
作家の読書道 第277回:矢樹純さん
漫画原作者として活動するなか、2012年に『Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件』で小説家デビュー、19年に短篇集『夫の骨』が話題となり、翌年その表題作で日本推理作家協会賞短編部門を受賞した矢樹純さん。ホラー、ミステリ、サスペンスで読者を震撼させる作家は、どのような読書生活を送ってきたのか。デビュー後、ブレイクまでの道のりも含めてたっぷりお話うかがいました。
その6「最近の読書と執筆」 (6/6)
――その後の読書生活はいかがでしょう。
矢樹:作家を目指しはじめた頃からすごく好きになったのが平山夢明先生です。書くものにも時々影響が出てしまいますね。短篇集の中に他とはちょっと違う感じがのものが混じっている場合、だいたい平山先生の影響です(笑)。『マザー・マーダー』だったら3番目の短篇「崖っぷちの涙」です。『彼女たちの牙と舌』も幕間の部分は読む人が読めば「ああ、この人平山先生が好きなんだな」って思うと思います(笑)。
――平山さんはどの作品がお好きですか。
矢樹:最初に読んだのが、それこそ表題作が日本推理作家協会賞の短編部門を受賞された『独白するユニバーサル横メルカトル』で、あれで衝撃を受けたんです。同じ賞を獲れた時はもう嬉しくて、受賞コメントも「平山先生と同じ賞なので嬉しいです」ということを無邪気に語ったんです。そうしたら、『スワン』で長編部門を受賞された呉勝浩さんが、もう私とは全然次元が違って日本のミステリ界を見据えた立派なスピーチをされて。作家としての差をすごく感じました(笑)。
呉さんは『雛口依子の最低な落下とやけくそキャノンボール』を読んではまって、すごく読んでいたので、同じ場所にいることが信じられないくらい嬉しかったですね。授賞式はコロナ禍だったのでリモートだったのですが、コメントを撮る時にお会いできたんです。そもそも京極夏彦先生から直接受賞の連絡がきたこと自体も、こんなことがあるのかという感じでした。
――平山さん以外に、ホラーでお好きなのはどなたですか。
矢樹:鈴木光司先生は、映画を先に観てから原作の『リング』を読んだら、なおのこと面白くて。貴志祐介先生と小林泰三先生のホラーも好きです。貴志先生は最初に読んだのが『黒い家』で、そこから作家買いしています。『天使の囀り』やSF的な世界観の『新世界より』も好きですね。小林先生は『玩具修理者』がもう、本当に怖くて。こんなこと起きたら最悪だ、という怖さですよね。それと、『東京結合人間』ではまった白井智之先生も、『死体の汁を啜れ』や『エレファントヘッド』などほぼ全作読んでるくらいファンです。
――ミステリやホラー以外の読書も幅も広がったのですか。先ほど小川洋子さんのお名前が挙がっていました。
矢樹:そうですね。小川洋子先生は最初にチェスの話の『猫を抱いて象と泳ぐ』を読んで、すごいなと思って、そこから『博士の愛した数式』といった有名な作品も読んで、そっちもいいなと思って。まだ読めていない作品もあるので、これから楽しみがいっぱいあります。
――矢樹さんはミステリ、ホラー、さらにそれらを融合した作品をお書きになりますが、毎回どのよう作品のテイストを決めているのですか。
矢樹:依頼にあわせて、です。ただ、『撮ってはいけない家』の時は編集さんから「ミステリを」と言われていたんですが、はじめて講談社からいただいたお仕事だったので頭に三津田信三先生しかいなくて(笑)。ホラー×ミステリの企画書を出したら通ったので、そのまま連載させていただくことになりました。
――『撮ってはいけない家』は、とある家で撮影を開始したホラーモキュメンタリーの撮影班が奇妙な現象に見舞われていく話ですよね。あれは本当に怖かったです。かと思えば、幻冬舎から刊行された新作『彼女たちの牙と舌』はまたまったく違うクライム・サスペンスですね。
矢樹:幻冬舎といえば、私は沼田まほかる先生の『彼女がその名を知らない鳥たち』がすごく好きで。
