
作家の読書道 第260回: 青崎有吾さん
2012年に『体育館の殺人』で第22回鮎川哲也賞を受賞してデビュー、以来アニメ化された『アンデッドガール・マーダーファルス』やドラマ化された『ノッキンオン・ロックドドア』、最新刊『地雷グリコ』などで人気を博している青崎有吾さん。小学生時代は海外ファンタジーが好きだったという青崎さんが、ロジカルなミステリを書くようになった経緯は? ハマった作家、作品についてたっぷりおうかがいしました。
その2「児童向け海外ファンタジーにハマる」 (2/7)
――どういう環境で育ったのでしょう。書店などは近所にあったのですか。
青崎:二俣川という横浜の端のほうの町で、近所に書店もありました。ただ、小学校低学年の頃はお小遣いもそんなにないし、親にねだって本を買ってもらうみたいな習慣もなかったので、もっぱら図書館を利用していました。
小3の頃に「夢水清志郎シリーズ」に出会ってはやみねかおるさんのファンになっていた一方、「ハリー・ポッター」のブームがきたんです。僕も読みたくて、はじめて親に「ハリー・ポッターの本を買ってほしい」と頼みました。親が書店に探しに行ったら1、2巻が売り切れで、第3巻の『ハリー・ポッターとアズカバンの囚人』しかなくて。しかたなく第3巻から読み始めました。売り切れになるくらい人気って、今考えるとすごいことですよね。
「ハリー・ポッター」が社会現象になったことで、児童向けの海外ファンタジーの流れがきて、書店にいろんな作品が並ぶようになったんですよね。児童向け雑誌にも海外ファンタジーの広告が結構出ていたと思います。それで自分も、それらを中心に読むようになりました。
やはり『ハリー・ポッター』と『ダレン・シャン』のシリーズが二大巨頭で、僕もそうでしたが、だいたいオタクは『ダレン・シャン』のほうにいきますよね(笑)。でもいちばん好きだったのは、『ハウルの動く城』の原作者でもあるダイアナ・ウィン・ジョーンズの作品です。翻訳されたものはほとんど読みました。特に好きだったのが、『大魔法使いクレストマンシー』のシリーズ。他にはエミリー・ロッダの『リンの谷のローワン』や、ジョナサン・ストラウドの『バーティミアス』シリーズ、メアリ・ホフマンの『ストラヴァガンザ』という現実と異世界を行き来するシリーズとか。あと、これは他のエッセイなどでも挙げているんですが、ポール・スチュワートの『崖(がい)の国物語』が好きでした。
――ファンタジーもいろいろですが、ご自身ではどんなファンタジーが好きだったと思いますか。
青崎:当時は全然気にしていなかったんですけれど、思い返すとハイファンタジーよりは現実世界にファンタジーが溶け込んでいるもののほうが好きでした。ダイアナ・ウィン・ジョーンズがわりとそういう作風なんです。だからか、『指輪物語』はそんなにハマらなかったですね。
その頃から、魔法で何でもできるのは理不尽だと思っていたんです。『崖の国物語』が自分にハマったのは、魔法が出てこないというところですね。特殊な鉱物とかは出てくるんですけれど、物理法則がきっちり定められていて、それを利用した文明が発達していて......という世界観が好きでした。
高学年の頃は、ミヒャエル・エンデやラルフ・イーザウ、セルジュ・ブリュソロの『ペギー・スー』というグロめのファンタジー、上橋菜穂子さんの『守り人』シリーズや柴田勝茂さんを読んでいました。それと、印象に残っているのは坂東眞砂子さんの『メトロ・ゴーラウンド』。これは主人公が近未来都市風の世界に迷い込む話で、ジャンル的にはSFですが、強烈に憶えています。あと、後藤みわこさんの『あした地球がおわる』。こちらは世界滅亡後に生き残ってしまった少年少女の関係性を描いた、ディストピア青春小説でした。
また、その頃に講談社の「YA!ENTERTAINMENT」というレーベルの作品が面白いぞと気づき、よく読んでいました。はやみねかおるさんの『都会のトム&ソーヤ』とか、あさのあつこさんの『NO.6』とか、香月日輪さんの『妖怪アパートの幽雅な日常』とか。
――いろいろ読まれていますが、友達と本の話もよくしていたのですか。
青崎:漫画好きやイラスト好きの友達はいたんですけれど、本の話ができる友達は全然いなくて。教室内で「あ、あいつも『崖の国物語』読んでるな」とか気づくことはあったんですけど、そいつとも他のことなら話せるのに、本の話はしなかったんですよね。なんか、「本について語らう」という概念が当時の自分の中にはなくて、本は一人で勝手に読むものだと思っていました。
――自分でお話を作ったりは。
青崎:主に漫画を描いていました。小3から小5にかけて、同じく漫画を描くのが好きな友達と、教室の壁の空きスペースに勝手に漫画を貼っていました。上に重ねる形で画鋲で留めて連載していて、先生も何も言わなかったので100話分くらいまで続けていました。その頃ポケモンが流行っていたので、僕はそれをパクったような話を描いていましたね。悔しいことに、友達のほうがめちゃめちゃ絵も話づくりもうまかったっていう。
小4の頃からは家で自家製コミックスを作るというのを始めまして。A4のコピー用紙を真ん中で切って4ページ分にして、裏表に漫画を描き、8ページで1話分、それが5話たまったら糊で張り付けて、40ページの単行本にするという。暇な時にコツコツ鉛筆で描いて、中学生の終わりくらいまでに140冊くらい作りました。
――内容は続きものなんですか。
青崎:20冊くらい続けると飽きるので、全然違う話に変えていました。最初はアラレちゃんを真似したみたいな話を描き、次は『シャーマンキング』みたいな話を書き、その次は『ドラゴンボール』みたいな話にして、夏休みに「SLAM DUNK」の再放送を見たら、自分の漫画でもいきなりバスケ編が始まったり...。そんな自家製漫画を弟にだけ読ませていました。今もとってはありますが、人に見せることは考えてないです。僕が死んだら燃やしてくれ、という。
でも、絵はぜんぜん上達しなかったので、それで漫画家は諦めることになります。
――小説は書いていませんでしたか。
青崎:小5の頃、自由帳に書いていて、一冊使って完結させました。こちらは「マガーク探偵団」の影響が強くて、架空の町の子供たちが探偵団を作って泥棒を捕まえる、みたいなミステリ仕立ての話でした。
――国語の授業は好きでしたか。
青崎:そんなに意識はしていませんでしたけれど、好きは好きでした。でも作文は嫌いで、楽しくやっていた記憶はないです。読書感想文も親に手伝ってもらっていて、一度、『名犬ラッシー』の感想文を7割くらい親に手伝ってもらって出したら、何かのコンテストに出すかもしれないという話になって。どうしよう、棄権しようかなと思っているうちに結局出さずに終わったのでほっとしました。
――課題として文章を書くのが嫌だったのでしょうか。
青崎:たぶん、お話を作るのは好きだけれど、「自分のことを書きましょう」というのが苦手だったのかなと思います。今でもそうですけれど。
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