『町工場 巡礼の旅』小関智弘

●今回の書評担当者●ダイハン書房本店 山ノ上純

 私の父方の祖父は、父が生まれる前に亡くなったので会ったことはありませんが、頭の切れる宮大工だったそうです。そして、母方の祖父は、今年の初めに他界しましたが、腕利きの左官職人でした。この二人の血を引いているからかどうかは分かりませんが"職人"や"職人の仕事"にとても惹かれます。伝統工芸、建築、食品、工業...あらゆる分野に職人さんが存在しますが、どんな分野の職人さんの仕事にも、そして職人さん自身にも興味津々で、とても尊敬してしまいます。

なんと言っても、職人さんはかっこいい!仕事に打ち込む姿勢とか、こだわりとか、発する言葉も。

 「この"小さなものづくりの場""たくみたちの場"と、そこで働く人びとの姿を深く知ることが、この腐りきった日本の再生につながるということを、信じているからである。」こんな文章を「はじめに」の中で見つけ、グッときた本『町工場 巡礼の旅』は、東京大田区の町工場で自身も旋盤工を続けながら、旋盤工の視線から町工場の人びとに関する本をいくつも書いてこられた小関智弘さんが、大田区をはじめ東大阪などで町工場を営む人たちを訪ね、そこで見たものや聞いた言葉がつづられているルポ。

 あるネジ工場では、機械で1分間に200本ものネジが作られていく。機械の間にはまばらに工員さんの姿があるものの「これではもう、働いている人たちの個性なんて出ようが無いですよね」と言った著者の言葉に「とんでもない。規格にはずれていないんだからこれでいいや、という人のネジと、企画にはずれてはいないけれど、こんなものを出荷したら工場の恥だ、と考える人のネジとでは、箱にたまったネジの山をひと目見たらすぐにわかります。美しさがちがいますよ。」と返す工場長。"美しさがちがう"というところが痺れます。

 また、自動車部品のネジを作っている会社の工場の人の話では、自分の会社では百分の一ミリという誤差範囲で作っているけれど、海外で百分の三ミリ以内の誤差であれば安く作れる。形は同じものだし、その部品を使っても製品は十分動くけれど、ガタがガタを呼ぶ。百分の三ミリのガタがあったら、百分の五や六になるのはあっという間。耐久性を考えないで、安くつくる事が優先されている。こわいことです...と。そう言われると、思い起こすことが多い気も。結婚して購入した炊飯器と掃除機は3年で壊れたのに、田舎の家に昔からある冷蔵庫や掃除機が全く問題なく動いていたり、大手自動車会社のリコール問題も、もしかしたらこういうところに原因が?と思ってしまいます。

 常に向上心を持ち、知恵を働かせて新しいモノづくりにチャレンジしていく、働くことと生きることが同義語の人たち。この不況で町工場の経営は苦しいとも聞くけれど、ここが無くなったら本当に日本の産業はダメになる。逆に、もっともっとこの日本の町工場の技術力に、日本が注目して盛り上げていけば、成長力を取り戻せるんじゃないか?とそんな気にさせられるのでした。

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ダイハン書房本店 山ノ上純
ダイハン書房本店 山ノ上純
1971年京都生まれ。物心が付いた時には本屋の娘で、学校から帰るのも家ではなく本屋。小学校の頃はあまり本を読まなかったのですが、中学生になり電車通学を始めた頃から読書の道へ。親にコレを読めと強制されることが無かったせいか、名作や純文学・古典というものを殆ど読まずにココまで来てしまったことが唯一の無念。とにかく、何かに興味を持ったらまず、本を探して読むという習慣が身に付きました。高校.大学と実家でバイト、4年間広告屋で働き、結婚を機に本屋に戻ってまいりました。文芸書及び書籍全般担当。本を読むペースより買うペースの方が断然上回っているのが悩みです。