第221回:高山羽根子さん

作家の読書道 第221回:高山羽根子さん

この夏、『首里の馬』で芥川賞を受賞した高山羽根子さん。これまでも一作ごとにファンを増やしてきた高山さん、多摩美術大学で日本画を専攻していたという経歴や、創元SF短編新人賞に佳作入選したことがデビューのきっかけであることも話題に。読んできた本のほか美術ほか影響を受けたものなど、高山さんの源泉について広くおうかがいします。

その7「最近の読書、受賞作、今後」 (7/7)

  • 三体
  • 『三体』
    劉 慈欣,立原 透耶,大森 望,光吉 さくら,ワン チャイ
    早川書房
    2,052円(税込)
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  • あの本は読まれているか
  • 『あの本は読まれているか』
    ラーラ・プレスコット,吉澤 康子
    東京創元社
    1,980円(税込)
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  • 【第163回 芥川賞受賞作】首里の馬
  • 『【第163回 芥川賞受賞作】首里の馬』
    高山 羽根子
    新潮社
    1,375円(税込)
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  • おかえり台湾 食べて、見て、知って、感じる 一歩ふみ込む二度目の旅案内
  • 『おかえり台湾 食べて、見て、知って、感じる 一歩ふみ込む二度目の旅案内』
    池澤春菜,高山羽根子
    インプレス
    1,848円(税込)
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――本を出した後、編集者や他の作家さんとの交流も生まれていろいろ本の情報も入ってくるようになったと思いますが、読書生活に変化があったりしますか。

高山:やっぱり作家さんの知り合いが増えると、単純にその作家さんの本を読むようになりますね。で、その人が影響を受けた作品を聞くと読みたくなって読んだりします。映画館に映画を観に行ったら予告編が流されるので観たい映画がどんどん増えるのと同じで、読みたい作品がどんどん枝分かれして増えていきます。
 それこそ創元SF短編賞デビュー組の酉島伝法さんとか宮内悠介さんは私とはまったく違うものを書いていて、私はすごくリスペクトしていて。全然ライバルとは違っていて、私は彼らみたいなものは絶対に書けないし、でも彼らに書けないものを私は書けるんじゃないかと思うことがあって。全然違うものを書いているからこそ、全然違うルートから「ここすごかったよね」みたいなことを言いあえるのが楽しいです。

――国内外問わず、ここ最近で面白かった本を教えてください。

高山:最近面白かったのは津村記久子さんの『サキの忘れ物』。短篇集なんですが、「〇ページに進む」みたいなゲームブックが入っていて。ちょっと前だと、テッド・チャンの『息吹』や劉慈欣の『三体』もよかったです。あとはラーラ・プレスコットの『あの本は読まれているか』。これは「チャーリーズ・エンジェル」じゃないけれど、スーパー優秀な女性がたくさん出てくるので、この時代にこんな優秀な女性がたくさんいたんだ、みたいな気持ちに(笑)。
 これまで知らないまま通り過ぎたいい本を知る機会がいっぱいあるのは嬉しいです。

――今はお仕事を辞めて専業になられたのですか。

高山:そうなんです。ご依頼いただいたものをちゃんとした時期に出すことが、仕事をしながらだと無理だと最近気づいて。まあ、仕事はやろうと思えばまたやれるから、ここ数年だけでも仕事を休んで、「書いてもいいよ」と言われる間は書こうという気持ちになっています。

――では、最近の一日のタイムテーブルといいますと。

高山:本来やりたいなと思っているのは、朝ちょっと犬の散歩をして、午前中に集中して本を読んで、あとは映画を観ながら小説を...だからいけないんだよって言われそうですけれど、小説をしながら何かをするとはかどるので、映画とかドラマをつけながら書くことが多いんですよ。すごく集中しなきゃいけないゲラを見る時とか、ちゃんとした文章に起こす時は別ですけれど、ネタ帳を並べるとか、ちょっとした短篇を書く時は映像を流していることが多いですね。映画とかドラマとか野球とか。音楽をかけている時や、ラジオを聴いている時もあります。喫茶店とかで雑音があったほうが書けるというのと同じで、わさわさしているほうがいいんですよね。

――さて、高山さんの作品を読んでいると、場所というものが重要なんだと感じます。沖縄が舞台の『首里の馬』は、野球の沖縄キャンプを見に行ったことがきっかけのひとつだとはやは有名な話ですが、台湾の旅の本(池澤春奈さんとの共著『おかえり台湾 食べて、見て、知って、感じる』)も出されていますし、旅はお好きなんですか。

