第226回:酉島伝法さん

作家の読書道 第226回:酉島伝法さん

2011年に「皆勤の徒」で第2回創元SF短編賞を受賞、造語を駆使した文章と自筆のイラストで作り上げた異形の世界観で読者を圧倒した酉島伝法さん。2013年に作品集『皆勤の徒』、2019年に第一長編『宿借りの星』で日本SF大賞を受賞した酉島さんは、もともとイラストレーター&デザイナー。幼い頃からの読書生活、そして小説を書き始めたきっかけとは? リモートでお話をおうかがいしました。

その4「イラストレーターへの道を選択」 (4/8)

――絵の道に進もうと決めたのは高校生の時だったのですか。

酉島:高校の時は、バンドというかギターに夢中になっていましたけど、ミュージシャンにはなれるとも思えず、「自分に一番向いているのって、絵を描くことかなあ」っていうくらいの漠然とした気持ちでした。それなら本の挿絵を描くような仕事をしたいと思うようになったんですが、ノストラダムスのせいかも知れないけれど、大学で4年間学ぶのはすごく長く感じたんです。専門学校なら2年間だから、とそちらに進みました。すぐにでも働きたかったんですね。
 でも、2年間では時間が足りなかったというか、もうちょっと勉強したくなって、研究生としてもう1年行きました。
 デヴィッド・クローネンバーグ監督あたりに影響されて、学校では、筆やエアブラシで気持ちの悪いものばかり描いていたので、同級生には心配され、先生にはものすごく怒られました。「お前、こんなん描いてこれからどうするつもりや」と説教されて、腹を立てつつも「それもそうやな」って一度封印したんです。確かに、そんな絵では就職先も見つかりそうにない。。

――酉島さんがクローネンバーグって、すごく納得です。

酉島:『クローネンバーグ オン クローネンバーグ』っていう本で、クローネンバーグが愛読していたと語っていたJ・G・バラードやウィリアム・バロウズも読むようになりましたし、影響は多岐にわたりますね。クローネンバーグがグロテスクなビジュアルを使わずに撮った作品の方法論にも。

――ああ、「ヴィデオドローム」とか「ザ・フライ」とかバロウズ原作の「裸のランチ」のイメージが強いので、前に久々に新作を観た時、「あれ、映像あんまりグロくなくなったな」と思いました。

酉島:それは「マップ・トゥ・ザ・スターズ」か「コズモポリス」か「ヒストリー・オブ・バイオレンス」か......

――「ヒストリー・オブ・バイオレンス」です。

酉島:そのあたりから、一見普通の世界で、歪つかつ切実な精神性を描くようになっていったんですよね。グロテスクなビジュアルはないにも関わらず、あった頃の作品と変わらない異様な余韻が残るという。自分も『るん(笑)』のように人間しか出てこない話では、その感じを踏襲しているところがあります。
 学生時代の話に戻ると、クローネンバーグの他にも、デヴィッド・リンチとか、ヤン・シュヴァンクマイエルといった監督の映画にはまっていましたが、フリッツ・ラングの「メトロポリス」をはじめて観て、モノクロ映画の光と影の美しさや、建築物に魅了されたことが、グロテスクなもの以外の絵を描くきっかけになりました。

――卒業後は就職されたんですか。

酉島:建築物を描けるようになりたくて、建築系のイラストレーション事務所に就職しました。初日からもう毎晩終電という生活でしたし、仕事のレベルが高くて、不器用な自分では全然ついていけなくて怒られてばかりでした。まあ、そのおかげで少しは建築物を描けるようになったんですけれど。
 大きいビルのエアブラシイラストだと、アシスタントとして下絵にマスキングフィルムを貼り、何百という窓を1個1個くり抜かないといけないんですが、くり抜いて、くり抜いて、と延々繰り返していると朦朧としてくるんですね。フィルムだけ切らないといけないのに、うとうとしてブスっと紙にカッターを刺してしまう。するとエアブラシを吹いた時に毛羽立って、下手するとやり直しになる。いろいろと病みそうになって、デザインとプランニングの会社に移りました。そこではキャラクターのイラストを描いたり広告デザインをしていました。でも、可愛いキャラクターを描いていても精神が澱んでくるんですね。それなりに達成感はあって面白くもあったんですけれど、やはり忙しく、頭が空っぽになっていく恐怖を感じて、27歳くらいで仕事を辞めるんです。

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