
作家の読書道 第226回:酉島伝法さん
2011年に「皆勤の徒」で第2回創元SF短編賞を受賞、造語を駆使した文章と自筆のイラストで作り上げた異形の世界観で読者を圧倒した酉島伝法さん。2013年に作品集『皆勤の徒』、2019年に第一長編『宿借りの星』で日本SF大賞を受賞した酉島さんは、もともとイラストレーター&デザイナー。幼い頃からの読書生活、そして小説を書き始めたきっかけとは? リモートでお話をおうかがいしました。
その7「衝撃を受けた作家その2」 (7/8)
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- 『世界の果ての庭』
- 西崎憲
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――プロとして小説を書くようになってから、読書傾向に変化はありましたか。
酉島:プロになってからよりも、小説を書き出した時の方が変化が大きかったですね。一貫して海外の変わった小説を好んで読んでいますが、そのきっかけになったのは、ニコルソン・ベイカーの『中二階』ですね。
――会社員の男性が、中二階のオフィスに上がる短い間に考えるこまごましたことが書かれていますよね。靴紐のこととか。
酉島:そうです、靴紐とか牛乳パックとかストローとかミシン目とか。晴れた日にロビーの大理石やガラスがが作り出す光のエスカレーターや、回転する羽根を次々に飛び移りながらも静止している光、ちりとりをずらした時にできる埃の線、といった細かい描写には、こういう文章を読みたかったんだと痺れました。注釈だらけで、時にはどちらが本文なのか分からなくなるのも面白いんですね。「こんな書き方があるのか」と驚かされ、「こんな面白い本を翻訳している人がいるのか」と翻訳家の岸本佐知子さんを知り、岸本さんのエッセイ集『気になる部分』を読んで「ご本人が書くものもこんなに面白いのか」となって。旅先できのこ尽くしの宿に泊まる「「国際きのこ会館」の思ひ出」なんて、腹抱えて笑いました。
そこから岸本さんの訳書を色々読むようになったんですが、特にジュディ・バドニッツの『空中スキップ』は好きですね。「ハーシェル」という短篇の、赤ちゃんをパンみたいに手でこねて作る描写が素晴らしくて。焼きあがる時に、蕾みたいな形だった耳が花びらのように開くんですよ。
ありえないことを信じさせてくれる小説が好きなんですね。例えばエリック・マコーマックの『隠し部屋を査察して』の表題作では、治安判事に尋問された女の人が口からいろんなものを吐く場面があるんです。体長四十五センチのウツボを四匹とか、七匹の蛇のようにからみあった七色の毛糸の束とか、彫刻刀とかピストルとか。大量の血液も吐いたけれど、病理学者によれば彼女の血液型ではなかったとか。凄いですよね。ずっと復刊を願っていたんですが、最近文庫がようやく重版されて嬉しかったです。
――『空中スキップ』もずっと入手が難しい状態ですよね。
酉島:そろそろ文庫化されてほしいですよね。「犬の着ぐるみを着た男が、ドアの外でクンクンと鳴く」という一文から始まる「犬の日」も胃に錘をかけられるような面白さで。
奇想短編だと、ゴンブローヴィッチの『バカカイ』という短編集の「冒険」などを偏愛しています。主人公が船長にいたぶられたあげくガラス球に封じられて海原に放り出さるんですよ。グスタフ・マイリンクの「灼熱の兵士」もいいですね。兵士の体温がひたすら上がっていき、最後は焼けた炭みたいに赤く光るという。
あとはコルタサルですね。渋滞したまま季節が変わっていく「南部高速道路」とか。「パリにいる若い女性に宛てた手紙」なんて、口から子兎を吐き出す話で、喉の感触の描写がすさまじいですよね。本当に吐いたらそんな感じがしそうで。
――奇想系の短篇というと、ジェラルド・カーシュとかも好きですか。
酉島:めちゃくちゃ好きです。ジャングルを骨のない生き物がぐにゃぐにゃ迫ってくる「骨のない人間」とか、沖で極彩色の人間が発見される「ブライトンの怪物」とか、土俗的な中にSF要素が垣間見える感じが独特でいいんですよね。『壜の中の手記』で西崎憲さんを知りました。僕も日本ファンタジーノベル大賞に応募していたので、西崎さんが受賞した時に、「あの方か!」と驚かされました。
