
作家の読書道 第267回:大槻ケンヂさん
ミュージシャンとしての幅広い活動はもちろん、文筆活動でも絶大な人気を誇る大槻ケンヂさん。エッセイでも多くの本や映画に言及されてきた大槻さんに、いま改めて読書遍歴をおうかがいしました。ご自身が小説を書くきっかけとなった話や、最近、小説や読書について感じていることのお話なども。
その3「映画館に通う」 (3/6)
――映画もたくさん御覧になったとのことですが。
大槻:本もそうだけど、なんか少年の頃、時代的にも映画信仰みたいなものがあって、映画をたくさん観ていればそれなりの人間になるんだみたいに多くの人が思っていたと思うんです。あの頃は自分の肉なり骨なりにするために観る、みたいな気持ちがありました。
でも、今って配信でみんなバンバン映画を観ているじゃないですか。別に映画にはそんなに興味ないよっていう人でもいろいろ観ていて、本当に敵わないですよ。だからってみんなクリエイターになってるわけじゃないので、映画をたくさん観てもクリエイティブになるわけじゃないんだって気づいて、なんか最近アイデンティティクライシスじゃないけれど、ちょっとショックを憶えています。
――配信もなくて何度も繰り返して観られないぶん、一回ごとにすごく集中して観ていたのでは。
大槻:そうなんでしょうかねえ、名画座で集中して観ていました。オールナイト上映にも行っていましたね。今思うと、なんであんなに集中して映画を観たり本を読んだりできたのか不思議ですね。本だって1日で1冊2冊は読んでいたもん。
――映画の上映情報はどこで入手していたんですか。
大槻:「ぴあ」と「シティロード」と、あとは名画座に行くと上映情報の載ったチラシとか、無料の小冊子とかがありましたよね。池袋文芸坐とかにね。それで中高時代は、吸い寄せられるように本屋と古本屋と名画座をぐるぐる回っていました。
――その頃は名画座もたくさんあったのでは。
大槻:ありましたね。「ぴあ」か「シティロード」という雑誌を持っていくと500円で映画2本くらい観れたんです。下手すると350円で2本観れるところもあった。それで自転車に乗って、中野だとか池袋、高田馬場、新宿あたりの名画座に通っていましたね。
――池袋の文芸坐とか...?
大槻:そうそう。池袋は文芸坐と文芸坐地下とか、ル・ピリエとか、早稲田松竹とか。高田馬場にはパール座というのがあったし、中野には中野名画座や中野武蔵野ホールがありました。新宿はテアトル新宿がまだ名画座だったと思う。新宿ローヤルという名画座もありました。ここはアクション映画ばかりやってた。レンタルもあったけれど、ビデオが1泊1000円とか1200円でしたからね。とてもじゃないけれど借りられなかった。借りるようになったのは大人になってからです。
とにかく名画座でたくさん観ました。だんだんマニアックな方向にいって、「ぴあ」のフィルムフェスティバルの入選作とか、字幕もついていない直輸入の映画の上映会とかにも行っていました。狭いスタジオに体育座りさせられて、スクリーンがないなと思っていたら、そんなに大きくもないテレビとビデオデッキが運ばれてきてスタッフの人がうやうやしくVHSを持ってきてガチャッと入れて、「え? これで観るの?」と思ったらそうで。それでみんなでデヴィッド・クローネンバーグ監督の「ビデオドローム」を観たこともありました。そういうのも行くようになるともう、冥府魔道のサブカルオタク街道ですね。自主映画の上映会にもよく行った。今関あきよし、犬童一心、手塚眞監督などの初期作品とか観に行った。
あと、本当はいけないんですけれど、小学生の頃からいわゆるポルノ映画ピンク映画も観に行ってました。ポルノ映画は4本立てとかなんですよ。今にして思うと、そういうので観ていたポルノ映画って、井筒和幸、高橋伴明、森田芳光といった今や巨匠と呼ばれている人たちが撮っていたんですよね。「おくりびと」でアカデミー外国語映画賞を撮った滝田洋二郎の作品では「はみ出しスクール水着」っていうのは馬鹿エロコメディで、とってもくだらなかった。でもあとから知ったんですけれど、それの音楽を僕の友達がやっていたんです。僕は友達にものすごく上手いミュージシャンが多かったんですが、そいつらは高校くらいからアルバイトでポルノのレコーディングとかをしていたんです。それで、「はみ出しスクール水着」の話になった時に、「それ、俺音楽やったわ」って話になって。
高校の時も、僕は暴れるタイプの不良ではなくて、やさぐれてしらけた嫌な感じの不良生徒で、修学旅行先の京都でドロップアウトしてピンク映画を観に行こうとしたんですね。恥ずかしいんですけれど、自分なりの反抗のつもりで。それで観ようとしたピンク映画のポスターを見たら、友達の名前があって。その映画の音楽も友達がやっていたんです。そうこうしているうちに先生につかまって、結局その映画は観られなかったんだけれども。「穴のにおい」ってタイトルだった。
――本や映画の情報を共有できる人は周囲にいましたか。
大槻:映画なんかは、後になって誰かと話していると「あの時の変な上映会に俺もいた!」「え、いたの?」みたいなことになって、それはサブカルあるあるですね。
