その1「ミステリにはまった少年時代」 (1/6)
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
大槻:コナン・ドイルの『緋色の研究』ですね。子供向けに訳されていて、『赤の怪事件』と改題されていたものです。久米元一訳とのことですがすごい意訳ですよね。それを読んだのが小学校2年生くらいだった記憶があります。買ってもらったか、兄が持っていた本でしたが、読んで強烈に面白いと思いました。その後に兄が借りてきたかなにかした江戸川乱歩の『魔術師』を読んだんです。乱歩が大人向けに書いたものを子供向けにリライトした、ポプラ社の少年探偵団シリーズの中の1冊でした。これがもう決定的でしたね。なんてことを書くんだって思ったのを憶えています。
――なんてことを書くんだ、というのは。
大槻:いちばん憶えているのが、肌寒い日に隅田川を泳いでいる人がいて、なんと酔狂なことかといって人々が立ち止まって見ていると、あれは泳いでいるんじゃないぞ、生首だ、と。小さな船に生首がのせられていて、こっちに流れてくるんです。それでみんなぎゃーっとなる。船首には獄門舟と記されていんですが、これは「ごくもんふね」とルビを振っている本と「ごくもんせん」と振ってある本があります。その場面で、子供向けの本になんてことを書くんだと思いました。その頃、乱歩の少年探偵団シリーズは26巻までは子供向けに書かれた怪人二十面相のシリーズで、それ以降は大人向けに書かれた小説が子供向けにリライトされたものだったんですね。その後権利の問題かコンプライアンスの問題かで発売されなくなったんですが、僕が子供の頃はそれがまだ読めて、その『魔術師』はシリーズ後半の本でした。
考えてみると『緋色の研究』と『魔術師』って、ちょっと似ているんですよね。復讐の物語っていうところが。今読んでも面白いなと思いますね。
――それまで絵本や児童書なども読まれていたのでしょうか。
大槻:絵本は読んでいたと思います。パンジャが出てくるのってなんでしたっけ...。あ、『ジャングル大帝』ですね(パンジャは主人公の白いライオン、レオの父親の名前)。それの絵本を夢中になって読んでいたとは聞いているんですけれど、自分ではまったく憶えていなくて。やっぱり本に夢中になったのは『緋色の研究』と『魔術師』からですね。
わりと本は買ってもらえたと思います。本を読んでいると「賢い」といって褒められたんですね。褒められるんで嬉しいというのもあって、さらに本を読むようになったんだけど、あれは今にして思うと、男兄弟2人だったのでうるさかったんでしょうね。本を読ませておけば賢二が静かになるってことで読書を推奨されていたんじゃないかと近年気づきました。
――本を読んでいない時間は活発な子供だったのですか。
大槻:そういうわけでもなくて。学校ではひょうきん者だったんですけれど、どちらかというと内に閉じこもる性格で、それがまた読書向きだったのかもしれません。
――子供の頃に少年探偵団のシリーズを読んだ人って、たいてい子供向けのホームズやルパンのシリーズにも手を伸ばす印象があるのですが、いかがでしたか。
大槻:そうですね。ミステリというものに興味が出て、子供向けのそういう本を読んで、夏休みの宿題でなにか推理小説についてレポートを出したことがありました。世界にはこんな探偵がいるということで、メグレ警部とか隅の老人とかについての解説を書いてましたね。
――小学生の頃にもう「メグレ警視」シリーズや『隅の老人』をお読みになっていたのですか。
大槻:一応読んでいました。小学生で本に興味を持つようになって、最初はお金がないので図書館なんかにも行っていたんですが、小学4、5年生になるとお小遣いでちょっと文庫本が買えるようになったんです。その頃にちょうど横溝正史や森村誠一が原作の角川映画のブームが来たんですよ。特に横溝正史の角川文庫は持っているだけで嬉しかったですね。不気味な雰囲気がよかった。本を読むのも好きだったけれど、本を所有する喜びってありましたよね。今でいうとフィギュアを集めるような気持ちなんでしょうかね。当時の一部の小学生の間では、背伸びして文庫本を持っているのが格好いい、というのがありました。それで頑張って、横溝正史の『犬神家の一族』とか『獄門島』とか『本陣殺人事件』、森村誠一の『人間の証明』とか『野性の証明』を集めました。楽しかったですね。それで思い出しましたけれど、全3巻の鮎川哲也編集『怪奇探偵小説集』があって、そういうのを夢中で読んでいました。やはり乱歩から入ったので、猟奇的なムードが好きでした。
ちょうどその頃、よくラジオで本の宣伝をしていたんですよ。森村誠一、横溝正史、平井和正の本はよくラジオCMで耳にしていました。平井和正の「ウルフガイシリーズ」のCMはラジオドラマ調で「ワオーン!」とか叫んでいましたよ。
