
作家の読書道 第237回:小田雅久仁さん
2009年に『増大派に告ぐ』で日本ファンタジーノベル大賞を受賞、2012年に刊行した『本にだって雄と雌があります』が本好きたちの間で圧倒的な支持を受け、昨年、久々の新作作品集『残月記』を刊行して話題を集める小田雅久仁さん。幼い頃から国内外のさまざまな作品を読み、時に深く考察してきた小田さんの読書遍歴とは。気になるタイトルがたくさん出てきます!
その6「執筆前に読む本、好きな海外作品」 (6/6)
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- 『本にだって雄と雌があります(新潮文庫)』
- 小田 雅久仁
- 新潮社
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――昨年、『本にだって雄と雌があります』から9年ぶりの新刊『残月記』がようやく刊行されました。小田さんは非常に寡作な印象ですが、その間もいろんな媒体に短篇や中篇を書かれていたんですよね。
小田:僕はだいたい短篇の仕事をいただくと締切の1か月前から始めるんですね。短篇は70枚くらいのイメージなんですけれど、たいがい長くなって100枚を越えたりする。それで考えると、尻に火がつけば、1か月150枚は書けるんです。なので、そこまで遅くはないはずなんです。
――執筆時間など、一日のルーティンは。
小田:決まってはいなくて、だいたい朝9時か10時から昼まで書いて、午後は夕方まで書いて、忙しかったら夜も書いて......。単純に、締切が近づいてくると書く時間が延びていくスタイルです。時間的には結構書いていると思いますが、考えているだけで全然書かない日もあります。
本はだいたい夜に読みますね。原稿を書かない夜とか、寝る前とか。それと、朝書き始める時に、まず文章の世界に入っていくために何かの小説をちょっとだけ読んでいます。
――読んだ本の文章に引っ張られたりしないんですか。
小田:ちょっとあります。だから、なるべくいい文章を読むんです。ボクシングの試合を見た後に自分も強くなった気分になってシャドーボクシングしたくなるのと同じで、いい文章を読んで「俺もやれる」みたいになるのが理想です(笑)。
――実際、どんな本を読むのですか。
小田:いっときは夏目漱石の『吾輩は猫である』を読んでいましたね。ぱっと開くと、どのページにも濃い文体があるじゃないですか。そういうので勢いをつけるところがある。他は純文学が多いですね。大岡昇平の『俘虜記』とか、島尾敏雄の『死の棘』とか。
――そのセレクトが小田さんだなと思います(笑)。ご自身の作品に影響を与えたなと思う本はありますか。
小田:今回の『残月記』に関連ある本を挙げるとするなら、バルガス=リョサ『チボの狂宴』ですね。ドミニカ共和国の独裁者が暗殺された話に基づいていて、あれはすごく面白かったです。ジョゼ・サラマーゴ『白の闇』は文章が面白くて。地の文と台詞を分けずにずらーっと並べていて、それでも読ませるのがすごい。僕がああいう読みにくいことをやろうとしたら周囲に「やめてくれ」と言われそうですが、サラマーゴは強い気持ちでそういうスタイルを編み出したんやなと思って。
――ああ、『残月記』の表題作や「月景石」には独裁国家が出てきますよね。『白の闇』は視界が真っ白になる謎の感染症が蔓延する話ですが、小田さんの表題作では月昂という感染症が流行する日本が舞台です。
小田:作中に出てくるマーガレット・アトウッド『侍女の物語』や、トム・ロブ・スミス『チャイルド44』も印象に残っています。
――さきほどデビュー後は日本人作家を読むようになったとのことでしたが、海外小説も幅広く読まれていたんですね。
小田:印象に残っているものでいうと、クッツェーの『恥辱』やデュレンマットの『失脚・巫女の死』、ヘレン・ダンモア『包囲』、ミシェル・ウエルベック『ある島の可能性』とかですかね。
クッツェーは『夷狄を待ちながら』、ウェルベックは『地図と領土』や『服従』なんかも憶えています。他には、フィリップ・ロス『プロット・アゲンスト・アメリカ』、ケヴィン・ブロックマイヤー『第七階層からの眺め』、リチャード・パワーズ『われらが歌う時』、カズオ・イシグロ『わたしを離さないで』『忘れられた巨人』。ブルガーコフの『巨匠とマルガリータ』やウリツカヤ『ソーネチカ』、ガルシア=マルケス『百年の孤独』なども憶えています。ハンナ・ケント『凍える墓』とか。
――SFやミステリ、ホラーや幻想系は。
小田:SFだとグレッグ・イーガンの『宇宙消失』『祈りの海』『しあわせの理由』、アーネスト・クラインの『ゲームウォーズ』。ジェフ・ヴァンダミア『全滅領域』ですかね。
ミステリだと、ティエリ・ジョンケ 『蜘蛛の微笑』、デイヴィッド・ベニオフ『卵をめぐる祖父の戦争』、ロバート・ハリス『ファーザーランド』、スティーグ・ラーソン『ミレニアム1』、デイヴィッド・ヤング『影の子』......。
他にはF・ポール・ウィルソン『城塞(ザ・キープ)』、イスマイル・カダレ『夢宮殿』なんかも読みましたね。短篇集では講談社文庫の『現代短編名作選』やクライヴ・バーカー「血の本」のシリーズなどが好きです。
――クリストフやマッカーシー、エルロイの他に、分析したり影響を受けたりした作家、作品はありますか。
