
作家の読書道 第237回:小田雅久仁さん
2009年に『増大派に告ぐ』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞、2012年に刊行した『本にだって雄と雌があります』が本好きたちの間で圧倒的な支持を受け、昨年、久々の新作作品集『残月記』を刊行して話題を集める小田雅久仁さん。幼い頃から国内外のさまざまな作品を読み、時に深く考察してきた小田さんの読書遍歴とは。気になるタイトルがたくさん出てきます!
その1「好きだった絵本、児童文学」 (1/6)
――小田さんはプロフィールに「宮城県生まれ」とありますが、今は関西にお住まいですよね。
小田:仙台で生まれて、小学校に上がる時に兵庫の西宮に引っ越しました。西宮に3年いて、その後はずっと大阪の豊中市です。
――ご両親は関西ご出身ではないのでしょうか。おうちでの言葉はどうだったのかなと思って。
小田:母親が宮城出身、父親が栃木出身です。なので両親は関西弁ではなかったんです。僕は外では関西弁で、家ではほとんど標準語を話して使い分けていました。友達から電話がかかってきた時に家の中で関西弁を喋るのが恥ずかしかったですね(笑)。姉と妹がいるんですが、姉は関西弁の影響は少なくて、妹は関西弁と標準語が混じった感じで喋っていました。
――なるほど。さて、いつもいちばん古い読書の記憶からおうかがいしておりますが。
小田:仙台にいた頃、近所の公園にマイクロバスの移動図書館がよく来ていたんです。母親が本が好きやったんで、一緒によう借りに行っていました。
よく憶えているのはアーノルド・ローベルの『きょうりゅうたち』。恐竜の絵と説明が載っている絵本で、それを見ながら模写していました。レイモンド・ブリッグズの『さむがりやのサンタ』という絵本は漫画みたいにコマ割りされていて、母親が好きで僕もよく読んでいました。
幼稚園に通っていた頃、自分でも絵本を描いたんです。折り紙の裏なんかに絵を描いて、字は書けないので言ったことを母か姉に書いてもらって、ホチキスでまとめて。かたつむりの冒険とかそんなんでしたね。拍子抜けするくらい短いお話で、かたつむりがどこにいった、どこに着いたという、物語にもなっていないものでした。それがまだ残っています。絵を描くのが好きやったみたいです。
――自分で文字が読めるようになってくると、どんなものを読み始めましたか。
小田:ヒュー・ロフティングの『ドリトル先生アフリカゆき』などドリトル先生のシリーズが好きでしたね。佐藤さとるの『だれも知らない小さな国』のシリーズも好きでした。空想癖のある子供だったので、自分がコロボックルだと想像しながら布団に入ってそのまま寝る、ということをしばらくやっていました。
――ああ、自分の周りにもコロボックルがいないかなと想像するのでなく、自分がコロボックルになったと空想していたんですね。
小田:そうですね。誰も知らない秘密基地みたいなところがあって、そこで豆犬を飼っているという想像をしていました(笑)。本ではないけれど、小さい頃に「ワンワン三銃士」というアニメをやっていたので、それを見て自分が犬になったつもりで「三銃士」を空想していました。
――テレビや漫画も好きでしたか。
小田:漫画は『ドラえもん』が好きでした。全巻ではないんですが、たくさん持っていて何回も繰り返し読みました。関西から父親や母親の実家に行く時に、新幹線に乗るたびに駅で買ってくれて、乗っている間読んでいたんです。だから行くたびに増えていきました。『ドラえもん』にはあらゆるアイデアが詰め込まれている気がしますね。僕が自分で思いついたと思っていることも、もうすでに『ドラえもん』に出てきているんちゃうかと思います。
――本を読むのが好きな子供でしたか。
小田:家にこもっている感じでもなくて、仙台にいた頃は家の外に田んぼがあって、その周りの水路におたまじゃくしがいて、よう捕まえて遊んでいました。その頃はピアノとかエレクトーンを習っていたんですが、外で遊んでめちゃめちゃ手が汚れたまま行って、弾いているうちに白鍵が汚れていくので先生が拭きながら教えてくれていました。田んぼでイナゴをとっておじいちゃんおばあちゃんのところに持っていくと佃煮にしてくれたのでそれを食べたりもしていました。その頃は虫が好きやし平気やったのに、大人になると苦手になりました。
――小学生時代、他にはどんな読書を?
