
作家の読書道 第254回: 一色さゆりさん
2015年に『神の値段』で『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞し、以来、美術とエンタメを掛け合わせた作品を発表してきた一色さゆりさん。芸大を卒業し、ギャラリーに勤務していた彼女は、どのような本を読み、なぜ美術ミステリーでデビューすることになったのか? 絵本や国内外の小説はもちろん、アート関連書など一色さんならではのお気に入り本も教えてくださいました。
その1「幼い頃夢中になった本」 (1/6)
――いつも一番古い読書の記憶からおうかがいしております。
一色:一番古いかどうかは不確かなんですけれども、絵本になりますね。母が結構本を読んでくれる人で、家にも本がありましたし、毎週近くの図書館に行って絵本を借りていた記憶があります。『ノンタン』や『ぐりとぐら』のシリーズや『からすのパンやさん』などを読んでいました。
自分から進んで読んだ本の一番古い記憶は、『少女ポリアンナ』という、なんでもいいふうに、前向きに考えるゲームをする女の子の話です。それは繰り返し読んでいました。他には『長くつ下のピッピ』なども。
兄が2人いて、その影響で『名探偵カッレくん』や『モモ』も読んでいました。同じように兄の影響で、小さい頃から「ジャンプ」や「マガジン」、「サンデー」といった少年漫画誌も毎週読んでいました。振り返ってみると、私が9歳の時に『ONE PIECE』が始まっているんです。すごく斬新な漫画が始まったと周りが話していたのをすごく憶えていますね。その1年後、10歳の時に『HUNTER×HUNTER』が始まったんですよね。それも今回、この取材のために振り返っているうちに思い出しました。
あとは、青い鳥文庫の倉橋燿子さんの『いちご』という本があって。アトピーに悩んでいる小学生の女の子が、信州の山の中に引っ越して、アトピーもだんだんよくなり、恋や人間関係の動きがあって...という話でした。このシリーズは夢中になりました。思い返せば、物語がいつも身近にありましたね。
――一色さんは京都生まれですよね。どのあたりだったのでしょう。
一色:京都の左京区の、イメージでいうと洛中の北の、ギリギリ洛中のあたりです。通学路でもあった鴨川や、近くにあった下鴨神社を遊び場にしていました。
――小学生時代は学校の図書室をよく利用したり?
一色:そうですね。公立の図書館にもよく行っていました。私が通っていた頃、学校にいじめが結構あり、人間関係ですごく悩んでいたんです。私は塾に通っていたんですけれど、塾の人間関係に救われました。その塾には図書コーナーがあって、司書さんと仲良くなって、そこでいろいろな本を薦めてもらいました。
それで読んだ本のなかに、たとえば、遠藤周作の『沈黙』があります。司書さんに薦められて背伸びする気持ちで読みましたが、ハラハラして面白かったのを憶えています。他には小野不由美さんの『ゴーストハント』のシリーズや、森絵都さんの『カラフル』や『DIVE!!』も、塾のみんなで回し読みしていました。
――回し読みしたということは、本が好きな友達も多かったのでしょうか。
一色:そうだと思います。本を読む子たちと仲良くなって、その子たちとの間で回し読みする、という感じでした。
特に塾で仲良かった子は、国語で毎回満点をとるような読書好きで。その子からいろいろお薦めされて、私も読みました。一番よく憶えているのは荻原規子さんの『空色勾玉』のシリーズでした。
――ご自身で物語を空想したりすることはありましたか。
一色:ありました。その頃、「ビデオワン」という一本1円で借りられるビデオレンタル屋さんが家の近くにありまして、そこでハリウッド映画や邦画を片っ端から借りていろいろ観ていたんです。初期の記憶に残っているのが、幼稚園か小学校低学年の頃に観た、たしか「赤ちゃんのおでかけ」というタイトルの映画でした。あかちゃんが悪い奴らをやっつける、みたいな話で、その二次創作として(笑)、あかちゃんが冒険するような話を書いていたと思います。ただ、将来作家になりたいといった気持ちはなかったです。
――一色さんは芸大に進学されていますが、美術に興味がわいたのはいつくらいだったのですか。
一色:中学生の頃に、自分は周りよりは絵が好きで得意らしいと気が付きました。それで描き始めたら、幸い褒めてくれる人がいて、ちょっと楽しくなったという程度です。その頃は別に美術史のほうに強い興味を持ったわけではなかったですね。
――では中学生時代の読書は。
一色:中学生の時は、まったく本を読まなくなりました。私、人生で一番楽しかった時期が、中学校時代なんです。小学校が本当に辛くて、この人たちから離れようという一心で受験を頑張った経緯もあって。中学では陰湿ないじめがなくて、部活でバレーボールに打ち込んで、ずっと友達と遊んでいました。自転車で京都市内を走り回って、これが青春か、みたいなことを思っていたんですけれど(笑)。なんだか毎日がただ単純に楽しくて仕方なかったんです。
――学校の先生とか、環境もよかったんでしょうかね。
一色:そうだと思います。キリスト教系の学校なんですけれど、先生もおおらかでしたし、聖書を読む時間があったり、讃美歌を歌ったりもして。聖書を読むこと自体はタルいんですけれど(笑)、面白い解釈をする授業があって。その頃、聖書を読んでいたおかげで、いまだに美術史研究に役立つこともあります。よく憶えているのは、新約聖書の放蕩息子のエピソードですね。兄弟がいて、兄は親孝行するんですよね。弟は放浪して分け与えられた財産を使い切るんですが、戻って来た時に父親が温かく迎え入れる。兄が不満をぶつけると「すべて受け入れなさい」と言われるというような内容だったと思います。私は絶対無理だなと思いました(笑)。
――中学校時代、本は読まなかったとのことですが、物語を書いたりはしていましたか。
一色:物語を書いてはいないんですけれど、本からインスピレーションを得た絵は描いていました。よく憶えているのは、地学の先生がレイチェル・カーソンの『センス・オブ・ワンダー』を貸してくれて、そこからインスピレーションを得て描いた絵を先生に渡したことですね。下鴨神社に糺の森という深い森があるんですが、その世界観と合致したんです。それで森を描きたくなりました。
――水彩画ですが、油絵ですか。
一色:アクリルで描いていました。水彩画は小学校までは図画工作の時間に使っていたんですが、私はズボラな性格なのでどうしても色が濁ってしまい、それが苦手で。アクリル絵の具はぱっきり色が分かれるので性格に合っていました。
――漫画を描いたりは?
一色:描きました。友達を楽しませるために、二次創作として若干ストーリーをつけることもありました。基本、絵を描いたり、空想したり、ものをつくったりということが好きでした。
――さきほど京都市内を自転車で走り回ったとのことでしたが、地元の神社仏閣などによく行ったのですか。
一色:私はすごく行ってました。そもそも下鴨神社は遊び場でしたし、中高の頃は友だちとバスで遠出をして、神社仏閣を巡っていました。静かだし、ゆっくり喋れるので。一人のときも、特に観光するわけでなく、休憩しに行ったり、お庭をぼんやり見たりしていました。
京都を離れてからは、考え事のできる自然の多い場所が少ないことがストレスでした。東京にはまだ公園もありますが、あちこちにあるわけじゃないですよね。それでホームシックになりました。それと京都に住んでいた頃、庭は放っておいたら苔がむして、わびさびの世界になっていくんだと思い込んでいたんです。京都を出てから、放っておいたら雑草が生えてくるだけだと気づきました(笑)。あれは全部ケアしていたんだなと驚きました。
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