第254回: 一色さゆりさん

作家の読書道 第254回: 一色さゆりさん

2015年に『神の値段』で『このミステリーがすごい!』大賞の大賞を受賞し、以来、美術とエンタメを掛け合わせた作品を発表してきた一色さゆりさん。芸大を卒業し、ギャラリーに勤務していた彼女は、どのような本を読み、なぜ美術ミステリーでデビューすることになったのか? 絵本や国内外の小説はもちろん、アート関連書など一色さんならではのお気に入り本も教えてくださいました。

その3「学生時代に読んだ純文学、美術関連本」 (3/6)

  • 富士日記(上) 新版 (中公文庫 (た15-10))
  • 『富士日記(上) 新版 (中公文庫 (た15-10))』
    武田 百合子
    中央公論新社
    1,034円(税込)
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  • きょうのできごと: 増補新版 (河出文庫)
  • 『きょうのできごと: 増補新版 (河出文庫)』
    柴崎友香
    河出書房新社
    682円(税込)
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  • 青空感傷ツアー (河出文庫)
  • 『青空感傷ツアー (河出文庫)』
    柴崎 友香
    河出書房新社
    517円(税込)
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  • ノルウェイの森 上 (講談社文庫)
  • 『ノルウェイの森 上 (講談社文庫)』
    村上 春樹
    講談社
    682円(税込)
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――そうして難関を突破して東京芸術大学に進学されて。大学生活はいかがでしたか。

一色:上石神井にある寮に住んで、ユニークな人間関係もありました。でも美術史のアカデミックな研究室だったので、修道士のようにコツコツと美術史などを勉強していく世界でした。

――学生時代に読んだのは、やはり美術関係のものが多かったのですか。

一色:大学時代は、人生のなかで一番読書をしました。だから美術関係だけでなく、小説や古典文学、哲学思想など、とにかく幅広かったです。
 まず小説の話をすると、ちょうど上京した頃に書店で並んでいたのが、その年に直木賞を獲られた桜庭一樹さんの『私の男』と、芥川賞を獲られた川上未映子さんの『乳と卵』だったんですよ。
 実は私、川上未映子さんの「純粋悲性批判」というブログをずっと読んでいたんです。高校3年生の頃にmixiやブログが流行り始めて、私も多感な時期だし文章を書くのが好きだったので、こんなに面白いツールはないと思い、自分でもブログを書いていたんです。それで、そもそもブログや日記とは一体なんだろうと興味を持ち、高校の調べ学習みたいな授業で日記文学について研究したことがあって。武田百合子さんの『富士日記』や島尾敏雄さんの『「死の棘」日記』などを読んでいくうちに、川上さんのブログに行きついたんだったと思います。小説とはまた違う、ブログ的な文体がすごく心地よかった。その川上さんの小説を書店で手にとったことが、大学に入ったばかりの出来事です。映像が立ち現れてくるような文章に惹かれて、それから川上さんの作品は詩も全部読んでいます。
 高校の時、『富士日記』もすごく好きだったんですよね。日々を丁寧に描写していて、悩みが多かった心に響いたところがありました。

――ご自身のブログはどんなことを書かれていたんでしょう。

一色:今から思えば、ポエティックで恥ずかしい内容です(笑)。2000年代中頃で、まだスマホも普及していなくて、ガラケーをネットに繋いでいたような頃です。でも、こんなに気楽に不特定多数の人に読んでもらえるんだということが新鮮でした。

――そして、川上さんに衝撃を受け、そこから読書はどのように広がっていったのでしょう。

一色:それまではストーリーを追ったり、謎が気になったりするところで読む面白さを味わっていたんですけれど、川上さんの小説を読んで、読んでいることそのものが面白い読書もあると気づきました。
 他に、そういう特色の作家を探して、全作読むようになったのが柴崎友香さんでした。柴崎さんの本は高校時代から京都を舞台にした『きょうのできごと』など何冊か読んでいて、特に好きだったのが『青空感傷ツアー』でした。女の子2人がいろんな観光地を巡って、ケンカしたり、男の子と出会ったりする話で、前向きな気持ちになるんです。柴崎さんの文章って、ものすごく五感がくすぐられる感じがします。内容も面白いんですけれど、読んでいるだけで気持ちいい。
 柴崎さんの『きょうのできごと』の文庫の解説で保阪和志さんが、最初の1ページだけで音とか光とか匂いとか自分の記憶とかが全部網羅されているといったことをお書きになられていて、その通りだなと思って。そういう視点で読むと、たしかに説明的な要素ゼロで五感が文章化されているんです。
 そういった流れで、大学に入ってからは純文系を読むことが多かったです。その頃に村上春樹もよく読みました。『ノルウェイの森』の頃の作品が入り口だったんですが、長篇よりも短篇のほうがピンと来ました。特に気に入っていたのは「眠り」という短篇です。
 三島由紀夫も結構読んでいました。『豊穣の海』もよかったんですが、『肉体の学校』が一番おすすめですね。めちゃくちゃ格好いい女性が年下の男性をはべらしていくっていう話で、振り切れていました(笑)。三島作品のなかでも傑作だなと思いました。

――美術関連の読書はどのようなものを?

