第221回:高山羽根子さん

作家の読書道 第221回:高山羽根子さん

この夏、『首里の馬』で芥川賞を受賞した高山羽根子さん。これまでも一作ごとにファンを増やしてきた高山さん、多摩美術大学で日本画を専攻していたという経歴や、創元SF短編新人賞に佳作入選したことがデビューのきっかけであることも話題に。読んできた本のほか美術ほか影響を受けたものなど、高山さんの源泉について広くおうかがいします。

その5「いつでもメモ書き」 (5/7)

――さて、大学を卒業された後は、就職されたんですか。

高山:私はロスト・ジェネレーションの最初の頃の世代で、大学に十数倍の倍率から入ってきたのに授業料を払えなくて辞めてしまう人も何人かいたし、就職も仕事があるだけましだというところがありました。私も「就職できるならまあいいや」という感じで就職して、夜中まで仕事して絵を描く時間もなくて、最初のうちは我慢しようと思っていたんですけれど、20代中盤、後半までそんな感じが続いて。お金があっても時間がなくて、大学の時に行けた美術館も展覧会もお芝居もどんどん行くことができなくなって。体力がある分、働けちゃったんですよね。「本を読む時間も気力もないな」というところから脱出できたのは30歳を超えてからでした。まあ、そういう経験もあったから書けるものもあるから、一概に無駄だったとは言えないんですけれど、好きなものを読んだり書いたり美術を観に行ったり絵を描いたりということが選べるようになるまで10年以上かかった感じです。

――脱出できたのは、勤めていた会社の空気が変わったのですが、それとも転職されたのですか。

高山:時間が取れるようになったのは転職がきっかけでしたが、転職しなくてもある程度の歳になれば少し落ち着いていただろうとは思います。20代の頃は、結構大変な仕事をしつつ、ちょいちょい絵を教える仕事なんかもしていたんです。平日に普通に働いて、日曜日に絵を教えたり、いろんなイベントのお手伝いみたいなこともしていたので。それでいっぱいいっぱいなっちゃったので、30代になってから、長くかからない仕事に替えて、他のお仕事も辞めたんです。それで空いた時間を美術館や展覧会やお芝居など、完全に自分の好きなものに使うようになったらすごく気が晴れたというか。学生の頃に比べたら知識も増えているから、いろんなものを観ても圧倒的に受け取りやすいし、吸収しやすくなっていましたし。それまで仕事でぎゅーっと抑圧されていた分が、開けて「はあーっ(溜息)」となりました(笑)。

――高山さんは、そうしていろんなものを観た時に、感じたことを書き留めてきたのですか。

高山:そうですね、ちょろちょろっとメモを書いたりして。それを絵の制作に反映したりしていたので、ネタ帳みたいなものですね、要は。

――前に小説の創作に使ったという、大きなスケッチブックを見せていただいたことがありますよね。いろんな資料やアイデアみたいなものが書きこまれていて、メモがそのまま張り付けてあったりして。

高山:あれはネタ帳で書いたものなんかを大きな面で一度に見えるように整理したものですね。あれくらい大きなものは小説を書くようになったから作るようになりました。普段は普通のノートサイズのものとか、それこそ美術館などでは手のひらに入るくらいのサイズのメモ帳に書いています。メモ帳みたいなものは絶えず持ち歩いています。

――そういうところに文章もちょこちょこ書いているうちに、小説を書こうと思い立ったのですか。

高山:そうですね。小説と言っていいのかどうかという感じなんですが、最初は原稿用紙でいったら5枚と10枚の間の短いものを書いていました。今となってみれば、結構そのくらいの長さでまとめるのって大変なので、よくやっていたなと思います。絵も同じで、いきなりマスターピースは描けないので、小さな紙とか板でいいから、全部描いて描いて全部塗って、「下手だな」と思っても描き終わらせることを何度も繰り返したほうが絶対うまくいくんですよ。私はそういうやり方が合っていたようで、だんだん書くものが10枚になり、20枚になり、50枚になっていって。

――作家になろうと思ってではなく、あくまでも楽しんで書いていたわけですね。

高山:「作家になる」というのが今でもピンときていないんですよね。画家って「画家になる」っていうのがないじゃないですか。

――ああ。確かに「作家デビュー」という言い方はあるけれど、「画家デビュー」って聞かないですよね。

高山:人によってはグループ展を開くとか、個展を開くとか、何かの賞を獲ることを基準にしている人もいるとは思いますが、基本的には、生業にしているかは関係なく、絵を描いている人はみなさん画家ですよね。小学生が「僕はアーティストだ」と言ったらもうアーティストなんですよね。でも小説の場合は違って、本が出たとか、何かの賞を獲ったとか、「作家と名乗っていいライン」みたいなものがある気がします。でも今は自分で書いたものをkindleやネットで発表してお金をもらっている人もいるし、なにをもって「小説家」というのかが余計にわからなくなっていますよね。今はインターネットでいろいろ作品を発表できなかった時代のライン引きみたいなのがなんとなく残っている状態で、これからまた変わっていくのかなと思います。

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