本について話す人はほぼいなかったんですけれど、筋肉少女帯の初代ドラマーの鈴木直人君は小学校が一緒で、彼はいろんなものが好きで、小説も好きだったのでそういう話ができたかな。
あ、思い出した。筋肉少女帯のアルバムデザインなんかをしてくれた占部君という同級生が、もう亡くなっちゃったんですけれど、多少小説を読む人だったのでよく話しましたね。それと、池の上陽水という名前でミュージシャンをやっていた羽場達彦君も、若くして亡くなっちゃったんですけれど、彼も本が好きでよく話しました。羽場君はジェフリー・アーチャーの『百万ドルをとり返せ!』なんかを読んでいました。僕も借りて読んだ。ウィリアム・ピーター・ブラッティの『エクソシスト』を貸してくれたのは占部君だったかなあ、羽場ちゃんだったかな...。
――『エクソシスト』といえば、ホラー小説やホラー映画は好きでしたか。
大槻:好きでした。小さい頃は怖かったんだけれど、中学生くらいの頃に頑張ってホラー映画を観に行って、恐怖を乗り越えてからは好きになりました。1992、3年くらいまではわりと観に行っていたかなあ。でも、2000年代に入ってからだんだんホラー映画の残酷描写がリアルなものになっていったんですよね。昔の残酷描写ってちょっと笑っちゃうところがあったじゃないですか。今のものってあまりにもリアルで、おぞましくて、ちょっと観ていられなくなりました。最近はまたちょっと観に行くようになりましたけれど。
ホラー小説は、ホラーというかラヴクラフトの『インスマウスの影』とかね。ベタだけどスティーヴン・キングとか、読んでいました。キングの『シャイニング』とかも上下巻でちゃんと読んだもんな、なんであんなに読み切るパワーがあったんだろう。
――『シャイニング』はキューブリックの映画もありますよね。キングご本人は気に入ってなかったそうですが。
大槻:キングはもっとポップな馬鹿馬鹿しいものが好きで、キューブリックの映画はちゃんとしすぎて嫌だったんじゃないかなあ。ホラー映画だと「シャイニング」も好きだったけれど、僕は「悪魔のいけにえ」とか「ゾンビ」とかが好きでした。
世の中で僕だけが好きなんじゃないかっていう、若者向けの「ファンタズム」というホラー映画があったんです。第1作が僕が中学生だった1979年公開で、低予算の映画だけど結果的に第5作までできたんです。主人公が僕と同世代で。トールマンという背の高い謎の男が現れて、シルバー・スフィアっていう銀の球体が襲ってくる不条理ホラーで、僕はとても好きです。その頃って、映画のノベライズがいっぱい出てたんですよね。その流れで「ファンタズム」のノベライズもあるらしいんですね。あれをどうやって小説にしたんだろうと思って、その本は今でも探しています。
――若者向けといいつつ、めっちゃ怖いんですか。
大槻:いや、怖くもないです。ただ、たとえば「2001宇宙の旅」って不条理がゆえにみんなが考察する映画になったじゃないですか。あれは今の映画考察ブームの先駆けだと思いますが、「ファンタズム」はさらになんだかよくわからない映画だったんですよ。ただ作り手が下手なだけだったかもしれないけれど、僕は当時、「ファンタズム」を「2001年宇宙の旅」のように、何か深いものがあるんじゃないかと思って観ていたんですよね。僕にとっての「2001年宇宙の旅」だったの。
続編はどんどん予算がなくなっていって、どんどん酷い映画になっていくんです。でもね、「ファンタズム5」のラストは、なんかジーンとくるんですよね。最後は主要キャストしか出てこなくて、そこがなんというか、いろいろあったけれど、俺たちにはこの「ファンタズム」という映画が青春だったんだな、これしかなかったんだよ、という、彼らの諦観と自己肯定感が入り混じって、なんか切ない。ずっとシリーズを観てきた人にもジーンとくる終わり方なんです。
なんか、いろいろ思い出してきました。ショーケン(萩原健一)の「青春の蹉跌」という映画を観て、石川達三の原作を読んだりもしたなあ。
――小説が映画化される時って、原作を先に読むか映画を先に観るか迷ったりしますよね。
大槻:ありますよね。「野性の証明」なんかは原作を先に読んでいたけれど、映画は原作の話が終わったところから一番面白いところが始まるんですよ。
――「野性の証明」って、高倉健さんや薬師丸ひろ子さんが出ていた作品ですよね。元自衛官の男が、虐殺事件の生き残りだった少女を引き取るのだけど、実は...という。
大槻:そうそう。薬師丸ひろ子の演じる娘が、本当のことに気づくところで確か小説は終わるんですよ。映画ではそのあと、高倉健と悪い自衛官との戦いが始まって、その部分が一番の観せどころなんです。それってスゴくないですか? あそこまで話を付け足すのはすごかったな。
それでいえば、もうひとつ忘れられないのが、「スター・ウォーズ」ですね。あれはもう、日本公開の1年前からテレビとか雑誌で話題になっていて、映画公開よりも先にノベライズ版が出版されて、僕はそれを先に読んじゃったんですよ。うかつでしたね。映画を観て、「いやもうここでハン・ソロが助けに来るって知ってるから」ってね。あれは、自分が知ってることを確認しに行く作業みたいなものでしたね。
あ、確認する作業というのでひとつ思い出しました。