第221回:高山羽根子さん

作家の読書道 第221回:高山羽根子さん

この夏、『首里の馬』で芥川賞を受賞した高山羽根子さん。これまでも一作ごとにファンを増やしてきた高山さん、多摩美術大学で日本画を専攻していたという経歴や、創元SF短編新人賞に佳作入選したことがデビューのきっかけであることも話題に。読んできた本のほか美術ほか影響を受けたものなど、高山さんの源泉について広くおうかがいします。

その2「映画館と美術館に通う」 (2/7)

――部活は何をされていたんですか。

高山:中学の頃は吹奏楽部。楽器はでアルトサックスですが、全然うまくなかったです。大人になって思ったんですけれど、私はリズム感がめちゃくちゃないんですよ(笑)。なぜ気づいたのかというと、ニンテンドーDSか何かのゲームをやっていたら、リズム感だけがやたら駄目だったんです。「だから私はあんなに音楽ができなかったんだな」って。今でもカラオケもほぼ行かないし、機嫌がいい時に何か口ずさむ、ということもしないです。

――でも吹奏楽部を選んだということは、音楽が好きだったんですか。

高山:たぶん消去法だったと思います。部活入らなきゃいけないという時に、選択肢として運動部はなくて、文化部も吹奏楽と合唱くらいしかなくて。英語研究部とか囲碁将棋部とかあったらそこに入っていたと思うんですけれど。高校は部活に入らなくてもよかったので帰宅部でした。ちょっとだけ英語研究会みたいなところに入ったんですけれど、2年や3年になると美大の受験の準備があるので、学校が終わったら予備校に通う生活になったので行かなくなりました。そもそも、あんまり学校に行かなかった子どもでした。サボりがちだったんです。

――読書以外のもので、文化的影響を受けたものを教えてください。

高山:世代的に、小学校中学年くらいの時にファミコンが出てきたくらいで、生まれた時からゲームがいっぱいあるような環境ではなかったんです。パソコンを持っている家庭も少なかったし、VHSのビデオデッキも小学校高学年くらいにならないとなかった世代です。アニメがテレビでやっていても録画できないから、ちょっと続きを見逃すともう分からなくなるので、自然と見なくなったりして。
 中学、高校くらいの時に映画が好きになったんです。中学高校はちょっと離れたところに通っていたので、帰り道に頑張れば映画館に行けたんです。藤沢も昔はオデヲン座や、500円とか1000円で旧作を2本立てで観られる名画座みたいなものが4軒くらいあったんです。今は藤沢にしても茅ケ崎にしても駅前の映画館がなくなってしまったんですが、高校生の頃はそこに行くのがすごく楽しかった。それと、横浜の伊勢佐木町のあたりにも映画館が2、3軒ありましたね。横浜日劇というのがあって......ドラマの「濱マイク」シリーズの舞台になっていた場所です。そことかジャック&ベティとか、地下にあった名画座とか。そこで夏になると中国映画特集とか、ギリシャ映画特集をやるので、高校生の時はそういうのを観るようになって。なんかこまっしゃくれてたんです。

――高校の時に、美術にも興味がわいたのですか。

高山:そうですね。映画館に行くようになった頃に、美術館にも結構行くようになったんです。私が高校くらいの時って、県内の学生は中学生以下は無料で、高校生でも100円とか200円で美術館に入れたりしたので、それでよく行くようになりました。1990年代なんですけれど、現代美術にサイバーなものが多かったんです。村上隆さんが出てくるちょっと前くらいで、三上晴子さんとかがいて。ドイツのヨーゼフ・ボイスが来日してお話を聞きにいったのも高校生の頃だったかな。日本が経済的に良かった時期だったからかもしれませんが、海外からも現代美術の作品がいっぱい来て展示されて。なんというか、未来に対してかなり多様化した視点を持った作品がたくさんあったんです。それがすごく面白かった。それらを観たことで、文章とは全然違うルートでSF的なものに気づいたというか。フィクショナルなワンダーというものに対して視点がぱっと開けたのが、高校時代に現代美術の作家さんをいろいろ観た時だったのかなと、今になったら思います。

――それで美大を志望したのですか。美大の試験って一般的な大学受験の内容とは全然違うから、大変そうだなと思ってしまいますが。

高山:全然違うから大丈夫だったのかもしれないです。私は中学受験をしているんですが、中学に入ったらみんなすごく勉強ができて、するっと競争みたいなところからあぶれてたんです。だから一番競争っぽくないところにある美術を観はじめたのかもしれません。でも、美大に入ろうと思ったらそりゃ競争がすごかったんですけれど。ただ、音楽大学となると小さい頃から英才教育を受けていた人が多いかもしれないけれど、美術だとみんなだいたい高校くらいから受験勉強を始めるんです。もともとすごく上手な人がいたとしても、受験用のデッサンとなるとちょっと別で、額縁にいれて飾っておくための絵ではなく、訓練としての絵が描けないといけない。つまりやればやっただけ格好がつくので、それも楽しかったんでしょうね。筋トレみたいな感覚です。
 それに、それほど分かりやすい競争でなかったのもよかったと思います。形が取れる人は形を取ることで勝負すればいいし、色合いがいい人は色合いで勝負すればいいみたいな感じで、いわゆる筆記とかの試験よりは、間口は広かったのかなと思います。

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