一色:最初に入ったのが、椹木野衣さんの『日本・現代・美術』です。椹木さんはもともと「美術手帖」の編集部にいた方でずっと批評をやってらっしゃる。現代アートの村上隆さんや会田誠さんを早くにキュレーションした方で、今は多摩美の先生をされています。当時は美術をやるなら、作家になるにしても批評家になるにしてもキュレーターになるにしても椹木野衣は読んでおけ、みたいな風潮があって、私も椹木さんの本を最初に読んだのは、美術予備校に通っている時でした。この本もそうなんですけれど、文脈によってどんどんカメレオンのように変わっていく文章を書かれるので、学生からすると難解なんです。だけど、何かがあるように思わせる。
 それと、岡崎乾二郎さんと松浦寿夫さんの『絵画の準備を!』という本があって、これも大学生になりたての頃に買った一冊です。岡崎乾二郎さんという方は、哲学的で難解な文章なんですけれど、これもまた何かあるように思わせるのがすごく上手なんです。美術史だけでなく、哲学とか思想などの歴史もわかるし、古典であれ最近のものであれ、固有名詞がたくさん出てくるので、星座を繋げるような感じでどんどん広げて、つぎはあれを読もう、つぎはあれを、という調子で読んでいきました。一日中図書館にいて、ずっと本を読んでいるみたいな、人生のなかでも贅沢な時期でしたね。

――それらの本は、ド素人の私が読んだら難しいでしょうか、やはり......。

一色:美術系の固有名や専門用語など、共通言語がある前提で書かれているので、すらすらと読み進められる類のものではないかも......。私も大学1年生で読んだ時はまったくわからなかったんですけれど、何年も美術を勉強して業界を知るうちに、「こういうことか」とわかってくる感じでした。
 他には、写真について書かれたものに惹かれました。というのも、高校時代に画塾に通おうと思い立ったきっかけって、ドイツの現代写真家の展覧会だったんです。京都国立近代美術館でやっていた展覧会で、ヴォルフガング・ティルマンスやトーマス・デマンドの作品がありました。当時はまだスマホで撮影するなんてこともなかったのですが、絵筆を振らなくてもカメラでパシャパシャ撮れば表現ができるということで、表現としての写真に興味を持ちました。それで、写真のことについて書かれた本を集めていくようになりました。
 写真論にはいくつか古典みたいな本があるんです。ひとつはスーザン・ソンタグの『写真論』。これは大きな影響を受けて、読み込みました。久々に本棚から出してきたんですが、すごく付箋が貼ってありますね(と、モニター越しに見せる)。スーザン・ソンタグって守備範囲が広く、現代美術や映画についても書かれていて、どれも刺激的で面白いんです。ずっとがんを患っていてわりと最近亡くなった方なんですが、病気について書かれた『隠喩としての病い』や『他者の苦痛へのまなざし』は、人はどうやって生きるのか、人の痛みというものをどういうふうに感じるのかを、戦争などにも繋げて壮大に論じている。多感な大学1、2年の頃に読んだ時に、なんというか、すごく格好いいなと思いました。半分はわかっていないんですけれど、わかった気になって、そんな自分が誇らしい、みたいな(笑)。
 ロラン・バルトの『明るい部屋―写真についての覚書』もすごく読みました。「明るい部屋」というのは、カメラの構造そのものを指した隠喩的な言葉なのですが、この本では写真の撮り方とか技術的なことは一切書かれていなくて。むしろ、写真とはなにか、なにが私たちを惹きつけるのか、ということが延々と論じられています。作中、表紙にもなっている1枚の写真をめぐって、ロラン・バルトがいろいろ解釈をしていくんです。写真には意図と違って写りこんでしまうものがある。その意図せず写り込んだものが誰かの何かを連想させるのが面白いよね、ということを言っていると私は解釈したんですけれど。美術史のことを考えながら読むと、すごく腑に落ちる部分があったように思います。

――大学の授業では、美術に関することを全般的に学んだのですか。

一色:そうですね。日本美術、西洋美術、東洋美術、工芸、彫刻、建築、デザインなど、さまざまな分野の歴史や概念も学びますし、座学だけでなく、1、2年の頃は実技も一通り全部受講できました。油絵もあれば日本画、版画や写真の実習もあり、暗室で自分で現像したりもしました。それと古美術研究という研修旅行がありました。神社仏閣を巡って、「これはどの仏師が何年に作ったやつだ」とか。一日に何ヵ所という建造物、何十という仏像を見学するので、本当にへとへとになったのですが、日本美術研究も面白かったです。古文書を調べて、その仏像や絵巻が何年にどういった経緯で誰が注文してどういうふうに今に残っているのかということを、重箱の隅をつつくようにして紐解いていく。西洋美術史のやり方と全然違うところもありました。

  • 他者の苦痛へのまなざし
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    スーザン ソンタグ,Sontag,Susan,文緒, 北条
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  • 明るい部屋―写真についての覚書
  • 『明るい部屋―写真についての覚書』
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    みすず書房
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