『オリンピックの身代金』奥田英朗

●今回の書評担当者●豊川堂カルミア店 林毅

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  • 『オリンピックの身代金』
    奥田 英朗
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 今年の漢字は「変」だそう。まあ、信じられないほど変なコトが多かった年なのかもしれないけれど、これは変えなきゃいけないって思った人が多かったってことだろうか。
 相次いで「今年いちばんの本」の発表がされたりすると、なんだか今年一年を振り返ってみたくなるのだけれど、一年も経つといろんなことがあるので、鳥頭な私には「あれ? それって今年だったっけ」ってことも多い。北京オリンピックすら、ずいぶんと前の出来事のような気もしてしまう。

 奥田英朗の久々の大作『オリンピックの身代金』の舞台は東京オリンピック。昭和39年の話である。さすがに44年も前のこととなるとまったく記憶がないのだけれど(当時私はまだ一歳にもなっていないので、元々の記憶がないからかもしれません)、でも、なんだか懐かしさが漂う物語である。丁寧に描かれた社会の表情は、臨場感がたっぷり。
 
 アジアで初めてのオリンピック開催に沸き立つなか、新幹線が開通し、モノレールができ、武道館も建てられた。東京中が一気に近代化していくなか、国民に知らされないところで大事件が起きていた。
 警察幹部の邸宅がまず爆破されると「オリンピックを妨害する」という脅迫状が届く。オリンピックを人質に、その身代金が八千万円。犯人と思しき青年は、すぐに登場する。東大の大学院生である島崎は、秋田の貧村の出身。オリンピックの建設現場に出稼ぎに来ていた実兄が急死したことで、自ら飯場に住み込み、その底辺生活を知る。彼を通して、東京と地方、富裕層と貧困層の格差が浮き彫りにされる。繁栄に隠された現実。今も格差社会が叫ばれ『蟹工船』がヒットしたりしているけれど、(今以上に)過酷な格差のなかで皆もがいていたのである。それを疑問に思った彼は、現実を省みない国に挑戦していく。テロリストの彼はとても悪人には思えず、むしろ魅力的。その姿に感動したり、その境遇に共感や憤りを覚えたり。
 島崎と警察の男たち、彼の東大時代の同級生、近所の古本屋の娘と、立場の違う話者が替わりながら時間も前後しながら話は進んでいく。最終決戦のオリンピック開会式(10月10日ですね)。そこに向かってテロリストと警察との決死の攻防劇が繰り広げられていくのだけれど、事件の裏側が(同じ場面が二度、違う視点で語られることで)そのたび明かされていく構成は見事。
 テロ事件のわりには意外に始まりは静かな感じで、なかなか驚くような展開は見せないのだけれど、気がつくと物語に引き込まれ、頁を捲るのが止められなくなっていた。派手な仕掛けはないけれど、力の入ったサスペンスでありました。

 2009年のいちばん面白かった本が選ばれるのは、まだ一年先。(私が選ぶわけではないので、選ぶ方は)みなさん忘れないでね、覚えていてね(と言いたくなります)。
 こんなに面白かったら、さすがな鳥頭の私でも忘れませんから(たぶん)。

 

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豊川堂カルミア店 林毅
豊川堂カルミア店 林毅
江戸川乱歩を読んだ小学生。アガサ・クリスティに夢中になった中学生。松本清張にふけった高校生。文字があれば何でも来いだった大学生。(東京の空は夜も明るいからと)二宮金次郎さながらに、歩きつつ本を捲った(背中には何も背負ってなかったけれども)。大学を卒業するも就職はままならず、なぜだか編集プロダクションにお世話になり、編集見習い生活。某男性誌では「あなたのパンツを見せてください」に突進し、某ゴルフ雑誌では(ルールも知らないのに)ゴルフ場にも通う。26歳ではたと気づき、珍本奇本がこれでもかと並ぶので有名な阿佐ヶ谷の本屋に転職。程なく帰郷し、創業明治7年のレトロな本屋に勤めるようになって、はや16年。日々本を眺め、頁をめくりながら、いつか本を読むだけで生活できないものかと、密かに思っていたりする。本とお酒と阪神タイガース、ネコに競馬をこよなく愛する。 1963年愛知県赤羽根町生まれ。