
作家の読書道 第235回:新川帆立さん
宝島社が主催する第19回『このミステリーがすごい!』大賞を『元彼の遺言状』で受賞、今年のはじめに刊行して一気に話題を集めた新川帆立さん。小中学生時代はファンタジーやSFを読み、高校時代に文豪の名作を読んで作家を志した彼女が、ミステリの賞に応募するに至る経緯と、その間に読んできた作品とは。冒険に憧れた少女が作家としての船出を迎えるまでのストーリーをぜひ。
その2「11歳の決意」 (2/6)
――中学生になってからも、日々は退屈でしたか。
新川:中学生の時がいちばん闘いでした。11歳の時にホグワーツから入学許可証が来なかったので自分で頑張らないとここから出ていけないと気づき、高校進学で県外に出ることを目標にしてすごく勉強するようになりました。今までの30年間でいちばん勉強したと思います。勉強だけがミッションでした。
本当は中学受験して東京の学校に行きたかったんです。成績も良かったしどこでも受験できたんですけれど、女の子で中1で外に出るのはよくないと言われ、宮崎に残ったという経緯もあったんです。
――勉強は独学ですか?
新川:塾に通っていました。塾は選択肢がなくて、みんなだいたいここに通っているというところがひとつあって、私もそこに行っていました。塾の勉強は楽しかったです。どんどん新しいことを知れるし、分かっていても怒られないから。小中学校では学校の進度より先のことを知っていると怒られる雰囲気だったんです。塾ではできることが悪くないという感じだったので、それが楽しかったです。
――読書生活はどうでしょう。ハリポタシリーズは追い続けましたか。
新川:はい。中学生になると英語が読めるようになったので、翻訳が出る前に原書を読んで、さらにハマっていました。その頃、「ビッグ・ファット・キャット」の英語の本のシリーズを読んでいたんです。それの巻末に初心者でも読める英語の本が載っていて、日本語に訳されていない児童書も結構あったんです。宮崎にはあまり洋書が売っていなかったので、東京に単身赴任している父に会いにいくたびに、羽田空港の丸善で洋書を買って、それも読んでいました。
――「ハリー・ポッター」シリーズって、造語も多いじゃないですか。英語で読むのは大変だったのではないかと。
新川:情熱で乗り越えました(笑)。当時は古代ルーン文字も書けましたし、呪文も全部暗記してました。ハリー・ポッターの本編だけじゃなくて、『魔法生物大図鑑』も読みましたし、本に出てくるバタービールやかぼちゃジュースなどのレシピ本も読んで作っていました。
――シリーズが映画化されたのもそれくらいでしたっけ。そこまで原作が好きだと、映像世界はどうだったのでしょう。
新川:小学生の頃から毎年映画も上映されるようになって、それも追いかけていました。映画で一段と世界がはっきりしたように思いましたし、音楽にもハマりました。大きくなってからロンドンにあるワーナーのハリー・ポッター・スタジオにも行きました。愛は深いです(笑)。
あ、中1くらいの時に「パイレーツ・オブ・カリビアン」の第1弾が上映されて、それがきっかけで海賊ものを研究するようになりました。当時の海賊がどういうルールで動いていたかとか、どんな海戦があったとか調べていました。
――好きになったらとことん追究するタイプですね。その頃、将来の夢は何だったんでしょう。
新川:クイーン・エリザベス号に乗るのが夢でした。クリスティーの『ナイルに死す』なんかを読んで豪華客船に憧れて、イギリスにはクイーン・エリザベスという豪華客船があるらしいと知って。私がそういう話をしたら、うちの親は医者なんですが、私を医者にさせたいと思ったのか「船医になったら船に乗れるよ」って。それで、「船医になりたい」って言っていました(笑)。冒険というか、ワクワクドキドキすることに憧れていたんだと思います。
――中学時代、他にはどんな本を読みましたか。
新川:西尾維新さんの「戯言」シリーズを読んで衝撃を受けました。なぜか姉が持っていたし、友達から借りたりもしました。すごく流行っていたんです。それでメフィスト系ってすごいじゃんとなって、京極夏彦さんも読むようになりました。ライトノベルの走りのようなものもたくさん出ていたので、「涼宮ハルヒ」シリーズとか、電撃文庫で目についたものを読んでいました。
漫画だと『HUNTER×HUNTER』や『DEATH NOTE』がすごく流行っていたので、そうした有名どころは回し読みしながら読んでいました。