高山:旅は小さい頃から好きでした。自分でちゃんと旅ができるようになったのは20歳前後からですけれど。海外に行ったり、国内でもちょっと遠いところに行ったりするのはすごく好きですね。別に誰かとわいわい行くのではなくて、2人とか1人で行ってうろうろします。でもこのご時世、あんまり移動できないですよね。大学生の時や働いていて時間がなかった時もそうなんですけれど、そういう困難がある時期って、旅でなくても、本でもいいし、映画でもいいし、どこかに連れていってもらいたい気持ちがすごくあります。「ここではないどこかに連れていってもらいたい」じゃないですけれど、そういう救いを求めて本を開いたり、映画を観たり、美術館に行ったりしているところがあります。小説を書いている時、その恩返しみたいな気持ちがあって、読む人にも今立っているところではない、別の場所にちょっと行ってもらいたい、みたいな気持ちがあります。

――それと、その場所や人のなかの時間の蓄積というものも作品から感じます。『首里の馬』でも、主人公の未名子は沖縄の古びた郷土館でものすごい量の資料の整理を手伝っている。

高山:どこかに行ってその場所を場所だと思って確認する時に、そこで起きた事象、たとえば戦争だったり、飢饉とか不作とか、台風の被害だといった、その土地に沁み込んでいる記憶みたいなものって分かちがたくそこにあるんですよね。そうするともう、その場所を書く時には、絶対それはあるんです。
 『首里の馬』の資料館は、郷土史家や地元の人たちの証言とか、そういったものが集まってできている場所こういうのは世界中どこでもあるんですよね。いろんなところに「なんとか研究室」「なんとか資料館」みたいな、「あそこはなんだ」ってちょっと怪しまれるような場所がある。そういうものに対してちょっとした敬意みたいな気持ちがあるんです。
 歴史っていろんなものがあるし、途切れ途切れであってもそこを貫いてぽこっとて出てくる不思議なものもあって。それを隠すのかみんなに知ってもらうのかといった倫理とは別の問題で、どんな曖昧なものでも書き残りたり記録したりすることを信じている人がたぶんいるんじゃないかと思うんです。「集める」ということ自体が倫理になっている感覚の人がいて、それに対してあこがれがあるというか、今後こうありたいなと言う気持ちがあるかもしれません。自分がそういうところを通ってきていなかった、というのもあって。

――未名子の仕事は、オンラインで遠い場所にいる人にクイズを出す仕事だというのもユニークでしたね。

高山:クイズって奇妙な娯楽だなあという気持ちがあったんです。日本のテレビやラジオの初期からクイズのような娯楽はいっぱいありましたが、クイズって研究とは違って、もう分かっていることをみんなで確認しあうものですよね。それこそ手元のスマホですぐ調べられる時代になった今でも、みんなクイズを楽しんでいる。それがすごく奇妙なんだけれど、すごく希望というか、明るさを感じるんです。人がそんなことで楽しんでいるなんていいことに決まってるじゃん、みたいな。いい奇妙さみたいなものを感じていて、それをなんらかの形で物語にできないかなというのは考えていました。
 ただ、『首里の馬』は書き上げたのが去年の年末で、本になったのが今年の1月の末くらいだったんです。なので、こんな世の中になるとは思っていなかったというか。Zoomとかも知らなかったですし。

――今この取材もzoomで行っているわけですが、私も去年まではまったく使ったことがなかったです。

高山:本を出した後で、「あ、こんなことになっちゃった」という気持ちになったところはありましたね。

――9月下旬には新刊の長篇『暗闇にレンズ』が刊行になりますね。説明に「時代に翻弄されつつもレンズをのぞき続けた一族の物語」とあって、これがもうすごく面白そうで。

高山:大きく出ましたよね(笑)。ありがたいことにかなり好きなものを書かせたいただものなんです。映画とか映像とかの話です。映画ができてから120年くらい経ちますが、これは明治時代から、女性たちの年代記みたいな話になっています。もちろんほら話なんですけれど...。
 私、『首里の馬』も「どういう話なんですか」と訊かれて「馬を盗むんです」としか言えなくて、ちゃんとあらすじが説明できなくてすみません(笑)。

(了)