
作家の読書道 第267回:大槻ケンヂさん
ミュージシャンとしての幅広い活動はもちろん、文筆活動でも絶大な人気を誇る大槻ケンヂさん。エッセイでも多くの本や映画に言及されてきた大槻さんに、いま改めて読書遍歴をおうかがいしました。ご自身が小説を書くきっかけとなった話や、最近、小説や読書について感じていることのお話なども。
その2「SF小説、漫画の影響」 (2/6)
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- 『狼の紋章 ウルフガイ・シリーズ (NON NOVEL)』
- 平井和正,生頼範義
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――SFもよく読まれていたのですか。
大槻:昭和40年男あるあるなんですけれど、小中学生の頃に星新一先生のショートショートに出会うわけですよね。『ボッコちゃん』とかさぁ。それでさらに読書の楽しみを知って、その後、筒井康隆先生を読むんです。『農協月へ行く』とか『にぎやかな未来』といった短篇集や、『家族八景』『七瀬ふたたび』『エディプスの恋人』の七瀬シリーズとか。あのあたりを読んで衝撃を受けました。その流れで、当時やはり流行っていた平井和正先生の『ウルフガイ』シリーズをよく読むようになりました。犬神明という主人公が狼男のシリーズです。少年犬神明を主人公にしたウルフガイシリーズと、大人の犬神明を主人公にしたアダルトウルフガイと2つあった。
中学時代は星新一、筒井康隆、平井和正の他には眉村卓も読んだ。『ねらわれた学園』とかね。小松左京も難しかったけれど読んだかな。『復活の日』『日本アパッチ族』とか。そういう先生たちの本を読むと必ず、この本いいな、と思うものが出てくるじゃないですか。それで高校生になると、ハヤカワ文庫の水色の背表紙や白色の背表紙あたりを読むようになるんです。アーサー・C・クラークの『幼年期の終り』とかロバート・A・ハインラインの『宇宙の戦士』とか。あとレイ・ブラッドベリとかね。『10月はたそがれの国』は創元推理文庫だったかな。思い出すと...ジョン・ウインダム『さなぎ』『呪われた村』、ジェイムズ・P・ホーガン『星を継ぐもの』、ディック『流れよわが涙、と警官は言った』、ジャック・フィニイ『盗まれた街』、ヴォネガット『猫のゆりかご』『スローターハウス5』、オラフ・ステープルドン『オッド・ジョン』、テッド・ホワイト『宝石世界へ』、オールディス『地球の長い午後』、ハインライン『異星の客』、フレドリック・ブラウン『天の光はすべて星』...なつかしい、青春です。
――読書の中心はミステリとSFだったんですね。
大槻:やっぱり推理小説とSFっていうのは、非文学、アンチ文学という面がありましたね。そういう大きな世界があって、その世界の中でもクラシックと呼ばれるものとニューウェーブと呼ばれるものがあるんだとわかってくる。クラシックもばんばん出ていたし、新しいものもばんばん出てきて、非常にいい時代でした。いちばん本を読む時期に、そういうのが体験できたのはよかったなと思います。でも本当のマニアにはかなわないっていうのを思い知らされた時期でもありました。中高生時代、俺はSFでもミステリでもマニアの世界には入り込めないな、「広く浅く」だなと思っていました。
――勉強はまったくしなかったとおっしゃってましたが、国語の授業とか作文はあまり印象に残っていないですか。
大槻:現国は好きでしたよ。明らかに文系の子供でした。国語の教科書に載っているような作家も一応読みました。井伏鱒二の「山椒魚」が結構考えさせられるなと思ったのは憶えています。芥川龍之介もよかったですよ。短いし読みやすいし、ちょっとおどろおどろしいし。
でも夏目漱石なんかは、ちょっと時代が古いぞ、という感じがありました。僕は中村雅俊が教師役で主演したドラマ「ゆうひが丘の総理大臣」が夕方4時に再放送されているのを見て育った世代なんですよ。あれはもう完全に、下敷きが『坊っちゃん』なわけです。だから『坊っちゃん』を読んでも、「なんだこれ『ゆうひが丘の総理大臣』じゃないか」っていう。古いよ、もっとアップロードしたやつを見てるよ、みたいな気持ちでした。結局、あの頃の先生もののドラマって、みんな『坊っちゃん』でしたよね。
『こころ』も一応読んだんですよ。でも何かわかんなかった。てか、あんな長い手紙書いてくるやつは迷惑だよ!
