『建築家坂倉準三 モダニズムを生きる 人間 都市 空間』

●今回の書評担当者●有隣堂アトレ新浦安店 広沢友樹

『建築家坂倉準三 モダニズムを生きる 人間 都市 空間』

6月14日(日)神奈川県立近代美術館鎌倉
神奈川県立近代美術館では9月6日までの期間、建築家坂倉準三展が開催されています。といっても、僕も含めてサカクラジュンゾウって誰?という人が多いと思います。
まず鎌倉まで足を延ばして、この美術館に来ていただければ、この建築自体が氏による設計の代表作なのでよろしいかと思います。他にも私たちが身近に感じる空間として、渋谷の駅ビル群(駅との複合ビル東急会館や最近取り壊された東急文化会館など)や新宿駅西口の広場及び地下空間も、氏の設計によるものです。

坂倉準三は東京帝国大学美学美術史学科を卒業後、単身フランスに渡り、近代建築の巨匠ル・コルビュジエの事務所に長く勤めます。彼ともっとも友情を深めた日本人と言えるかもしれません。この友情により、上野の国立西洋美術館計画はコルビュジエが設計者となりました。

話を戻しましょう。神奈川県立近代美術館は1951年に開館した日本で最初の公立近代美術館です。近く60周年を迎える建築となります。建築雑誌「GA JAPAN」の編集発行人二川幸夫さんがこの本の中で述べているように、この建築は世界レベルの傑作であるという認識は多くの建築家、建築史家が共通して抱いている想いです。

鶴岡八幡宮境内の鬱蒼とした森の中にある平家池に隣接した敷地に慎ましやかに佇むシルエット。桂離宮を範とする自然との調和を重視した坂倉の美意識があらわれている、1階の開かれた中庭と池を取り込んだテラス。戦後の資材不足と極めてローコストな要求に対する合理的な構造と新建材・新工法の発想。5名の指名建築家による設計競技方式(コンペ)が採用されたなかで、6週間という短期間で生み出された坂倉の当選案は、コルビュジエが提唱していた無限成長美術館の日本でのプロトタイプとしての意味合いも含んでいます。

僕がはじめてこの美術館を訪れたのは2000年のことです。コンクリート造などを含む近代建築の保存・調査・資料化などを目的とした国際組織do.co.mo.mo_(the Documentation and Conservation of buildings, sites, and neighborhoods of the Modern Movement)が1989年に発足したのを受けて、日本でもその重要性を鑑み、do.co.mo.mo_ japanが組織されました。本部からの要請による初めての選定作業を行い、選定20作品による展覧会が開催されていたのです。この20選に神奈川県立近代美術館も選ばれています。先日総務大臣が工事に待ったをかけたことで注目された東京中央郵便局(吉田鉄郎設計)も実は選ばれています。

日本は、建物の使い方、活かし方、壊し方があまり得意なほうではありません。
観光立国を目指すと宣言するならば、文化遺産となる建築を壊さないで欲しい。建築文化の育成のレベルが、その国の文化の尺度を表す1つの重要な指標になるものだと信じているからです。

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有隣堂アトレ新浦安店 広沢友樹
有隣堂アトレ新浦安店 広沢友樹
1978年東京生まれ。物心ついた中学・高校時代を建築学と声優を目指して過ごす。高校では放送部に所属し、朗読を3年間経験しました。東海大学建築学科に入学後、最初の夏休みを前にして、本でも読むかノと購買で初めて能動的に手に取った本が二階堂黎人の「聖アウスラ修道院の惨劇」でした。以後、ミステリーと女性作家の純文学、及び専攻の建築書を読むようになります。趣味の書店・美術展めぐりが楽しかったので、これは仕事にしても大丈夫かなと思い、書店ばかりで就活を始め、縁あり入社を許される。入社5年目。人間をおろそかにしない。仕事も、会社も、小説も、建築も、生活も、そうでありたい。そうであってほしい。