第277回:矢樹純さん

作家の読書道 第277回:矢樹純さん

漫画原作者として活動するなか、2012年に『Sのための覚え書き かごめ荘連続殺人事件』で小説家デビュー、19年に短篇集『夫の骨』が話題となり、翌年その表題作で日本推理作家協会賞短編部門を受賞した矢樹純さん。ホラー、ミステリ、サスペンスで読者を震撼させる作家は、どのような読書生活を送ってきたのか。デビュー後、ブレイクまでの道のりも含めてたっぷりお話うかがいました。

その2「中学時代にはまった作家」 (2/6)

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――振り返ってみて、どんな子供だったと思いますか。

矢樹:友達は少なめで、1人か2人の友達とどっぷり遊んでいる感じでした。活発ではあったと思います。日中はだいたい外で遊んで、家で本を読むのは夜でした。青森だったのでわりと自然がすぐそばにありました。トトロの世界のような林があって、そこにどんどん分け入っては沼のほとりで水鳥の卵を見つけたりして。近所に田んぼもありましたし、馬を飼っているいる牧場があって、そこの馬に勝手に草をあげたりしていました。
一人遊びで地図も作っていました。教育テレビに「たんけんぼくのまち」という、チョーさんという人が自分の住んでいる街の地図を作る番組があったんです。それを見て自分も地図を作ろうと思い立ち、ノートを持って遠くまでとぼとぼ歩いていっていました。
それと、親が山好きで、山登りや渓流釣りにもつき合わされていましたね。

――本格的な登山だったのですか。

矢樹:日帰りで行くこともありましたが、年に一度テントを張って山に泊まっていました。私が中高生くらいの頃は、白神山地に入れたんです。米と味噌だけ持っていって、野菜類は山菜を採り、タンパク質はイワナやヤマメを釣るという過酷なキャンプを父が発案して。父や伯父や父の友達といった山男たちの登山に家族が巻き込まれる形で、お盆の時期に3泊4日で行っていました。一回川が増水して帰ってこられなくなって4泊したこともありました。
楽しいは楽しいんですよ。でも、ロープもない岩肌みたいなところを渡ってパシャンと水の中に落ちたりしていました。私のリュックに米が入っていたので、私よりリュックの心配をされたという(苦笑)。

――中学生時代の読書はいかがでしたか。

矢樹:中学生になるとお小遣いで好きな本を古本屋さんで買うようになりました。でも100円の棚に並んでいるものしか買えないから、結構いろんな古本屋さんをまわって探しましたね。中学生の時によく読んでいたのが星新一先生と赤川次郎先生で、とにかくコンプリートしようとしていたんです。

――お二人とも著作数が多いですよね。

矢樹:なので集めるのが大変でした。本棚もパンパンになって、隣の部屋の父の書斎にも若干浸食していました。
父の本棚にあった内田康夫先生と佐野洋先生を読んで「これは揃えなきゃ」と思って、父に代わって揃えだしたりもしました。他にも、全部読んだわけではないんですけれど、なぜか中学生で西村寿行先生を読んで、「これは大人だ...」って(笑)。
そうした渋めの路線とは別に、綾辻行人先生、有栖川有栖先生、京極夏彦先生、森博嗣先生、霧舎巧先生、高田崇史先生といった講談社ノベルスを読み始めました。メフィスト賞を獲っていたらだいたい読むと決めて、どんどん新本格を読んでいったのが中高生の頃でした。

――さきほど、中学校で文芸創作クラブに入ったとのことでしたが。

矢樹:部活動とは別に、週1回のクラブ活動があって、私は3年生の時だけ文芸創作クラブに入ったんです。その時に影響を受けたのが、教科書に載っていたレイ・ブラッドベリの「霧笛」(『ウは宇宙船のウ』などに収録)でした。あれは灯台の霧笛を聞いて海の底にいる恐竜が姿を見せる話ですよね。そのアナザーストーリーみたいなものを書いたんです。それを読んだ真ん中の妹がブラッドベリを知らなくて、海の底に恐竜がいる設定から私が作ったと勘違いして、私を天才だと思って(笑)。のちにその妹が漫画を描いて私が原作を担当することになるんですけれど、きっとこの時に私が天才だと思いこんでいたから、「お姉ちゃんとならいける」と思ったんでしょうね。

――文芸創作クラブを選んだということは、書いてみたい気持ちがあったのでしょうか。

矢樹:書いてみたい気持ちはあったと思います。でも最後まで書けたのは「霧笛」のアナザーストーリーくらいでした。クラブでは短歌も作っていました。先生が自分で短歌の冊子を出している方で、そこに自分の短歌を載せてもらえたのがすごく嬉しかったです。

――文芸創作クラブでは本の情報を交換しあうような交流はあったのですか。

矢樹:いえ、本はずっと1人で読んでいた感じです。当時たまというバンドにめちゃめちゃはまっていたので、たま仲間の友達と一緒に気に入ったたまの歌詞を書く、みたいな遊びはしていたんですけれど(笑)。

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