一応いろいろ文学にも挑戦したんですけれど、わからないものが多かった。三島由紀夫の『金閣寺』はやべえって思いましたけれど。川端康成の『伊豆の踊子』は普通に泣ける話だなと思ったのは憶えている。あと『雪国』のエンディングのバッサリ終わる感じがすごいなと思いましたね。当時、僕は少年漫画も好きだったんですが、僕の好きな漫画ってちょっとマニアックで、連載が打ち切られることが多かったんです。いきなり話が終わることが多かったので、『雪国』を読んだ時に、ちょっと「ジャンプ」の打ち切り漫画みたいだなって思いました。僕の世代ならではの連想ですね。『ヘミングウェイ短編集』は好きだった。戦争帰りでボンヤリしている若者の話とか、学生の頃自分と重ねたもんです。あ、高校の頃『老人と海』で校内感想文コンクールで一位になった。あれ、老人がライオンの夢を見てるでしょ、だから「ライオンの夢なんて見たことない」って一行目で始めたら、先生に受けてもらって。いろんなエッセイを読んでたから、読者に受けてもらう書き出し方を心得てたんですよ。
――漫画で、影響を受けたと思うものはありましたか。
大槻:それはもう、永井豪先生の『デビルマン』です。あれに出会ったのは小学校2、3年生の頃だったのかな。読書体験として、あの衝撃を超えるものはないです。『デビルマン』の最終回が僕のすべてを決定づけましたね。主人公の不動明の身体が半分に切れて、サタンの飛鳥了と二人で並んで喋るシーンがあって、その二人を消滅させるために神が迫っている、というところで終わるんです。善と悪をひっくり返していて、もうコペルニクス的発想の転回というか。
残酷描写にしろ何にしろ、すべて『デビルマン』が原点ですね。『デビルマン』に始まり、『デビルマン』に終わると言っていいくらい。僕は小説を書く羽目になって『新興宗教オモイデ教』を書いた時、それまでいっぱい観てきた映画も頭にあったけれど、やっぱり永井豪先生の作品を意識していたところがあります。『バイオレンスジャック』『イヤハヤ南友』『魔王ダンテ』...。もちろん、永井豪漫画には遠く及びませんけれども。そうしたら、文庫版で永井豪先生が漫画で解説を描いてくださって、あれは本当に嬉しかった。
もう一人は、諸星大二郎先生です。少年ジャンプの手塚賞に突然「生物都市」って諸星先生の作品が載って、その次の回の赤塚賞はコンタロウ先生じゃなかったかな、両方とも漫画として革命的に新しかった。諸星先生の短篇漫画の影響は強烈に受けていますね。短篇集は数限りなく出ているし、出版社によって収録されている作品が違うんですけれど、どれを読んでも面白いです。僕は『不安の立像』とか、『夢みる機械』といった短編集なんかを読みましたね。
それと、高校生の頃にサブカル好きの男子が少女漫画を読むのがイケているという風潮があったんです。その頃はまだオタクって言葉は一般的じゃなかったと思うけれどオタク的な雑誌が多少あって、そういうのを読んでいると、このへんを押さえておけっていうのがいくつか出てきて、そういう流れだったんじゃないですかね。なぜか「別冊マーガレット」と「LaLa」を読んでいる奴はいっぱしだっていうヘンなブームがあった。それでオタク男子も萩尾望都先生と大島弓子先生と山岸凉子先生と竹宮恵子先生とかを読んでいた。僕は大島弓子が大好きだったんだけど、そうするとやっぱりブラッドベリの影響があるなとか思うわけですね。大島弓子は『綿の国星』がリアルタイムで大好きでした。コミックスで買うとついてくるちょっとした短篇も好きでした。「赤すいか黄すいか」とか。「たそがれは逢魔の時間」とかは猛烈に素晴らしいと思いました。他に『ダイエット』とかね、どれも名作過ぎて、ア然としながら読んでいた。
そうしたオタク系の雑誌で紹介されていたから安部公房みたいな作家も読んだんじゃなかったかな。あの頃は寺山修司も好きでよく読んでいたんですけれど、今読むとさっぱりわからないですね。あの頃はビンビン響いていたのに、不思議ですよね。あの時期に読めてよかったなと思います。
――安部公房や寺山修司は何を読んでいたのですか。
大槻:安部公房は『他人の顔』とか。『箱男』はね、何がなんだかわからないながらに、なんかすげえなって思った記憶があります。
寺山修司は、競馬ものと戯曲以外はたいがい読んでますよ。『書を捨てよ、町へ出よう』とか『家出のすすめ』は夢中で読みましたね。なんか青春の病みたいなもので、その年頃で読むとガーンときちゃうんですよね。もしももう少し生まれる時代が早かったら、僕は間違いなく寺山修司のところ、つまり「天井桟敷」に行って、「とにかく何かやらせてくれ」って言っていたと思います。
寺山修司が書いたものってほとんど先行作品のコラージュだったと言われていますよね。それが上手かったっていう。で、寺山の「起こらなかったことも歴史のうちである」なんて言葉を読んでガーンときていました。今でいう転生ものじゃないけれど、現実にはなくてもマルチバースではあるかもしれない俺の現実みたいなものがある気がしていました。家出をしていたかもしれない自分とか、ボクサーになっていたかもしれない自分とか、そういうあったかもしれない自分を考えて、一人青春の悶々をしていました。
それと、僕は漫画原作者の梶原一騎直撃世代なんです。僕らの時代に少年漫画誌に連載されていた『空手バカ一代』なんかは、大山倍達という空手家の生涯を描く漫画なんですね。のちに検証されて、そのほとんどが嘘だったってわかったんですよ。でも当時、僕らは全部信じていたんです。実際には起こらなかったことが、僕ら読者の世界には実際に起きたことになっていた。
もうひとつ、梶原一騎原作で大山倍達やプロレス界のことを描いた『四角いジャングル』っていう漫画があったんですけれど、これは強烈で、ほぼ梶原の妄想で描かれているんです。けれど妄想が現実を追い越したんですね。漫画ではミスターⅩという空手家を登場させて試合をするんですが、現実でも、本当にミスターⅩという空手家が登場して、アントニオ猪木と闘うことになったんです。これがまた世紀の大凡戦と言われてる、ひどい試合だったんですけれど。
寺山修司も嘘ばかり言っていたんですよね。自分のお母さんのこととか、自分の出生とかも、本によって全然違うんです。現実とは違うけれど、あったかもしれない自分を書いていて、それで面白ければいいじゃないかっていう。
その時はよくわかっていなかったけれど、ある意味、「マトリックス」ですよ。「マトリックス」よりも何年も前に、僕らの世代は梶原一騎と大山倍達とアントニオ猪木と寺山修司によって「マトリックス」を体験したんですよね。仮想現実とかマルチバースとかといったものを、フィリップ・K・ディックやウィリアム・ギブスンとかではなく、梶原一騎、大山倍達、アントニオ猪木、そして寺山修司によって教えてもらっていたんだな、って思いますね。
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