小田:村上春樹さんの作品については、やっぱり読んできているので、いろいろ考えました。どれも一般的に評価は高いんですけれど、僕の読んだ感じだと『海辺のカフカ』や『1Q84』なんかは前半がすごく面白くて、後半になると緊張感が失われてくる印象だったんです。なんでそうなるのか分からずにいたんですが、『色彩を持たない多崎つくると、彼の巡礼の年』を読んで、自分なりに答えが出たというか。村上さんがスティーヴン・キングが好きという話をしていたんで、それもあって考えたことなんですけれど。
『羊をめぐる冒険』の時からそうなんですが、村上さんの作品にはいつも超自然的な悪を象徴する存在が出てきて、それが読者を引きつけるフックになっているんですよね。でも、最後まで主人公と直接対決しない。たいてい、闘うのは主人公の周辺の存在だったり、悪の存在自体が途中から姿を消したりして、主人公との直接対決は回避されている。そこが僕にとっては物足りないんだろうなと感じていました。ただ、直接対決する展開にするとキングになってしまうんですよね。村上春樹さんは自分はホラー作家じゃなくて文学を書いているという意識があるから、だから直接対決を避けるんかなと思っていたんです。
でも、『色彩をもたない~』は、昔の友人を次々訪問して、ある意味で直接対決しているんですよ。相手が超自然的な存在でなければ対決させることができるんです。ああ、そういうことかと思いました。『騎士団長殺し』も悪の存在は物語の中心まで出てこないで通りすがりという感じなので、だからか僕も最後まで面白く読めたんです。そういうことから、作品の中に超自然的な悪を持ち出すのではなく、対決する相手は人間にしたほうがいいんだと、自分なりに学びました。悪は人間の側に持たせないといけないんだな、って。
――なるほど興味深いです。
小田:あともうひとり、石原吉郎さんという、シベリアに抑留されて、帰ってきてから詩やエッセイを書かれている方がいて。『望郷と海』というエッセイ集に「人は死において、ひとりひとりその名を呼ばれなければならないものなのだ」という言葉があって、帯にも引用されているんです。シベリアにいた時に自分と同じ状況がいる人がバタバタ死んでいく、その名もなき死に対して抗う気持ちが出ていると思うんです。
「一人の死は悲劇だが、100万人の死は統計上の数字である」という言葉がありますよね。一人一人の内面に入っていかずに統計上の数字として片づけてしまう、非常に政治的な言葉やなと思うんです。たとえばどこかの国の大統領が戦争を始める決断をしようとした時、「最初に戦地に行って死ぬのはあなたの息子ですがいいですか」と言われたら決断できなくなると思うんですよね。あえて一人一人の人間に違いがあることを考慮しないのは、政治のひとつの本質やなと思います。それは鳥瞰的な視点なんですよね。逆に小説は、一人一人の中に入っていく表現方法やと思う。ノンフィクションも、死んでいく人を外側から見てその様子を書くことしかできない。小説は想像力を働かせて、死んでいく人たちの内面に入って書くことができる。政治的な視点とはまったく違う、地べたを這いずり回る人間の視点で書けるのは小説の強みやなと思う。僕があまり順風満帆に生きている主人公を書かないのは、地べたをはいずりまわる人の有様を書けたらという気持ちがあるからなんですよね。「残月記」の宇野冬芽なんてまさに地べたを這いずりまわる名もなき存在として扱われる人間です。一人一人の命を顧みない無情な政治に対して、非政治的な部分を彼に託して書きました。そういうふうに読んでもらえたら嬉しいです。
――『残月記』には月をモチーフにしたダークな3篇が収められています。主人公の男が月が裏返る光景を見た瞬間、自覚のないままに他人と入れ替わってしまう「そして月がふりかえる」、亡くなった叔母の形見の石をきっかけに、一人の女性が月世界で壮絶な体験をする「月景石」、一党独裁の日本で月昴という感染症が流行、発症した青年が、政府が秘密裡に開催する剣闘行事に出場する「残月記」。どれも日常が一変する怖さと、それに抗おうとする姿が描かれますね。もともと月に興味があったのですか。
小田:最初は7篇くらいの短篇集にするつもりで、曜日の月・火・水・木...と考えていくつもりだったんです。それで最初の「月」として「そして月がふりかえる」を書いたら、短篇とはいえないくらい長くなってしまって。だったら月をテーマにした3篇で1冊を作ろう、という話になりました。
――そうだったんですか。それにしても文章も濃密で、しかも「残月記」などは非常に細かく世界が作り込まれていて、過酷ではあるけれども、豊かな世界が広がっていますよね。すごい景色を見せてくれます。
小田:細かい設定を考えていても、自分が"こんなことはありえない"と思ったら書けなくなってしまうんです。だからといって設定を変えることはしないですね。設定ではなく書き方が間違っていると思って、どうにか自分がその世界にのめり込めるようになるまで必死で食い下がって、何回でも書き直します。
――だからこその完成度なんですね。また新刊を9年も待ちたくはないのですが、今後のご予定は。
小田:あちこちの媒体に中短篇を書いているので、それをはやくまとめて出したいですね。「小説新潮」に怪奇小説をいくつか書いたので、いちばん早くまとまるとしたらそれかなと思っています。
(了)
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- 『ゲームウォーズ(上) (SB文庫)』
- アーネスト・クライン,池田 真紀子
- SBクリエイティブ
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