
作家の読書道 第267回:大槻ケンヂさん
ミュージシャンとしての幅広い活動はもちろん、文筆活動でも絶大な人気を誇る大槻ケンヂさん。エッセイでも多くの本や映画に言及されてきた大槻さんに、いま改めて読書遍歴をおうかがいしました。ご自身が小説を書くきっかけとなった話や、最近、小説や読書について感じていることのお話なども。
その6「最近の読書、いま好きな書き手」 (6/6)
――同世代の作家の小説はあまり読まれないんですか。
大槻:たまに読みますよ。でも少ないかもしれない。なんて言ったらいいのかな、これは全然批判とかなんかじゃないんですけれど、国内小説を読んでいると、小説を読む人のために書かれている感があるなと思うことがあって。非常にちゃんとしていて、小説を読む人の常識内の世界観で書かれてらっしゃる気がするんですよね。
特に今時は、スマホをずっといじることをせず本を読む人って、それなりにきちっとした人だと思うんですよ。本を読むのはちゃんと勉強してきて、ちゃんと本を読んできた人だから、そういう人たちに読んでもらうためには、やっぱりちゃんとしていないと駄目だ、っていう感じなのかな。これはいい意味なんですけれど、書いている人も読んでいる人も、きちんとした道徳観を持ってらっしゃる。
それは音楽にも感じることで、きちんと音楽を聴いてきた人用の音楽ってあると思う。そこに何か今、入り込めない自分がいるのは感じますね。
もっと、本を読んでこなくて、本を読む態勢にも書く態勢にもなかった奴が書いちゃった、っていう小説が出てきたら「なんだこれ」と思って読んじゃう気はします。
――最近は、書店には足を運んでいますか。
大槻:しょっちゅう行ってます。行っているんだけれど、なかなかビームを感じないんですよね。今はちゃんと読んでいるというと、「本の雑誌」と「映画秘宝」と「秘伝」と「ムー」と、「昭和40年男」っていう雑誌くらいかなあ。
――「昭和40年男」という雑誌があるのですか。
大槻:そうですよ。たぶん、出版社が今後雑誌をどう売っていくかと考えた時に、世代に特化すべきじゃないかって思ったんでしょうね。「昭和50年男」とか「昭和45年女」とか、いろいろなバージョンが出ていて、その世代にドンピシャなことしか書いていないんですよ。「昭和40年代男」には僕も連載しているんですけれど、あの雑誌はやっぱり読んじゃいますね。僕は「窓から昭和が見える」っていう、毎回お題にあわせた文章を書いています。映画特集だったら映画のことを書く、とか。
――映画館には行かれていますか。最近は配信されるものもたくさんありますが。
大槻:以前より数は減ったけれど、映画館に観に行っています。最近は「これが観たい」というより、「一応押さえとこうかな」みたいな感じですかね。一応ゴジラの新作は観ないとな、みたいな気持ちで行っています。
配信のドラマも最近観るようになりました。SFの「三体」が面白くて全部見ました。チェスの天才少女の話の「クイーンズ・ギャンビット」も全部見たかな。これも面白かったですね。ヒロインがステキで。あ、ステキな女性が出てる映画は出来に関係なく好きです。僕は映画って、ステキな女優さんが映ってればそれでもういいみたい。
――読んだもの、観たものは記録していますか。
大槻:昔は読書記録と映画記録はつけていたんですけれど、なくしちゃいました。でも、たいがい読んだってことは憶えています。今も一応読んだ本とかはメモしていますし、わりとXに「これ読んだよ」とか「観たよ」と書いているので、それを遡れば意外と記録になっているかもしれない。
――ご自身では、もう小説はお書きにならないんですか。
大槻:「ぴあ」のサイトで「今のことしか書かないで」というのを連載していて、これは最初エッセイのつもりだったんですけれど、今はエッセイなのか小説なのかわからないものになってます。エッセイで話を盛っているうちに、どうせ盛るなら妄想を書こうと思っていたら小説っぽくなっていって、今はほとんど小説になっています。限りなくエッセイに近い幻想的私小説ですね。
あ、先ほど同世代の人の本はあまり読まないと話しましたが、燃え殻さんの小説は好きです。僕、しばらく小説とか書き物の仕事はあまりしない時期があったんですけれど、燃え殻さんの小説やエッセイを読んで「あ、この感じ」と思い、編集者に「燃え殻さんみたいな感じでもう一回書きたいです」と言ったこともあるんです。
燃え殻さんと対談した時に、実は僕の本に影響を受けているとお話しされていて。実際、燃え殻さんの作品に僕の名前が出てくるんです。燃え殻さんのエッセイ集の『すべて忘れてしまうから』は、対談の時に僕が「いやいろいろあるけれどどうせすべて忘れてしまうから」って言ったらしいんですね。そっからタイトルをつけてくれたらしいです。
燃え殻さんの書くものって、エッセイなんかでも話の広げ方とか持っていき方がすごくわかるんですよ。とっても共感するものがある。プロレス好きっていうところも一緒だし。
僕、エッセイで意外に大事なのは、忘れちゃえることだと思うんです。読者が読んだことを忘れて、また手にとってみて、「あれ、このエッセイ読んだことあるな」と思い出す。意図的にそれくらいの湯加減にするのがいいなと思っているんですけれど、燃え殻さんのエッセイがまさにそうで、非常に"忘れ力"がある。だから何度でも読めるんです。あと、くすっと笑えて涙もあるライトエッセイ的なものはやっぱり好きなので、自分もまたやりたいなと思いましたね。
それと、掟ポルシェさんというミュージシャンも面白いものを書きますよね。掟さんが書いたアルバイトの本があるんだけれど(『男の!ヤバすぎバイト列伝』)、これなんてとても面白くて。彼はすでにいっぱい書いているけれど、笑って泣ける小説やエッセイをもっと書いていってほしいなと僕は思っています。あとは、杉作J太郎さんの小説とかもまた読みたいな。
――燃え殻さんの小説を読んで「自分も書きたい」と思ったのは、どういう作品ですか。
大槻:やっぱり青春の回想っていう部分かな。青春の頃と現在を照らし合わせて、そこから何か新しいものを見出していくところ。自分の過去をどうやって現在の自分の中で物語として広げていくか、ということを僕もやってみたいなと思ったのは確かです。
だから、現在の書き手の方々の小説も、もっといろいろ読まないとなあ。ついついスマホをいじってしまうんですけれど(笑)、いやあ、ちゃんとがまたたくさんのいろんな本を読もうと思います。
(了)