小田:よく憶えているのは斎藤惇夫の『冒険者たち ガンバと15ひきの仲間』ですね。イタチと戦うドブネズミたちの話です。小説を読んでボロ泣きしたのは後にも先にもこれだけです。子供が読む本のわりに終盤になると一匹また一匹と仲間が死んでいくんですよね。それがショックで、「そんなことあるか」と思って。今、僕も小説を書いているけれど、登場人物をひどい目に遭わせたりするのはそういう読書体験があったからかもしれません。
ポール・ギャリコの『さすらいのジェニー』や『ほんものの魔法使』も好きでしたが、それも切ない終わり方やったなという記憶があって。そういうものの影響なのか、やるせない終わり方の小説は今でも好きです。
他には、手島悠介の『ふしぎなかぎばあさん』。鍵をいっぱい持っているおばあさんで、今思うと、どこへも入り放題ですよね(笑)。あとはトーベ・ヤンソン『ムーミン谷の彗星』とかマージェリー・シャープ『ミス・ビアンカ くらやみ城の冒険』とか。
シーラ・ムーン『ふしぎな虫たちの国』は挿絵がすごくよかった。もう絶版になっているんですけれど手に入れたいです。挿絵でいうとジュール・ヴェルヌ『神秘の島』も好きでした。『海底二万海里』の続きだと知らなくて読んだんですが、挿絵がすごく格好よかったですね。函に入った本でした。
――きっと、福音館書店の古典童話シリーズですね。そうした本は買ってもらっていたのですか。
小田:たいがい家にありました。『冒険者たち』も『ドリトル先生』も持っていたし...。
今回、このインタビューのためにどんなん読んできたかなと考えているうちに、全部読み返したくなったんですが、タイトルが分からない本もあったんです。空飛ぶカバを飼う話を読んだ記憶があったんですが、タイトルを憶えていなかったんですよ。挿絵の建物の前の看板に「おおばかばかがく研究所」と書いてあって、「大馬鹿馬鹿学研究所」と読めるんです。でも切るところが違って、「オオバ・カバ科学研究所」なんですよね。うまい!と思ったから記憶に残っていたんでしょうね。それで検索してみたら、分かったんですよ。鈴木悦夫『空とぶカバとなぞのパリポリ男』という絵本でした。パリポリ男が気になりますよね(笑)。それも読み返したいけれど、絶版みたいなんです。
――それは気になります(笑)。
小田:それと、読んでいない本なんですけれど小学校高学年の頃、僕より読書家の友達が「『鬼火島伝説』という本がすごくエロい」って言っていたんです。図書館にあると聞いて借りに行っても、そいつが言いふらしているからか、いつも貸し出し中で。結局読まなかったんですが、今回思い出して調べてみたら志茂田景樹さんの小説で、胸を露わにした女性が表紙でした(笑)。
――小学生男子が騒ぎそうです(笑)。学校の国語の授業は好きでしたか。
小田:記憶にないんです。その頃は小説家になろうとも全然思っていないから、なんとなく授業を受けていただけでした。作文も特別好きだったわけではなくて、普通というか。先生も差をつけるような評価をすることはなかったので、だいたい「よくできました」だったと思います。
子供の頃は漫画家になりたかったんです。絵を描くのが好きで、『北斗の拳』を模写してうまく描けたら学校に持っていって友人に見せたりしていました。ファンタジーやSF的な漫画を描きたかったですね。高校生の時に一回、4コマ漫画を雑誌に投稿して奨励賞に選ばれて5万円もらいました。シュールな内容で、後から見ると全然面白くないんですけれど。
そういえば、絵だけじゃなかったですね。当時ゲームブックが流行っていたので、自分でもノートに書いて友達とかを登場させていました。
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