――ああ、西崎憲さんはカーシュの短篇集『壜の中の手記』と『廃墟の歌声』の訳者のおひとりですよね。西崎さんが『世界の果ての庭』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞された時、私も「あれ、名前が同じだけど、あの翻訳者の人かな」と思いました。
酉島:受賞作は訳されるものとすこし雰囲気が違っていましたもんね。西崎さんの小説だと、『未知の鳥類がやってくるまで』に収録された「開閉式」はすごいですね。
短編ばかり上げていましたが、長編の奇想小説だとまず頭に浮かぶのは、カリンティ・フェレンツというハンガリーの作家の『エペペ』ですね。めちゃくちゃ面白いです。邦訳版はもう絶版なんですけれど、英語版が「Metropole」というタイトルでペーパーバックや電子書籍で出ています。
ハンガリーの言語学者がヘルシンキの会議に行くはずが、知らない国に降り立ってしまうという話なんです。その主人公はいろんな言語が話せるんですが、そこではどんな言葉も通じない。それどころか、意思の疎通すらできない。なんとかホテルに泊まってもトラブルだらけで、苦情を言っても分かってもらえない。なんとかこの国の言葉を解読しようとしてひたすら街をさまようんです。
カフカの『城』を読んだことがないときに、粗筋から勝手に期待していた不条理感が『エぺぺ』にはあったんですね。僕はどうやら「到達できない系」に弱いみたいです。戦場から逃げだした兵士を探しに行くティム・オブライエンの『カチアートを追跡して』とか、リムジンに乗ったままいっこうに2マイル先の理髪店に辿りつけないドン・デリーロの『コズモポリス』も好きですし。
――今検索したら、『エペペ』の邦訳が出たのは1978年なんですね。
酉島:ええ、すでに手に入らなくなっていたので、僕は図書館で読みました。たぶん牧眞司さんの『世界文学ワンダーランド』で知ったんだと思います。
あと挿絵や写真など、図版入りの本には惹かれますね。W・G・ゼーバルトの本は、写真やイラストが内容と有機的に繋がってくるところがすごく好きで、参考にしています。エドワード・ケアリーはご本人が挿絵を描いていますが、絵と文章が地続きに馴染んでいていいんですよね。以前ケアリーさんの提案で、互いの小説の絵を描いて交換しあったことがあるんですが、あのときは感激しました。他にも画家でもある作家は好きですね。マーヴィン・ピーク、ブルーノ・シュルツ、ディーノ・ブッツァーティ、アルフレート・クビーン......
――おうかがいしていると、ブックガイド的な本もいろいろと読まれているんですね。
酉島:もしかしたら小説よりも書評のほうが好きなんじゃないかって思う時があります。映画の予告編と同じで、書評を読んで「どんな本なのか」と想像している時間が楽しいんですね。。
なのでそうした本はよく読みます。石堂藍さんと東雅夫さんの『幻想文学1500ブックガイド』とか、柳下毅一郎さんの『新世紀読書大全』とか、豊崎由美さんの『そんなに読んで、どうするの?』とか。大森望さんもSF系のブックガイドをたくさん出されていますし、あと、桜庭一樹さんの「桜庭一樹読書日記」のシリーズも好きでした。
――なかなか書店で見かけない名作って、そういう本で見つけること多いですよね。
酉島:そうなんですよ。面白そうな本があると飛びかかるように探しますね。「なんでどこにもないねん」と嘆きながら図書館に頼ることも少なくないですが。
――ところで、小説の内容をずいぶん細かいところまで憶えてらっしゃいますね。
酉島:去年大学で講義することになって、その準備でいろんな本をざっと読み返して内容をまとめていたおかげかもしれません。ほとんど記憶のない男なので、気になった文章には付箋を貼って、あとでテキストに書き起こすようにしています。だんだん追いつかなくなってますが。さっきのナボコフの文章も、そうしたテキストのひとつです。自分で書き写してみて初めて分かることも多いんです。
――その時にご自身の感想なども一緒に書き込むんですか。
酉島:だいたいは箇条書きですこし書いておく程度ですけど、たまに書評並の分量を書かずにはいられなくなることもありますね。