
作家の読書道 第277回:矢樹純さん
漫画原作者として活動するなか、2012年に『Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件』で小説家デビュー、19年に短篇集『夫の骨』が話題となり、翌年その表題作で日本推理作家協会賞短編部門を受賞した矢樹純さん。ホラー、ミステリ、サスペンスで読者を震撼させる作家は、どのような読書生活を送ってきたのか。デビュー後、ブレイクまでの道のりも含めてたっぷりお話うかがいました。
その1「童話、児童書、ホラー漫画」 (1/6)
――いちばん古い読書の記憶を教えてください。
矢樹:母が読み聞かせてくれた絵本です。たぶん3歳くらいの記憶なんですけれど、憶えているのは『しろくまちゃんのほっとけーき』、『ぐりとぐら』、『どろんこハリー』、『ちいさいおうち』。これを繰り返し繰り返し読んでもらっていました。
小学校に上がるくらいの頃から、子供向けの全集の本をちょこちょこ買ってもらえるようになって、そのなかでよく憶えているのは講談社の「世界のメルヘン」シリーズの『イギリス童話(3) 銀のうまと木馬たち』です。そこに収録されていた「銀のうまと木馬たち」「のぞんでいたものはすべて」「ポールの話」「夜のよなかに」という4つが想像力をかき立てるようなお話で、とにかく好きでした。「銀のうまと木馬たち」は木馬が自由に動けるようになる話、「ポールの話」は小さい箱の中に小人が住んでいるみたいな話、「夜のよなかに」は夜中に起きた子供が想像の世界で遊ぶような話で。今思うとなぜそこまで面白かったのか分からないんですけれど、とにかくその4つの物語にはまっていました。それが小学校2年生の頃です。
その頃、担任の先生から毎日日記を書くように言われて、私はある時「銀のうまと木馬たち」を真似した話を書いたんですよ。そうしたら、先生に「嘘を書くな」と怒られました。
――どんなことを書いたのですか。
矢樹:記憶が曖昧なんですけれど、花壇の花が蝶になって飛んでいくような内容だったと思います。それで「嘘を書くな」と怒られました。まあパクッてはいるんですけれど(笑)、たぶんそれが自分にとって最初の創作だったと思います。
――パクったことを注意するならともかく、嘘を書いたと怒るのは子供の想像力を押さえつけてしまう気もしますね。
矢樹:まだ若い男の先生で、わりと言葉が雑だったんです。ちょっと話が脱線しますが、運動会の旗を持つ係を立候補で決める時、誰も手を挙げないので私が「やります」と言ったら、その先生が却下して「旗を持つ係はもっと目立つ子が立候補してください」って言ったんですよ。
――ひどい。
矢樹:ですよね(苦笑)。私はその時背も小さくて細くて、確かに旗を持つようなキャラではなかったんです。そういう先生でしたが、日記を書かせるのはいい指導だったと思います。自分も書くのが楽しかったんですよ。みんなが脱落するなか、わりと私は真面目に書き続けていたんです。でも「嘘を書くな」と言われて以降は、中学校で文芸創作クラブに入るまでは特に何か創作しようとは思わなかったです。
――作文はお好きでしたか。
矢樹:わりと「こういうふうに書けば喜ばれそう」と考えて、あざとく書けるほうでした。やはり日記で文章力が培われた気がするので、あの宿題を出してくれた先生のおかげかもしれません。日記はその後も、社会人になって忙しくて書かなかった時期もありましたが、書き続けています。今も《やぎのおたより》という無料のメールマガジンで週に1回、結構な分量の日記を書いていますから。
――小学校時代、どんな本を読みましたか。
矢樹:「ズッコケ三人組」のシリーズにはまりました。江戸川乱歩の「怪人二十面相」のシリーズも図書室にあったのでどんどん読んでいきました。
うちは父が小学校の教師、母が看護師で、夫婦共働きだけれど、本をたくさん買ってくれるわけでもなかったんです。それよりも家族で行くスキーや登山などのレジャーにお金をかけていました。でも、漫画はわりと家にありました。年上の従兄弟のお兄ちゃんがいい漫画をお下がりでいっぱいくれたんです。『ドラえもん』や『じゃりン子チエ』とか、もうちょっと大きくなってから『AKIRA』とか『火の鳥』なんかの手塚治虫作品とか。その従兄弟は4つ上だったので、自分よりもだいぶ先をいっている感じでした。他にも、ご近所さんから『ベルサイユのばら』や『エースをねらえ!』もいただきましたね。親も本は買ってはくれたんですけれど、それよりももらう割合が高かったように思います。
あとは、怖いものが好きになってホラー漫画も読むようになりました。
――ホラー漫画は、どのあたりでしょうか。
矢樹:まず漫画雑誌を全部買っていました。これはもう、申し訳ないんですけれど親のお金で買っていました。冬にスキーに行くんですが、春に親のスキーウェアのポケットを探ると、リフト代用のお金がお札で入ったままだったりするんです。それをこっそりとって漫画雑誌を買っていました。「ホラーM」、「ハロウィン」、「サスペリア」とか。
作家さんの名前で言うと、日野日出志先生は古本で集めていたし、犬木加奈子先生や御茶漬海苔先生は「ホラーM」、伊藤潤二先生は「ハロウィン」でずっと描かれていたのでよく読みました。大好きでした。
ホラー漫画にはまったきっかけは、お下がりでもらった楳図かずお先生の『恐怖』ですね。ものすごく怖かったんです。お下がりなのでカバーもかかっていないグレーの表紙の状態で、ちょっと禍々しい感じがして本棚には入れられないくらい怖かった。なので、禍々しさをちょっとでも抑えるために、読んでは座布団の下にいれていました(笑)。
私は基本、怖がりなんですよ。子供の頃、2階に自分の部屋があったんですけれど、電気がついていないと怖くて階段を上がれませんでした。霊感も一切ないのに、なにかが見えたらどうしよう、みたいな怖さがありました。それでもホラー漫画は好きで繰り返し読んで、好きな作家さんは古本屋で集めていました。
――ごきょうだいはいらっしゃるのですか。
矢樹:うちは3人姉妹なんです。妹2人は私が読んでいるものを読む、という感じでした。それぞれ3歳、4歳ずつ離れていて、のちに真ん中の妹と漫画家でコンビを組むことになります。