――自己中心的な女性と、彼女に尽くす年上の中年男の話ですよね。ある時刑事がやってきて、彼女の元恋人が行方不明だと告げられて...というミステリです。
矢樹:私の中ではあれは、最高の恋愛小説なんです。幻冬舎の方にお会いした時に沼田先生のあの本が大好きですという話をしたら、「その作品は私が担当しました」って。もうその時点で肩に力が入って、これはもうすごい小説を書かなきゃいけない、ってテンションが上がりました(笑)。なので『彼女たちの牙と舌』というタイトルも若干沼田先生の影響を受けているし、あつかましいですけれど、装丁も『彼女がその名を知らない鳥たち』と同じ泉沢光雄さんにお願いしていただいたんです。
――『彼女たちの牙と舌』は、中学受験を控える子供を持つ母親4人が視点人物となる連作です。そのうち1人が闇バイトに加担して窮地に陥り、他の3人も巻き込まれていく。着想はどこにあったのですか。
矢樹:編集さんが『夫の骨』を読んで連絡をくださったこともあり、家族ものの連作短篇というご提案でした。最初の打ち合わせの少し前に、主婦が闇バイトをやって逮捕されたというニュースがあったんですよ。闇バイトって若い人がやることだと思っていたので、主婦ということにびっくりして。それがずっと頭にあったので、桐野夏生先生の『OUT』みたいな感じで、主婦たちが特殊詐欺に関わっていく連作短篇はどうかとお話ししました。各話で主人公を変えていくことにしたんですが、二話以降はわりと話が続く長篇のようなプロットになりましたね。
――話が進むについてお互いに隠していることや、それぞれの家庭の事情や意外な行動が見えてきて、思いもよらない展開となっていく。構成が絶妙でした。
矢樹:視点人物が変わるたびに、「ああ、そういうことだったんだ」とか「あれは違った意味だったんだ」と思ってもらえるように意識しました。やっぱり、視点人物が変わる連作短篇だからこそできることだなと思って。
――作中で特殊詐欺側の人間が、若い人より主婦のほうが守るものがあるから一生懸命働いてくれる、みたいなことを語るじゃないですか。あれが本当にリアルで怖かったです。この母親たちも子供の受験があるから、なおさら切羽詰まっている。
矢樹:受験生を抱えた秋から冬にかけての時期って、いちばん家の中がピリピリしますよね。まったく波風を立ててはいけないこの時期にこんなことが起きたら、もう本当にひどいなっていう。
――矢樹さんの作品はハッピーエンドもバッドエンドもあるので、これはどうなるんだろうと思いながら読みました。毎回、作品の着地点をどちらにするかは、どのように考えるのですか。
矢樹:長篇でも連作短篇でも、モヤモヤしたものを残さないように気を付けています。嫌な結末であってもよい結末であっても、ちゃんと落ちているかどうかを考えるんです。ひどいことしか想像できないようなラストでも、しっかり着地しているなら自分の中では大丈夫なんです。
ただ、ホラーは若干ミステリとは違う落とし方をしますね。落としてはいるけれど、モヤモヤっとした読後感が残る短篇もあるかと思います。
――ホラーはそういう余韻がたまらないですよね。ところで、1日のルーティンや執筆時間はいかがですか。
矢樹:朝、子供たちが出掛けた9時半くらいから夕食の支度をする時間までリビングで原稿を書いています。今はちょっと忙しくなったので食事の後も寝室で仕事をしていますが、本当は、ご飯支度の後はお酒を飲みたいです(笑)。
――今後のご予定はいかがですか。
矢樹:以前、kindleで『或る集落の●』というホラー短篇集を個人出版したんですけれど、それに加筆したものを7月中旬に同じタイトルで講談社から単行本で出します。これは『撮ってはいけない家』と対になるような怖いデザインになります。また現在、文藝春秋の「オール讀物」で連作短篇シリーズ『刑事総務課は眠らない』、PHP研究所の「WEB文蔵」で同じく連作短篇の『怖い客』を連載しています。それと7月下旬から朝日新聞出版の「web TRIPPER」でも連載開始予定で、こちらは短期連載終了後、9月上旬に文庫短篇集としてまとまる予定です。
(了)