――好きな探偵などはいましたか。
大槻:やっぱり金田一耕助です。映画では石坂浩二の演じた金田一はよかったですね。非力な感じなんだけど、いざという時に前に出てくる。風のように現れて、風のように去っていくっていう。明智小五郎は、びしっとする前の、『D坂の殺人事件』の頃の書生スタイルの明智のほうが好きです。あと、コロンボも好きですね。ちょっとよれよれしていて弱そうなんだけれど、いいところで活躍するっていうタイプのほうが親近感を持った。
――ラジオもよく聞いていたのですか。
大槻:聞いていました。僕の家はわりとテレビのルールが厳しくて、土曜日だけドリフの「8時だョ!全員集合」は見られましたけれど、あとは7時から8時までしかテレビが見られなかったんです。それ以外の時間は勉強部屋と称した狭苦しい部屋にいるしかなかった。それで、やることがないんで、中学生くらいになると深夜放送を聞くか、本を読むしかなかったんですよ。スマホとかもちろんないから。
親のいない時にテレビをつけて、たまたま「ウルトラセブン」の再放送が見られたりすると「ラッキー!」みたいな感じでした。でも「刑事コロンボ」のドラマはたまに見せてもらえました。あのドラマを小説化した本も出ていたので、よく読みました。『殺人処方箋』とか『別れのワイン』とか『溶ける糸』『ルーサン警部の犯罪』とかを憶えています。「溶ける糸」は「スター・トレック」のスポック、レナード・ニモイが犯人役だった。「ルーサン警部」はスタトレのカーク艦長が犯人役でね。
中学生くらいになるとお小遣いももうちょっともらえるようになったので、チャリンコで近所の本屋さんや古本屋さんを巡って文庫本を買ってくるんですよ。東京だったので書店とか古本屋さんがいっぱいあったんですね。チャンドラーの『長いお別れ』なんて中学生がわかるわけないのに、若いから最後まで読み切っちゃうんですよね。『長いお別れ』はよくわかんなくて、大学の時にもう一回、その後にもう一回、3回読んだけど、今だに内容よくわかんないんだよね。エラリー・クイーンの『Yの悲劇』なんかも難しかったけれど全部読めた。今思うとよく読んだなあ...。
――名作を押さえている印象ですが、本の情報ってどのように入手していたのですか。
大槻:本屋小僧だったので、ずっと本屋さんにいるわけですよ。文庫本の棚の前でじっと見ていると、だんだん「これは読んどかなきゃいけない本だ」とか「これはマスターピースなんだろう」と分かってくるんです。それと、新刊が出ると、本のほうから「これを読め」っていうビームが出るんですよね。それを選んでいれば外れがないっていう時期がありました。最近ちょっと衰えてきちゃって、本があまり呼んでくれない。本から出るビームを受け取れなくなってきちゃったんだよな...。
読んでいる本に『Yの悲劇』が出てきたりして、これは読んでおかなきゃいけない本だなと知ることもありましたね。日本のミステリ作品では『虚無への供物』と『ドグラ・マグラ』と『黒死館殺人事件』は読むべきなんだな、などとわかってきて、一応買って頑張って読んでみるっていう。『ドグラ・マグラ』は最初、上巻で挫折して、2度目で中巻までいって挫折して、3度目のトライで全部読み切ったかな。あれは面白かった。
文学なんかも、わかりゃしないのに押さえなきゃいけないと思って、それなりのものを買って読んでいました。「なんだこりゃ」というのもありましたけれど。
僕、中学高校時代、学校で一分一秒も勉強しなくて、塾行っても勉強しなかったんで、このままでは本当に本当の馬鹿になると思って。せめて自分なりになにか勉強しなきゃいけないっていう気持ちがあって、それで本を読んで映画を観ようと思ったんですね。学校でも教科書の陰で文庫本を開いて、1時間目から6時間目まで読んでいました。若いからそれで1冊読み切っちゃうんです。一度先生に見つかったんですが、その時に読んでいたのが安部公房だったんです。先生が「なにやってんだ」って言ってぱっと本を取り上げて、安部公房だというので「おっ、お前こういうの読むのか...やるな」といって感心してくれた。
その先生にもう1回見つかったんですよ。それがカート・ヴォネガットの『タイタンの妖女』だったんです。あれも名作なんだけれど、その頃の『タイタンの妖女』の表紙って今と違って、もっとSFアドベンチャーものぽかったんですよ。その時は本を返してもらう時に、先生が「お前ちょっと格が下がったんじゃないか」みたいな感じで、いやそうじゃないんだヴォネガットっていうのはある意味文学的なんだしSFで何が格が下がったっていうんだよ、と心で思いながらも何も返せなかったのを今思い出しました。