安全管理を担う「安全衛生管理責任者」が浜地に与えられたポジションである。出社するのはオフィスではなく、最寄りバス停から徒歩30分の現場に建てられた蛾や蜘蛛も棲むプレハブ小屋だ。ベージュの作業着にヘルメット着用であるが、全く似合わないし似合いたくもない。いくつかの協力業者が共に作業を行う現場で、安全管理のリーダーとなる立場なのだが、浜地の教育担当の松本は「耳には蜂の巣のように穴が穿たれた」金ネックレスの柄の悪い30手前のニイチャンだ。

 何もかも納得いかない。だが、浜地は無駄にプライドは高いものの、そこでいきなりエリート風を吹かせて揉めるタイプの男ではない。工事責任者で嘱託社員の上田(チャーリー・ブラウン似のジイサン)からコーヒーいれてと言われれば、忌々しい気持ちになりながらもいれてやる。刑務所のような朝礼の準備をするために、早めに出勤もしている。松本から道路についている「泥引き」(搬入車両によるタイヤ痕)を洗い流せと言われれば、理由も聞いた上で仕方なくではあるが従っている。彼なりにうまくやろうとしているのである。

 揉め事を起こすのは、自分の教育係である松本の方だ。見た目のイメージに反してクソ真面目で融通が効かない。「泥引き」のことで所長の桜井とやり合い、保護メガネをしていない作業員がいれば工事を中断させ......。万事においてその調子なので、現場からは煙たがられるし、上田とは犬猿の仲だ。現場で唯一の正社員であり予算を動かせる立場の桜井も松本に辟易しているようだ。「暴走しすぎていたら止めてやってくださいね」とまで言ってきて、浜地を困惑させる。

 浜地は家庭でも問題を抱えている。転職したことを家族に言えないでいるのだ。駅の多目的トイレで作業着とスーツを着替え(←迷惑行為だよ)、土の匂いや爪の汚れを指摘されて適当にごまかす毎日である。次男は第二志望だった大学に無事合格したが、仮面浪人したいと言い始める。「お父さんは東大だから大企業の部長サンなんでしょ?」という息子の言葉に、胸がざわつく。

 さまざまな立場の人が働く工事現場の描写は読み応えたっぷりだ。土の匂いが漂い、エンジン音や金属音、ホースから噴出する水の音などが聞こえてくるようである。どちらかというとマイナスの意味で個性的なんだけど、憎めない感じの人々も良いし、起きる揉め事も実にリアルだ。そんな中で、松本の徹底した安全対策は人を苛立たせ工事を遅らせるが、決して間違ってはいない。板挟みになる浜地だが......。

 松本が過度な安全対策をしている理由、現場未経験者の浜地が「安全屋」として現場に入った意味、三岸地所で左遷されることになった事情。その全てが、明らかになっていく。

 最後には松本の安全対策によって現場が救われて大団円? 現場で働く人を見下していた浜地もやりがいを見出せるようになって一致団結とか?

 前半では、うっかりそんなゆるい想像もしてしまった自分が恥ずかしくなるラストだ。ざらりとした気持ちと共に妙な爽快感が残るのは、この工事現場と同じ現実が、自分を取り巻く社会のあらゆるところにあると思わずにいられないからなのだろう。こういう仕事小説を、私は待っていた気がする。

(高頭佐和子)

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