第254回: 一色さゆりさん

作家の読書道 第254回: 一色さゆりさん

2015年に『神の値段』で『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞し、以来、美術とエンタメを掛け合わせた作品を発表してきた一色さゆりさん。芸大を卒業し、ギャラリーに勤務していた彼女は、どのような本を読み、なぜ美術ミステリーでデビューすることになったのか? 絵本や国内外の小説はもちろん、アート関連書など一色さんならではのお気に入り本も教えてくださいました。

その5「ギャラリーの社長に薦められた本」 (5/6)

  • コンサバター 大英博物館の天才修復士 (幻冬舎文庫)
  • 『コンサバター 大英博物館の天才修復士 (幻冬舎文庫)』
    一色 さゆり
    幻冬舎
    737円(税込)
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――卒業後は、ギャラリーに勤務されたのですよね?

一色:現代アートを扱う大手ギャラリーで3年くらい働きました。
 就職してから小説はほとんど読まなくなって、ひたすらビジネス書というか、「世界はこれからどうなるのか」みたいな本を読んでいました。そのなかでよく憶えているのが、岩瀬大輔さんの『入社1年目の教科書』という働き方の本です。すごくいい本なので、今回のインタビューで必ず名前を挙げようと思っていました。題名にある通り、新入社員はどういう心構えで働いたらいいか、ということが書かれています。
 ギャラリーの社長さんがユニークな方で、毎月社員に本を買ってくれるんです。向こうから「君に足りないのはこれだ」みたいな感じで本をくれることもあり、そのなかの1冊にこの『入社1年目の教科書』がありました。
 私は、いきなり社会人になってしまったんですよね。卒業したらどうしようと思っていた頃にたまたまギャラリーで募集が出ていたので入社しただけだったので、リクルートスーツを着て、就活をして、社会人としてどう振る舞えばいいか学ぶといったことをせずに働き始めたので、社会人としてのノウハウがわからなかったんです。でも職場がものすごく厳しくて、同時期に入社したのに辞めてしまった子もいました。当時の私はメールで敬語をどう書いたらいいかわからなかったし、接客で失礼なことをしてしまったりして、どうしたらいいのか悩んでいました。その時に渡されたのが『入社1年目の教科書』で、もう、目からウロコなことがいっぱい書かれてありました。
 結局は誰よりも真剣にやれっていうことなんですけれど、すごく細かく書かれている。岩瀬さんは今は社長さんだけれども、ずっと外資系会社に勤めていたりして、いろいろ苦労された経験も書かれているので、それも面白かったです。

――社長さんもいい本をくださいましたね。

一色:はい。この社長さんが読書好きな方だったんです。普段から小説をよく読んでいるようで、話していると作家や作品の固有名詞がいろいろ出てくるんですね。そのうちのひとつが、橘玲さんの小説『マネーロンダリング』でした。なんか面白そうだなと思って読んでみたら、ミステリーなんですけれどサスペンス要素も高くて、めちゃめちゃ面白くって。こういうことを美術ものでやってみたら、すごく新しいものができるんじゃないかと思ったんですよね。

――おお、なるほど。それでさっそく書き始めたのですか。

一色:はい。だんだん仕事が楽しくなって、うまく余暇も作れるようになってきたので、ここは一念発起してみようかな、と書き始めました。大学時代にも小説を書いていましたが、ちゃんとプロットを立てて長編を練りあげたのは、それが初めてと言っていいと思います。

――それが『このミステリーがすごい!』大賞で大賞を受賞した『神の値段』なんですね。主人公が勤務するギャラリーの女性オーナーが殺される。そこに謎めいたアーティスト、オークションの裏側などが盛り込まれていく美術ミステリーです。

一色:その頃、そこまで系統立ててミステリーを読んでいたわけではなかったので、今となっては、もう一度書き直したい気持ちが少しあります(笑)が、やっぱりあのときだからこそ書けた作品ではありますね。

――しかもその頃、香港に留学されていませんか。

一色:はい。留学はデビュー前から決まっていたんです。ギャラリー勤務もすごくやりがいがあったんですが、若気の至りでもうちょっと勉強したいし、広い世界を見てみたい気持ちだったんです。西洋と東洋の関係性とかせめぎ合いがわかる場所はどこかと考えた時に、香港かシンガポールがいいなと思って。香港の先生といい出会いがあったのでそちらを選びました。私、その時、まだ修士号を取っていなかったんですよ。日本で学芸員をするなら修士号を持っていないとなかなか難しいので、修士号も取れるしいいかなと思って決めました。

――その頃の香港はどのような状況でしたか。

一色:ちょうど雨傘運動が落ち着いてすぐくらいの頃で、みんなすごくアクティブで、今ほど弾圧もされていなくて、エネルギーが渦巻いていました。ただ、私自身はちょうど『このミス』の賞を獲ってから単行本を出版するまでの時期だったんですよ。つまり、最後の手直しの期間だったんです。ずっと部屋で原稿を直していたので、香港で何かしたという記憶がなくて......。
 あとは編集者や選考委員の方々に「これは読んでおいたほうがいいよ」と言われたミステリーをずっと読んでいました。「パトリシア・ハイスミスは読んでおきなさい」「はい!」、「小池真理子さんも読みなさい」「はい!」みたいな感じで(笑)。それと、『このミス』の過去の受賞者の作品は全部読みました。大賞作品だけでなく優秀作品もすべて目を通しましたし、隠し玉もできる限り手にとりました。とくに中山七里さんの本は読破したので、後日お会いした時に紙袋いっぱいにご著書を持っていって「全部読みました」と言ったら、サインをくださったのが嬉しかったです。

――美術ミステリーを書いていこう、という気持ちはあったのですか。

一色:小説家として消えたくない気持ちがすごくありました。それを大前提として、自分が求められているものを考えてみると、編集者からいちばん依頼があるのが美術とミステリーだったので、だったらその題材で書けるようになろう、という気持ちでした。

――香港から帰国された後、美術館でお仕事されていたとか。

一色:都内の美術館の学芸課で日本を含むアジアの近現代美術を担当していましたが、それは任期がある仕事でした。その後、夫の仕事の関係で1年間イギリスに行っていました。そこで得た知識を『コンサバター 大英博物館の天才修復士』というシリーズに詰め込んだんですけれど(笑)。その後、これも夫の仕事の都合で静岡に越して、ふたたび美術館の学芸課で働いていました。でも今はそれも辞めて、完全に作家業専門です。書く仕事で食べていこうと腹をくくりました。

――ああ『コンサバター』のシリーズはイギリス滞在経験から生まれたのですね。ほかの作品でも、一色さんはいろんな切り口で美術とミステリーを組み合わせていらっしゃる。

一色:大学時代に学んだことも大きいですし、卒業した後も、自分があまり深く触れてこなかったことでも美術に関するなら、ある程度繫がりがあるので、専門家に話を聞きにいけるのは大きいかもしれません。

――エンタメの中で、美術をどう楽しむかを教えてくれるようなところもあって。

一色:恐縮です。私自身はあまり大それたことって怖れ多くて考えていなくて、読者の方が求めているものは何だろうというところから考えるようにしています。

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