『ある男』木内昇

●今回の書評担当者●銀座・教文館 吉江美香

 私の貧しい語彙ではこの作品の奥深さと重量感を語り尽すことなど到底不可能な話で、それがとてももどかしい。(いきなり言い訳だ!)

 七つの短篇に登場する七人の男性の名は記されていない。「ある男」たちはまさに「ある男」以外の何者でもなく、ほとんどの人間がそうであるように巨大な歴史の前には極細のペン先でちょんと突いた、眼には見えないほどの点にも満たない存在である。それでも人の数だけ人生があり、その中身は濃い。

 ご一新後の明治。中央だけでなく地方の変化も急速に進む中、時流に必死に食らいつく者、拒絶する者、うまくのっかる者と様々だ。

 仲間のためによかれと奮起した男の決死の行動は情けないほどあっさりとかわされ無意味に終わる。自分を過大評価する男はそれを上司にズバリと指摘され「そつない」と「そつないだけ」の大きな違いを思い知らされる。自分の手業への執念と老いへの焦りから贋札造りに加担してしまう職人の男は別の自分を経験することによって以前の幸せに初めて気付く。しかしそれはもう戻れない過去だ。自分の保身のみに頭を使うご都合主義の男は人を上手く操ったつもりでも実際踊らされているのは他でもない己であることもわからず、相手を尊重しないゆえ遊女の芝居の方が一枚うわてな事実にもぼんやりしている。京都見廻組で人を斬りまくった男は息を殺し別人の顔で生き延びてきた。過去を語れない身の上、争いを拒絶するにも苦悩がつきまとう。

 生まれも育ちも神田の男の小気味よい江戸弁、素朴で力強いお国訛が地方の男たちの人物像を色濃く描き出す。政治に発言権を持たない女性たちが予想もしない教養の深さを垣間見せ、その冷静さは却って不気味なほどだ。(そうそう、いつの時代も女性の発言を軽んじてはいけません)

 泣きどころは読者それぞれ違うだろう。骨太でありながら市井の人々の繊細さを写し出す力は木内作品の核だ。時代小説の新しい形を確立したと言っていい。

「同じ轍を踏まない」ように生きることは本来正しいのかもしれない。しかし失敗のない人、挫折を知らない人なんていない。皆、何かしらトンデモナイ目に遭っている。それでも不器用に轍を歩く人を愚かだと非難できるのかな。誰もがじたばたして生きている。歩いた轍が道になり自分の預かり知らないところで役に立つ場合もあるのだ。

 今の日本は当時と同じく、いや、それ以上に混沌としている。
 これこそ平成の黄表紙と確信している既刊「浮世女房洒落日記」で、悩み多き日常を底抜けに明るく語る江戸庶民のお葛さんの言葉が大好きだ。

「何事も身の丈が大事。お天道様はちゃんと見ているんだからね」

 簡単なことだが難しい。身の丈を忘れて調子に乗るとヘマをしでかす、いつか必ずぼろが出る。

 挿画は香月康男の「神農」。これほど内容にマッチし、お互いを生かしきるものを持ってこようとはっ!シャッポどころかシャンプーハットも脱ぐ覚悟はできているぞ、オイラは!

« 前のページ | 次のページ »

銀座・教文館 吉江美香
銀座・教文館 吉江美香
創業127年を迎える小社の歴史のなかでその4分の1余に在職してるなんて恥ずかしくて言えやしないので5歳から働いていることにしてください。好きな人(もの)はカズオ・イシグロ、木内昇、吉田健一、ルーカス・クラナハ、市川左團次、UKロック、クリミナル・マインド、文房具、生け花。でもやっぱり本がいちばん好きかな。